イチャイチャ王子がやたらとイチャイチャしてくるのだが!
――この話はイチャイチャ王子がやたらとイチャイチャしてくる。それだけの話である。
♡~
王都の噴水広場を見渡すオープンテラスのカフェは、今日に限って人の輪で囲まれていた。遠巻きに、けれどはっきりこちらを見ている数百の視線。
わたしはラーナ・シェフィールド。そして向かいに座るのはアリステア・ソレイル第五王子。
はい、ご推察の通り、視線の的はわたしたちです。
しかし、アリステア王子はその視線をまったく気にしていない。
銀のスプーンが、琥珀色のプリンをふるふると揺らす。
殿下は涼しい顔のまま、それをわたしの口元へすっと差し出した。
「はい、あーん」
周囲の空気が一瞬だけ止まった気がする。
「殿下、本当にするのですか?」
「もちろんだ」
「いやいや……」
王子が市井のカフェのオープンテラスでお茶をしているだけで異常事態なのに、その上、スプーンでプリンを「あーん」など、あるまじき行為。
王子でなくとも、貴族階級でももってのほか、というか、貴族でなくともちょっと人目を気にしてできない行為。本当に、ガチで、完全にあるまじきです!
「どうした、恥ずかしいのか?」
「と、当然ですっ!」
「ふふ、顔を赤らめているラーナもとってもかわいいよ」
「このような場でおやめください!」
「やめるもなにも、ラーナがぱくっと食べればおしまいだ。さあ、あーん♡」
王子の目がキラキラと輝いている。
整った顔一面に浮かぶ無垢な笑顔。
そもそも王子の願いを断るなどあってはいけないことですが、こんなピュアな笑顔を曇らせるなんて……わたしにはできない。
「あ、あーん……」
わたしは差し出されたスプーンをそっと加える。
唇にふれる寸前の甘い香り。口に含むと、やさしい苦味が舌にほどけていく。
うん、おいしいっ……。
違う、そうじゃない!
いま大事なのは味ではなく……!
この行為がどう見られるかということ。
案の定、わたしと王子の「あーん」、を見届けると、カフェを囲む群衆からどっと歓声が沸き起こった。さらには拍手する人、「きゃーっ」と若い女性から悲鳴のような声も上がった。
無理もない。なにせソレイル王国の宝石ともうたわれる美貌を持つアリステア第五王子の「あーん♡」なのだから。
観衆のひとりがその光景を見ただけで卒倒してしまっている。
当の王子はというと、スプーンを手に持ったまま、うっとりとした表情でわたしを見つめている。
「素敵だ、可愛いよ、ラーナ」
「や、やめてください」
「どうして? 思ったことを口にする権利くらいあるだろう?」
「そうですけど、こんな公衆の面前で……」
王子は周囲の目などまったく意に介していない。ずっとわたしを見て、まるでふたりきりであるかのように振舞っている。
そして……。
「ラーナ、次は私にあーんをしてくれ」
やはり、そう来ましたか……。
王子は目を閉じ、小さく口を開け、じっとプリンの到着を待っている。
改めて見ると、なんて整ったお顔立ち。
ソレイル王国の現国王陛下もその前の国王陛下も代々美姫を妻に迎えており、その血筋がはっきりと顔立ちに現れています。
現在は少々間の抜けた表情をされていますが……。
「殿下さすがにここでは、人目が……」
「なにも悪いことはしていない。だって、あなたは私の妻になるのだから」
「で、でも」
「早くー」
口を開けたまま軽く身体を左右に振る王子。
この状態の王子を長く衆目に晒すわけにはいかない。
「では、失礼します」
わたしはプリンの角をすっと切り取り、スプーンを殿下のほうへ差し出す。
「えっと、……あーん、です」
殿下は素直に口を開き、すっと受け取る。
「おいしい! こんなにおいしいプリンを食べたのははじめてだ」
「そ、そうですか」
「私も一応王子だからね、それなりにおいしい物は食べてきたけど、あなたの〝あーん〟はいかなる調味料にも勝る」
そう言うと、王子はスプーンを手にしたままのわたしの手を両手で握りしめる。
その光景に観客からは再びどよめきと黄色い歓声が上がる。
わたしはたまらず顔を真っ赤にして顔を伏せた。
ラーナ・シェフィールド、17歳。
これがアリステア第五王子の婚約者となったわたしの日常だ。
♡♡~
ソレイル王家が第五王子の婚約者であるわたしに与えてくれたタウンハウス。
その自室に戻るなり、すぐに部屋着に着替えると、ソファに身を投げ出した。
