2話
粗忽物なので、誤字脱字報告はありがたいです。
ゲームのスタートから幾日か経ち、思っていたよりも平穏な日常に、今回のヒロインへ少しばかり感謝を覚えていた頃だった。わたくしの足が自然と人気のない特別棟へ向く。なんの用事もないのに、なぜか気になって仕方がない。心当たりは……残念ながらあるわね。案の定というか、奥まった位置にある空き教室に、消えていくふたつの人影を見つけてしまう。また、あのやり取りを繰り返すのかと思うと、辟易するわ。
時期は違えど、毎回この場面に遭遇するということは、強制イベントというやつなのかしらと考えながら、仕方なくわたくしは空き教室を目指して移動した。しめさば嬢曰く、これがわたくしの役割らしいのだもの、嫌でもやってあげなければならないわ。
室内の状況は手に取るように分かる。ヒロインがどんな性格の方であろうと、やることは一緒だもの、バンッ! っと勢いに任せてドアを開け、ヒロインの名前だけ変えたいつもの台詞を言い放つ。
「DXマヨもりもり様! このような場所で婚約者でもない殿方と二人きりでお会いになるなど、令嬢どころか女性として警戒心が足らなくてよ!」
「メアリー、なぜ君がここに!?」
ハロルド殿下の慌てた様子に白けた視線を向ける。あなたの腹の中なんてお見通しでしてよ。毎度毎度、同じ言い訳を聞かされる身にもなってご覧なさい。まぁ、殿下には記憶も自覚もないのだから、無理な話ではあるのだけれど、それでもわたくしの言動に感情が乗ってしまうのは仕方のないことだと思いませんこと?
ヒロインの手には見慣れた殿下の私物。わたくしが贈った、王家の紋章入りのハンカチーフですわね。
「あら、あなたがなぜ殿下のハンカチーフをお持ちに?」
「彼女は、僕の失くしたハンカチーフを拾ってくれただけだ。やましい事は何ひとつとしてない! 彼女の善意を蔑ろにするのは止めてくれないか!」
キッと強い眼差しでこちらを睨む殿下。はいはい、威勢のいいこと。たまには違う台詞が聞きたいところね。繰り返し聞きすぎて一言一句違えずに再現できましてよ。
殿下を鼻で笑うこの胸の内はさて置き、傍目には火花が散ると形容するのがピッタリな状態を体現してみせつつ、次の展開を待ったのだけれど、ちっともイベントが進む気配がしませんわ。
おかしいわね。この後に続くヒロインの台詞はどうしたのかしら。確か、わたくしたちキャラクターには見えない選択肢があるのよね? この場面での選択肢は、どれを選んでも似たような台詞だし、迷うようなものではないはずなのだけど。と、視線だけで確認してみれば、ヒロインは驚いたまま固まっていた。ちょっと、瞬きくらいしなさいな。
よく分からない沈黙が場を支配する。この沈黙さえもおかしな事だと認識しない殿下は、やはりゲームのキャラクターとして生きているのだなと、少し悲しくなった。
イベント中はヒロインが動かなければ、どうにもできない。早く選択肢を選んでくれないものかと苛立ち始めたその時、ヒロインがなにやら小さく呟いていることに気がついた。
「え、なに? なんて仰ってるのか聞こえないのですけれど……」
本来ならば、イベント中は己の立ち位置を移動することも叶わないはずなのだけれど、業を煮やした足に力を込めてみれば、難なく動いてくれた。
あら、近づけるのね。
「あなた、大丈夫なの? ちょっと……」
「……やばいやばいやばいやばいっマジでなんでこんな美麗なの意味わかんない! 運営は神か? 神だったわ。はぁVR万歳! バイト代つぎ込んでよかった〜。目が潰れるくらい美しすぎて、どうにかなってしまうな。なんっで悪役令嬢は攻略できんのじゃ? 百合でもいいやろがい。なぜ百合ルートがないんじゃ? 需要あるってマジで。ご意見ご感想送ったろうかな〜! でもただのお気持ち表明になるのは避けなければ……。いやぁそれにしてもどストレート来ましタワー! ありがてぇっ! 尊っ! 繁忙期だからって死んでる場合じゃねぇ、生きる! そうだよ、私、生きてて良かった〜」
小さい上に早口で、更には外の世界の感覚でまくし立てていらっしゃるようだから、何を仰ってるのかほぼ理解できなかったけれど、悪役令嬢という単語や賞賛されているらしいことは分かったわ。あと、この方は今、興奮して選択肢を選ぶどころではないということなのね? 今までにいないタイプのヒロインだわ……どうしたらいいのかしら。
「ちょっと、DXマヨもりもり様? 少しでいいから正気に戻ってちょうだいな。わたくし、そろそろ帰りたいのだけれど」
「はっ! すみません! えっと……あ、これか、これから選べばいいのか……」
埒が明かないと踏んで、試しに声をかけてみれば、ヒロインへ近づくだけでなく、会話もできた。殿下は真顔で立ち尽くすばかりだから、これは、わたくしがイレギュラーだから可能なのでしょうね。よし、と意気込んだかと思えば、彼女はやっとお決まりの台詞を吐き出した。
「ハロルド殿下、メアリー様を責めないでください。彼女の指摘はもっともです! 私が軽率なばかりにお二人にご迷惑をお掛けしました。申し訳ございません!」
そう言って教室を駆けだすヒロイン。去り際にわたくしの方をチラリと見ていったのだけど、なんとも微妙な笑みを浮かべていたのをハッキリと確認したわ。……本当になんとも言えない表情だったわね。あれは、そう。ニヤけるのを我慢しきれていない感じ、といったところかしら?
