小奈良辺衛四郎のたいへんブッ飛んだ人生
小奈良辺衛四郎、今年で66歳になるヘッポン国の大臣の1人。
彼はその日も、国会に登院していた。
国会の大広間には、いつにない熱気が漂っていた。
今回、とある法案についてかつてないほどの激しい議論が繰り広げられていたのだ。
無理もないだろう。
その法案1つで、今後数十年のヘッポン国の趨勢が左右されるかもしれないのだから。
今回の法案を巡っての国会は、国民たちも高い関心を寄せていた。
視聴率は異例の10%を記録。
テレビ離れが進むこの時代に、である。
シン……と静まり返る大広間。
隣に座る議員の心臓の音すら聞こえそうな、異様な静けさ。
かと思えば、発言した議員への罵声が飛び交う、怒号の嵐。
「静粛に! 静粛に!!」
ここのところはいつもこんな感じだ、と小奈良は内心ため息を吐いた。
「では……小奈良君」
ついに来たか。
小奈良はゆっくりと席を立つ。
今日のために準備はしてきた。
これはヘッポン国を……いや、ひいてはこの地域全体の安全保障に関わってくる問題だ。
私は今日、全力をぶつける!
小奈良はマイクの前に立った。
目が合うと小さく会釈する者、腕組みをして聞かせてみろという態度をとる者、はなから聞く気がないのであろうあくびをして視線を逸らす者、様々だ。
しかし、彼の目はその全員に平等に向けられていた。
ヘッポン国を守るのだ、自分たちの祖国を守るために一致団結しなければならないのだ、と。
「わたくし小奈良の方から、あらためて説明させていただきます」
その声は力強く、威厳に満ちていた。
彼の一声に議員たちの目が変わった。
各種メディアを通じてこの国会を視聴していた国民たちも固唾を飲んで見守る。
しかし、誰も予想しなかった。
この後に予想もしない事件が起きるとは……。
「え~、わたくしとしましてはこの法案を……」
強い眼差しと決意で、小奈良が話し始めた時だった。
ブウゥッ!
という、静粛な場に似つかわしくない音が、どこからともなく聞こえた。
……屁だ。
明らかに屁である。
その音の出処は明白であった。
小奈良の顔が、熱を帯びていく。
ザワザワ、と議員たちが騒ぎ出す。
「おい、今屁が聞こえなかったか?」
「え? 何? 今の音」
「屁だ! おならだ!」
そんな声が飛び交う中、小奈良は下を向いて震えていた。
……私はなんてことをしてしまったんだ。
よりによってこんな大事な場面で……。
いや、ここは——ここは切り替えねば!
小奈良は自分を奮い立たせる。
「すみません、少し力んでしまったようですな……はは」
小奈良のこの対応に、議員たちは少しざわついたが、すぐにまた静かになった。
当然だ。
おならで笑ってしまうのは仕方ないが、それをバカにしたり、責めたりするのは子供のすることだ。
大人である彼らは、生理現象として受け入れる。
まぁ、そういうこともあるよなと。
静まり返った中、小奈良はついに……口を開いた。
「え~……」
しかしその次の瞬間だった! ブバッ!!
2発目の屁は先ほどよりさらに大きな音だった。
仏の顔も三度、ということわざがあるが、おならも三度までは許されるのだろうか?
それはそれぞれの仏によるのかもしれない。が、さすがにこの厳粛な場面では違った。
「またかよ!」
「わざとやってるのか!」
数人の議員から小奈良に罵声が飛ぶ。
しかし小奈良は怯むことなく続ける。
自分がしたおならのせいではあるが、ここで怯んでいる場合ではないのだ。
議員たちの矢のような鋭い視線と、自身のおならの臭気に晒されながら口を開いた。
「す、すみませ……」
だが……。
「あぁっ!」
ブウゥィイッ!
次は3発目であった。
3発のおならの連続に、ついに数人ではなく大勢の議員が彼に詰問しようと立ち上がった。
しかし、ブィッ! ビッ!