「……カフェであんなに疲れたのははじめて」
「お疲れさまでした。ハーブティーをどうぞ」
すぐにミラが湯気の立つハーブティーを差し出してくれた。
ミラは乳母の娘で、わたしの侍女であり友人だ。縁談が決まったときに、どうしても一緒に来てほしくて、頼み込んで同行してもらったのだ。
カモミールにオレンジとレモンを加えたミラ自慢のハーブティー、それを口に含むと、少し気持ちが安らぐ。
そして脳裏に蘇る今日の光景。
人々の好奇の目、歓声、そして「あーん」。
「わたし、殿下とうまくやっていけるのかな……」
「アリステア殿下がお嫌いですか?」
「そんなことない……」
「では相思相愛じゃないですか」
それはそうなんだけど……。
王子にはじめてお会いしたのはいまからひと月ほど前、王子の私邸でのことだった。
わたしをひと目見るとパッと顔を輝かせてくれた王子。そしてしばらくお話しすると、その笑顔はさらに明るくなったように思えた。
どうやら、わたしを好意的に受け入れてくれたようだ。
そのときはホッとしたのだけれども。
――好意が強すぎる気が……。
その日以来、王子は毎日のようにわたしを誘い出した。
最初は王宮や、庭園、美術館の案内。
そしてソレイル王国の王都リュミエールを紹介するとの名目で街中にまで連れ出されるようになった。
食文化を紹介すると言っては市井の店に入ったり、美しい光景を見せたいと言っては教会の望楼に上ったり……。
「愛情を持って接していただくのはいいことじゃないですか?」
「そうだけど」
――わたしのような者に……
思わず漏れてしまった言葉。
アマレッタ王国の王女と言っても、わたしは一般市民出身の第三婦人の子。子どものころは、下級の田舎貴族と変わらない、飾らない暮らしをしていた。
それが十五歳のとき、政略結婚にあたって女子がいなかったため、わたしは正妻、お義母さまの娘として養子に入り、そこから王女としての教育が始まった。礼装、作法、言葉、舞踏――突貫で習得し、婚約者としてこの国へとやってきたのだ。
わたしのような者が殿下の寵愛を受ける資格があるのだろうか……。
その思いがどうしても拭えないのだ。
まあ、仮に拭えたとしても人前で「あーん」はどうかと思うけど。
ほとんど平民と同じ暮らしをしていたために、市井の店での食事には慣れているが、さすがに人前で「あーん」はない。顔が真っ赤になった。
「きっと、殿下なりのお戯れなのでは?」
「お戯れ……」
「殿下は聡明な方だと聞いています。やるべきところはきっちり締めるはずです。殿下のふるまいはその、異国で不安を抱えているラーナさまの気持ちを和らげるためじゃないでしょうか?」
「そうだといいけど……」
「きっとそうです」
ミラとの会話とハーブティーの香りで少し気持ちが楽になった。
きっと今日のことはただのお戯れだ。
アリステア王子は本当は常識をわきまえた、聡明な方――。
♡♡♡~
――ぜんぜんお戯れじゃなかった!!!!
『第五王子殿下 御婚約宣布祝賀の夕』それは王子の婚約を改めて宣言し、列席者に婚約者であるわたしを紹介する晩餐会。
公爵、伯爵、王族、諸国の使節――並み居る貴賓が集う大広間。そこにわたしと王子は手を繋いで入場したのだった。
もちろんわたしはそんなつもりはなかった。
「これより、第五王子アリステア・ソレイル殿下と、アマレッタ王国の王女ラーナ・シェフィールド殿下をお迎えいたします」
司会者の澄んだ声が大広間に響き、扉が開いた瞬間――。
アリステア殿下が、ためらいなくわたしの手を取ったのだった。
しかも、ただ手を取っただけではなく、すべての指を絡めて繋ぐ、いわゆる恋人繋ぎ。
前代未聞のふるまいだ。
「で、殿下っ……!」
思わず真っ赤になった顔を向けると、王子は穏やかに微笑んだだけだった。
「さあ、行こう、あなたを皆にお披露目だ」
そのまま、わたしたちは手をつないだまま大階段を降りた。
左右からどよめきが走る。貴婦人方は開いた扇の奥から好奇の視線を向けている。
「本日はお集まりいただき、ありがとう。礼を申し上げる」
ゆっくりと階段を下りながら、にこやかに手を振るアリステア王子。
まったく恥ずかしがるそぶりはない。むしろ誇らしげだ。
(カフェでのふるまいはお戯れ――そう思っていたのに)
胸の奥で、予想が音を立ててずれる。
(殿下は、こういう方? 貴族としてのふるまいを、まったく気にされない? もしくはこれにもなにか意図がある?)