残ったのは、役目を終え安堵するわたくしと、ヒロインに声をかけるでも後を追うわけでもなく、名残惜しそうに彼女の走り去った方へ手を伸ばしたまま放心している殿下。イベントは終わったものの、これはわたくしが何かしなければ、殿下が次の行動に移れない仕様というやつなのかしら? 思い返してみれば、確かにわたくしが進めないと殿下はこのままずっと同じ体勢でいたような気がするわ。
こういう時に、しめさば嬢が零した独り言があったわね。えっと、ほら、あの……あぁ、そうだわ。『そして、時は動き出す』よ。
「では、殿下。わたくしも御前を失礼致します。そうそう、先程アレックス様が探しておいででしたわ。側近を撒いてまで受け取る善意とは、一体どういったものでしょうね?」
ヒロインを見送ったなら、あとは早々に場を辞するのみ。置き土産にため息と嫌味をひとつ。これくらいは可愛いものでしてよ。……真の意味で殿下に届いているかは定かではないけれど。
殿下も浅慮というかなんというか……。AIだかなんだか知りませんけれど、ゲームキャラクターとして定められている何かがあるのだとしても、わたくしの指摘に反応して、耳まで赤くなるほど羞恥を覚えているのなら、わたくしと同等の常識は持っていらっしゃるという解釈で、間違いないはず。ならば王族らしく、きちんと行動していただきたいと思ってしまうのは仕方がないことではなくて? 仮にもわたくしという婚約者がいる身で、不誠実と噂されかねない軽率な行動を取るなんて。殿下の言う通り、善意を受け取るだけならば、他の者も同席させて然るべきでしょうに。まぁ、今に始まったことではないのですけれど。
今回はいつ頃婚約解消するのかしら。お守りはもうたくさんよ。
空き教室イベントを終えてからというもの、殿下をはじめとした攻略対象の殿方とヒロインが、一緒にいるところに、よく出くわすようになった。歴代のヒロインを相手にしていた時よりも、格段に多い。これはむしろ、わたくしが現れるのを待っているのではないかと疑いたくなる頻度よ。
本来なら、わたくしに見咎められて気まずくなる場面なのにも関わらず、DXマヨもりもり嬢ときたら、あの時と同様のなんとも言えない笑みを浮かべて、わたくしがどうするのか観察している。正直、気味が悪いわね。一体なんなのかしら。
その後も、彼女は意欲的にイベントを進めていく姿勢に変化はなく、わたくしが知るイベントらしきもの全てを網羅し、しめさば嬢が教えてくれていた攻略対象者である子息たち全員と面識を持つに至っている。
「彼女、この世界に複数いるのではなくて?」
裏庭を見下ろすテラスでお茶を嗜みながら、思わず呟いてしまった。
今は授業終わりの空き時間。生徒は銘々に好きに過ごしている。わたくしはといえば、固定イベントとやらの確認中なわけなのだけれど……。
眼下には、古の宮殿から移築された由緒あるガゼボと、それを中心に据えて整えられた庭園迷路が見える。その迷路の中に、ヒロインと攻略対象者たちがいるのよ。
確か、最初にゴールした殿方とデートをするという約束なのよね。ヒロインを取り合う攻略対象者同士が、売り言葉に買い言葉で、勢いに任せて勝負事に発展させてしまい、ヒロインはその状況が恥ずかしくて、自分も参加して一番にゴールすればデートの話は流れる。というイベントよ。
本来、このイベントに参加する攻略対象者は、『一定の好感度』というわたくしたちキャラクターには見えない条件で選出されるため、歴代のヒロインも、自らを含めた三人、多くて四人でゴールを目指していた。それが普通だったはずなのよ。
今、迷路の中に見え隠れする頭部の数は全部で八つ。ヒロインを除けば、攻略対象者である七人全員が揃っているという、異常事態が起きているの。本当に、ありえないわ。ヒロインが複数存在していると言われた方が、余程納得出来ると思いませんこと?