4発、5発、と小奈良から軽快な音が鳴った。
「これはいったいどういうことだ!」
「ふざけているのか!?」
「おなら国会かよ!」
「く、臭いぞっ!」
ざわめき、どよめきが大きくなる。
「静粛に! 静粛に! 一度休憩を挟みます!」
と議長が叫んだところで、小奈良の屁は止まった。
議員たちの様々な感情が籠められた視線を背に浴びながら、小奈良はトイレへと一目散に駆け込む。
なんということだ、と個室で頭を抱える小奈良。
まさかこんなことで、大事な議会を中断することになるとは……。
さらに困ったことにあれだけおならが出ていたというのに、いざトイレに入ると、何も出る気配がない。
それどころか緊張のためか腹がキリリと痛む始末だ。
「この国の未来がかかっているんだぞ! おならどころではないのだ!!」
と自分に喝を入れながら、やっとのことで用を足し、手を洗う。
ガチャリという音と共にトイレからでた小奈良は、自分の席へと戻るのであった。
「ごほん——では再開します」
先ほどのことは無かったことにしよう、とでも言いたげに周りを見ます議長。
こうして議会は再開される。
もう屁は出まい、と議員たちも国民たちも、そして小奈良本人でさえも思っていた。
演壇に立ち、小さく頭を下げる小奈良。
それは儀礼ではなく心から出た謝罪の気持ちであった。
スッと顔を上げた彼の目に、もはや微塵の憂いもない。
ここからだ、と完全に心を切り替えている。
それでもここは、やはり謝罪の言葉から入るべきだろう。
「え~、今回は私のおならにより多大なるご迷惑を……」
ブウゥウゥッ……その言葉と重なるように、再び放屁が炸裂した。
「ひいぃぃっ!?」
「まっ……」
「小奈良ァ!」
国会は再び混乱とざわめきに包まれる。
当の本人である小奈良が一番驚いていた。
まったくその予兆というか、出そうな感覚はなかったのだから。
しかし、その音と匂いが、彼に容赦のない現実を突きつけるのだ。
「す……すんませ……」
慌てて謝ろうとした小奈良だが。
「うぁああっ!」
その悲鳴を上げたのは小奈良自身だった。
と、同時に……。
ビィッ! ブゥッ! ブバァッ!
「またかよっ!」
連続放屁が彼を襲う。
いや——彼だけではない!
その臭気は可視化された茶褐色のモヤのようになり、大広間を瞬く間に支配する。
それはまるで、非道なる毒ガス作戦とでも表現すべき大惨事であった。
「げほっ! げほぉっ!」
議員たちは次々とむせ、涙や鼻汁も滝のように流れ落ちる。
「おなら大臣かよ!」
彼らはどうしていいかわからない中、必死に呼吸を整えようとするがなかなかうまくいかない。
そんな事態を巻き起こした張本人の小奈良はというと……。
もう自分が何をしでかしたかどころではなかった。
彼もまたおなら地獄を味わっているのだから!
「止めろ止めろ! カメラを止めろ!」
「中止だ!」
嗚咽する声、怒号。
混乱の渦中にある国会議事堂は、まさに地獄絵図であった。
テレビの画面が暗転し、報道スタジオのキャスターが映し出される。
何が起こっているのかわからない、といった表情でしばらく固まっていたニュースキャスター。
「……え、え~、ただいま国会中継の時間ですが、何やら緊急事態が起こっているようです。繰り返します! ただいま国会中継中の時間ですが、何やら緊急事態が起こっているようです! ここからは報道内容を変更して、ニュースをお伝えします!」
緊急で用意された原稿を読み上げるも、その声にはこの珍事への困惑が色濃く出ていた。
そしてそれは、テレビやラジオ、ネット配信などでこの国会を視聴していた国民たちも同じであった。
ヘッポン国において歴史的珍事件となった、おなら国会事件。
しかし笑いごとでは済まされない。
国会という厳粛な場でおならを繰り返し、緊急中断させてしまったことはもちろんなのだが……。
なんとこの事件で複数の議員たちが体調不良を訴え、病院へと搬送されたのだ。
幸い全員命に別状はなく、数時間後には無事退院できた。
だがこの事件はネットで大きな話題となって、瞬く間に議論が交わされるようになった。
新種の毒ガス実験だとか、小奈良を失脚させるために対立政党が仕組んだ作戦だとか、陰謀論まで飛び出すほどである。
これまでの真面目な活動ぶりから、国民からは決して低くない評価を受けていた小奈良。