わたしの脳裏にそのような想いが交錯するが、いまは恥ずかしさが勝って、戸惑うばかり。そんな思いを抱えながら、列席の方々に挨拶をする。
とんでもない体験だった。
その後も王子はわたしの手を離すことはなかった。
いや、何度か手を離したけれど、その離した手はわたしの腰や肩へと回った。
「どうだ、わたしの妻となる方は、美しいだろう」
「話していてとても楽しい気持ちになるんだ」
「これからの生活が楽しみだ」
しかも王子はわたしのことを褒めそやし続けた。
その都度、わたしは「とんでもございません」と否定するのだが、「とんでもござるよ! 余裕で!」と謎の否定の否定を繰り出す王子。さらに否定しようとすると、先ほど言ったように肩や腰に手が回る……。
もはや、人前で口づけされなかっただけマシ。そう思えるくらいのふるまいだった。
そんな時間を過ごすこと数時間。
真っ赤になり続けた顔の熱を冷ますために、わたしは休憩を願い出て、外気へ逃れる。
バルコニーの扉を開けると、夜風が金の縁取りを揺らし、遠くの庭に灯が点々と続いていた。
扉の陰、ドレスの裾がかさりと鳴る。気配に気づいて身をひそめると、令嬢たちの囁きが耳に入ってきた。
「見た? 手をつないでのご登場なんて、前代未聞よね」
「でも、あれは政治よ。アマレッタとの条約を通すため。世論に“仲の良さ”を刷り込む狙い」
話しかけられた令嬢が即座にそう返答した。
「そうなの?」
「間違いないわ」
「そうよね、セレナは殿下の幼なじみだものね、よく知っているわよね」
「そう、昔から第五殿下を知っているけれど、本来はもっと冷静でクレバーな方。人前で女性とあんな風にデレデレするなんて見たことなかった。間違いないあれは演技」
――あれは演技。
その言葉に火照っていたわたしの頬の熱が急速に冷めていく。
「いま、ソレイルとアマレッタの友好関係はとても重要だから、自分たちが仲良しであることをできるだけアピールしたいのよ。そうじゃなきゃ街であんなことしない」
「そうよね」
「だってこれまでアリステア殿下は街で食事なんてしたことなかったもの」
風が一段冷たくなった気がした。
(――なんだ、やっぱりそうか。あれはパフォーマンスなんだ……)
自分でつけた結論に、少しだけ、遅れて痛みが追いつく。
扉の向こうからは、再び音楽が満ち始めていた。
♡♡♡♡~
『御婚約宣布祝賀の夕』が終わり、王城の私室に通される。扉が閉まる音が、外のざわめきを完全に断ち切った。
次の瞬間、アリステア王子はいつもの――いえ、いつも以上の距離で近づいてくる。
「お疲れさま。よく頑張ったね」
手袋を外した手が、そっとわたしの髪を耳にかけ、肩のラインを確かめるみたいに滑る。
その手が肩から背中へと回ったところで、わたしは一歩後ろに下がる。
「殿下、近いです」
「そうだね。ふたりきりだから」
再度、腰に回そうとした王子の手をわたしは逃れるように払う。
「……どうかした?」
「……いえ」
「さっきから、顔がさえない。イヤだった?」
イヤ、ではない。でも胸が少し傷んだのも事実だ。
バルコニーで聞いた言葉が耳の裏にこびりついて離れない。
わたしは意を決して、正面から王子を見つめる。
「殿下のふるまいは――その、国の友好関係を示すためのパフォーマンスなんですよね?」
王子は少しだけ瞬きをしてから、静かに頷いた。
わたしの前ではいつも笑顔だった端正な顔から笑顔が消えている。
鋭利な知性を感じさせる鋭いまなざし。
「たしかに、それはそうだ」
声色からも甘さが消え、理知の色に移り変わっている。
「ベルフェリア停戦が成立したいま、ソレイルとアマレッタが結ぶ通商は、大陸の平和を支える血流だ」
長らく戦争中だったソレイルとアマレッタの二国間で停戦が成立したのは一昨年のこと。大国同士の戦争は国力を大きく減じ、いまソレイルは経済を立て直す必要がある。そこで目を付けたのがベルフェリアと友好関係にあったアマレッタとの通商だ。
「関税を段階的に下げれば物流は滑らかになり、港湾の整備は雇用を生む。君の国の織物は我が国の冬を温め、我が国のガラスは君の国の春祭を照らす。数年で交易路の安全保障も強くなる。飢饉や寒波の影響も相互に吸収できる。アマレッタは元は敵国側、まだまだ反対派が多い。だからこそ私は民に私たちの友好を見せる」