このイベントに到達するまでに一定の好感度をバランスよく確保しようとしても、どうしても取りこぼしてしまう部分が出てくるのですって。しめさば嬢曰く、このイベント以前に、選択を迫られるサブイベントとやらが複数用意されていて、例えば、ハロルド殿下と彼の護衛騎士であるスペンサー卿のどちらかを選ばなければならない場面では、選ばなかった殿方のイベントはなかったことになり、その時に得られるはずの好感度もまた、手に入らないのだとか。
サブイベントで選ばなかった方の殿方の好感度を上げるためには、時間とお金を犠牲にして、通常行動で得られる微々たる好感度を地道に上げていくしかない。分どころか秒刻みで周回とやらをしなければ、好感度はほぼ据え置きというシビアな条件なのですって。
ゲームバランスというのものが必要なのだとあの方は仰っていた。「簡単に全員攻略できたら、つまんないじゃん」と、それが当たり前なのだと教えてくれた。キャラクターによって好感度の上がり易さに差があるとも仰っていたわ。
「一番 ”チョロい” のがハロルド殿下ということなのだけれど……国の後継者が誰よりも手玉に取りやすいって、どうなのかしら? この世界を生み出した人物は、王子という役割をどういうものだと思っているのよ。設定の詰めが甘いと思うわ」
冷めたお茶で唇を湿らす。マナー違反だと思いながらも頬杖をつき、迷路を目で辿った。
DXマヨもりもり嬢はまるで蝶々ね。あちらの花で羽を休めたかと思えば、こちらの花の蜜を味わうといった具合に、迷路の中を縦横無尽に駆けている。頭の中に迷路の地図がある上に、殿方がどの位置にいるのか正確に知っているみたい。
それにしても、よく体力が持ちますわね。プレイヤーは実際に体を動かしているわけではないらしいから、そう苦でもないのかしら。わたくしの理解の範疇外の感覚に、不思議だわと息をつく。
彼女のふわふわしたくせ毛を見ていて、同じヘアスタイルだったしめさば嬢を思い出した。
──分かりにくいんだけどね、このイベントでは限定アイテムが入手できるんだ──
そう……そうだわ。この迷路イベントは『秘密の小箱』と呼ばれるアイテムを手に入れることが出来る特別イベントだったはずよ! 競走に参加した殿方の分だけ、隠されたアイテムが出現すると、あの方は仰っていたわ。それから、それから……それを手に入れたらどうなるのだったかしら?
中々思い出せなくて、うんうんと唸っていると、ヒロインが先頭でゴールするという、またも予想外な事態を目の当たりにする。
き、僅差でのゴールということは、アイテムをひとつでも取りに行っていたら間に合わないわよね!? それに、デートに行った相手の好感度は大幅に上がるのよ? 攻略対象者全員とイベントに挑んでおきながら、アイテムもデートも……彼女は全て、捨てたというの?
「やった〜! 私が一番ですからね! 皆さんもう喧嘩したらダメですよ?」
わたくしの動揺を他所に、ヒロインの明るい無邪気な声がテラスまで届く。彼女を取り囲むように位置する殿方たちは、残念そうな表情を浮かべつつも、その誰もが安堵しているようにも見えた。
「そうだな。分かったよ、DXマヨもりもり嬢。今後、君の前で争わないと誓うよ」
「最初に嬢ちゃんと約束しちまったからなぁ。仕方ない、俺も殿下と同じく、争わないと誓おう」
「それにしても、お姉様は迷路がお得意なんですか? ちっとも追いつけなかったです!」
「えぇ、私も途中で彼女に会いましたが、足取りに全く迷いがなくて驚きました。もしや最短ルートでゴールされたのでは?」
「それはさすがにないんとちゃうか? いっつもぽけ〜っとしとるから、迷子になる方がよっぽど似合うとるで。なぁ?」
「……そう、だね。迷子になる姿の方が想像できる、かも」
「確かにな。だが迷うどころか、この俺を出し抜くくらいだ。お前、事前に下見でもしてたんじゃあねぇだろうなぁ?」
テラスのすぐ側にゴールがある為、八人の会話は聞きたくもないのに筒抜けなのよね。わいわいとまぁ、うるさいくらい。
ヒロインを中心に、七人の殿方は揶揄ったり和んだり牽制したりと忙しないわ。護衛騎士を筆頭に、学園内に留まらず世に名高い実力者が何人も居るというのに、気配を殺さなくても、わたくしの存在に気づきもしないとは……立派なお花畑共ということね。
驚愕に高鳴っていた心臓も、彼らの空気に当てられて急速に萎んでいった。脱力感がとんでもないわ。
そうこうしているうちに、時報の鐘が鳴ったことでイベントは終了。それぞれが帰路に着く。彼らの背を見送り、わたくしもテラスをあとにした。やはり、例のアイテムが気になって仕方がない。日記を調べないといけないわ。