彼を庇う者と、彼を糾弾する者とで意見は真っ二つ。
だが、当の小奈良の心は決まっていた。
家族や親族の前で、ニュースを見て一言。
「私は大臣を辞任しようと思う」
短く、そして静かな一言であった。
だが、そこには有無を言わさぬ確かな意志が籠められていた。
大事な時期に国会を遅延させ、体調不良者を出し、挙句の果てには国民を混乱に巻き込んでしまった……。
その時点で小奈良は、自らけじめをつけるべき、と覚悟したのだ。
たとえそれが……彼の故意によるものではないとしても。
「これでいいのだ」
どこか吹っ切れたようにそうつぶやく小奈良は、窓から外の景色を眺めるのであった。
その姿はまるで何かを悟ったかのように……。
辞任届を提出した小奈良は、最後の辞任記者会見を開くことになった。
議員たちはもちろん、国民にもあらためて謝罪し、自らの意思をきちんと言葉にして伝えるためである。その会見はテレビ、新聞、ネットなどを通じてリアルタイムで配信されることが決まったのだった。
「おじいちゃん……本当に辞めちゃうの?」
記者会見の日。
スーツに袖を通す小奈良に、彼の幼い孫が心配そうに尋ねる。
「あぁ、もう決めたんだ」
小奈良は孫の目をまっすぐ見てそう答えた。
そして優しく頭を撫でてやる。
小奈良は決めたのだ、自分なりのけじめを。
「あなた……今まで本当にお疲れ様でした」
長年自分を支えてくれた妻が、彼のネクタイのずれを直しながら口にした。
その声はやはり寂しさを隠しきれておらず、小奈良の心にも少しばかりの後悔が滲む。
ネクタイに触れる妻の手の皺を見て、これまでの議員人生が脳裏に過ぎった。
「ありがとう、本当に今まで支えてくれて……感謝している」
小奈良は妻に心からの感謝を伝えた。
「こちらこそですよ。さぁ、いってらっしゃい、あなた」
彼女はいつものように笑顔で背中を押してくれた。
これまでずっとそうしてくれていたように。
「ああ……いってきます」
これで最後になるのだ。
小奈良は噛みしめるように妻への挨拶を済ませ、記者会見会場へと向かうのだった。
そして小奈良最後となる、記者会見が始まる。
先日の国会中継ほどではないにしろ、国民たちからの支持が決して低くなかった小奈良。
その彼が、議員として最後に何を話すのかを見届けようと、多くの国民が注目していた。
小奈良が登壇すると、会場は静寂に包まれる。
「本日はお集まりいただき、誠にありがとうございます」
と小奈良は頭を下げた。
一拍おいてから、ゆっくりと顔を上げた。
今回は、大丈夫そうだ。
おならは出ない。
ひとまずの安堵が、小奈良の心をよぎる。
「この度は私事で皆さまを混乱に陥れてしまい、誠に申し訳ございませんでした。私は先日の国会中継で、おならをしてしまったことを謝罪したいという強い思いから、今日この場に立っております」
芯の通った力強く低い、小奈良の声。
これまで見てきた彼本来の姿がそこにあった。
あの日のことは自分でも驚きと困惑とで受け入れられていないこと、決して自分で意図したものではないこと、病院で精密検査を受けたが何も異常はみられなかったこと、しかしだからといって自分が起こした事態である事実であることに変わりないこと……などを言葉にしていく。
真摯にそして誠実に。
やがて、決断を伝える時がやって来た。
……そう、大臣を辞任することを全国民に向けて宣言する瞬間。
自らの議員人生に、自ら終わりを宣言する。
決して望んだ形ではない。
だが……覚悟を決めた男の顔は違う。
小奈良は深呼吸する。
「え~たび重なるおなら問題を受け、私は辞任を決意いたし……」
その瞬間だった。
彼は何かを感じ取り、目を閉じ、体を少し前のめりにする。
と、同時に!
ブブウ(;´Д`)ムワッ
やはり放った……。
小奈良だった。
「うぉ!?」
「んぁ!?」
会場中が驚愕と困惑に包まれる。
その中心、小奈良は臭気に目を閉じたままだ。
臭いに中てられたからではない。
自身に対する呆れ、そして諦めの念からであった。
「あ~……やはりか……」
小奈良はおならの臭いを嗅ぎながら、自分の中で何かが変わったことを感じた。
それはきっと、彼の中にあった何かが吹っ切れたからだろう。
おならが止まらない。
ブブッ! ブビィッ!