論理的な言葉がすべるように紡がれる。
――ああ、これが殿下の本当の姿だ。冷静で、正確で、世界を俯瞰している。
胸の奥で何かが小さく軋むのを感じながら、わたしは微笑を整える。
「よく分かりました。……でしたら、お願いがございます」
「なんでも」
「これからは、ふたりきりのときは〝本当の姿〟を見せてくださいませ。」
王子の事情はよくわかった。
ならば人の目のないところでは無理はさせたくない。
それにわたしもウソを見たくはない。
王子の瞳が、わずかに和らいだ。
「――そうしよう。約束する」
暖炉の火がぱちりと鳴る。
わたしは小さく息を吐いて、気持ちを整理する。
(これは政略結婚。わたしはその駒。そもそも駒になるために養子に出されて作られた姫なのだから)
――危うく勘違いしてしまうところだった。
(わかっていたこと。それでいい。わかっていれば傷つかない)
そう言い聞かせると、不思議と肩の力が抜けた。
「本日はこれにて失礼しようかと思います」
「うん。おやすみ、ラーナ」
「おやすみなさい、殿下」
わたしが退出すると、王子の私室の扉が閉まる。
それと同時に、開かれていたと錯覚していた、王子の心の扉も閉じてしまったような気がした。
♡♡♡♡♡~
翌日、わたしと王子はかねてより予定されていた、とある聖人の没後百周年のセレモニーに参加するために、中央教会を訪れ、参列した方々に大いに仲睦まじさをアピールした。
そして、つつがなくセレモニーは終わり、ふたりは王子の私邸へと戻る。
――ここからは王子とわたしのふたりきりの時間。
「ラーナ、ちゅーしようっ♡ ねーねーっ♡」
「ちょっ! 殿下!」
「なんで、いいじゃん、ちゅーしようよー!」
唇を尖らせてわたしに向かってくる王子をステップバックで回避する。
「殿下、ふたりきりのときは本当の自分を見せると約束したじゃないですか」
「だから、これが本当の私だ!」
尖らせた唇を戻し、キリリとした表情で答える王子。
「ど、どういうことです?」
「どういうこともなにも、〝本当の姿を見せろ〟と言われたから、そうしている。それだけのことだ」
「え、それは――理知的な、昨夜のような殿下の姿を……」
「それこそ表向きの姿だ。」
王子はさらりと言い切る。
「私の本当の姿は、国一番の〝イチャイチャしたがり〟だ!」
「………………え?」
「皆の前で見せていたのは、見せられる範囲のイチャイチャに過ぎない。国民を不安にさせないよう配慮した、控えめの、いわばイチャだ」
イチャ……。
イチャイチャのさわりだけという意味でしょう。
「あんまりやると、私たちが馬鹿のカップルだと思われてしまうからな。それは両国にとって非常にマズい。仲睦まじく、イタくない夫婦であると思われないと」
「そ、それはもちろん……です」
「そしてこれが私の本気のイチャイチャ、いや、イチャイチャイチャイチャだ!」
再び王子の唇が鳥のくちばしのように尖る。
そして、その鳥がついばもうとしているのはわたしの唇。
「その素敵な唇にキスさせてくれ」
「それは、その……朝、お会いしたときに……したじゃないですか」
「それはおはようのキスだ。これはお疲れ様のキスだろう!」
鳥のような口でわたしを追いかける王子。
わたしはそれを子供の鬼ごっこのようにきゃーきゃーと逃げる。
「約束したのはあなただからね。さあ、ふたりきりの時間を思う存分過ごそうじゃないかっ!」
そう高らかに宣言すると、王子は再度口を尖らせて、わたしを追いかける。
「約束はしましたが、王子としての節度を持ってお願いします!」
「イヤだ! 節度など守らんっ!」
伸ばされた王子の両手からわたしは身をひるがえして逃れる。
スカートの裾が楽しげにふわりと踊る。
逃げられた王子は再びわたしのほうへと向き直る。
ずっと口を尖らせているせいで、王子の整った顔が台無しだ。
――そろそろ捕まってあげようかな。
その姿を見て、わたしはそう思ったのだった。
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