ダムは決壊した。
小奈良のお尻から連続して放たれる、茶褐色のモヤ。
それは放屁というにはあまりに勢いがある。
おならの嵐、おならの波状攻撃、とにかくこれまで誰も嗅いだことがないレベルの高濃度のおならが、辺りを一瞬で覆いつくす。
「いい加減にしてくれ!」
ああ、申し訳ない。私だってできるならそうしたい。
「何食ってんだよ!」
今朝は、トーストに目玉焼き、トマトとレタスのサラダ、コーンスープ、デザートのイチゴ、食後のコーヒーだ。
「毒ガス大臣!」
長い議員生活でもらう最後のあだ名が、こんな不名誉なものになるとは……。
集まった報道陣、駆け付けた議員たちから罵詈雑言が飛ぶ。
「おなら辞任だ!」
おなら辞任、か。
たしかにそうだ。もう私は議員ではなくなるのだから。
目を開けると倒れている人たちの姿もある。
それを目の当たりにし、これまでのがむしゃらな日々の記憶が走馬灯のようによみがえる。
そして理解した。
ほんとうに終わりなのだ、と。
自分は歩くおなら人間なのだ、と。
彼は覚悟したようにギュッ、と両手を握りしめた。
ブビィッ!
再び彼から噴き出る間の抜けた音。
「ふっ……」
彼は、微笑していた。
彼の瞳の色が、明らかに変わった。
「申し訳ない。これにて、失礼する」
そう言い終えると、小奈良は会場をあとにした。
おなら辞任大臣が最後に残したのは、謝罪でも反省の言葉でもなく、おならだった……。
そして彼は、家族と共に行方をくらませた。
おなら大臣のおなら辞任事件は、国内のSNS上だけでなく、海外でも大きく報道されることとなった。
ニュース番組では毎日のようにその話題が取り上げられ、SNSでも賛否両論のコメントが飛び交った。
とある国の首相が、彼についてこう述べた。
「僕は彼とぜひ、この地域の未来について意見を交わしたいと思っている。彼はおならでコミュニケーションがとれる、ナイスガイだからね。彼を追い出したヘッポン人は実に愚かだ。どうかしてるよ」
とある国の番組ディレクターが、彼についてこう述べた。
「あんなおならを出せる男は他にはいないね! ぜひともうちの番組に出て欲しい」
家族と共にちょうどその国へと移り住んでいた小奈良は、「ビックリおもしろ人間ショー」という番組に出演を打診された。
彼は祖国ヘッポンを離れていたことで、もう国に迷惑はかけないだろう、と軽い気持ちで出演。
だが——。
彼はあれから、おならをコントロールできるようになろう、と一人孤独に訓練を続けていたのだ。
そして報われないはずのその努力が、番組で実を結ぶことになる。
おならでラップを奏でる「おなラッパー」
おならのにおいを可視化させ、会場を一周させて戻って来させる技「ブゥ~メラン」
おならの発射圧で数メートル、体を上昇させる「ブッ飛び!」
もらったお題の絵を、可視化させたおならで霧状に噴射して描く「HEート」
などなどを披露して、見事優勝。
海外で「おなら大臣」という愛称が浸透し、一躍時の人となった。
小奈良はあの国会中継以来、おならに対する認識を改めることとなった。
恥ずかしさを克服し、自らの武器としたのだ。
そして小奈良は、世界中のテレビやネット配信に引っ張りだこになる。
小奈良はおならのにおいで何を食べたのかを当てることができるおならソムリエ、通称「ヘムリエ」の資格を作り、自ら取得した。
彼の個展「ヘーデルワイスとブリットニーのそおならこおならさよおなら」は連日大盛況。
小奈良の講演会「おならで世界を変えろ!」は毎回超満員である。
おならを武器とすることで、彼はヘッポン中、いや世界中の人々に希望と勇気を与えたのである。
そして今日もまた、どこかで……。
「それでは失礼して、ブゥッ!」
ブゥッ!
という快音と共に、小奈良辺衛四郎は誰かに笑顔を届けるのだ。
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