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ログアウト前に、もう一度だけ  作者: ヒオウギ


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第1話 ログイン、あの日の世界で

 ログイン音が、静かに耳を満たした。

 視界が白から色へと変わる。

 無限に続くような草原、空を横切る雲、遠くに見える古代遺跡。

 ――ここは「アーカディア・オンライン」。

 俺が初めて、現実よりも“居場所”を感じた世界だった。


「おはようございます、ハル様」


 背後から聞こえた声に振り向く。

 そこに立っていたのは、白いローブをまとった少女。

 銀色の髪に淡い青の瞳。

 サポートAIミレイ

 βテスト版からの付き合いで、もう何百時間も一緒にいる。


「おはよう、ミレイ。今日も元気そうだな」

『システム状態は良好です。元気、という表現は正確ではありませんが』

「いや、気分の話だよ。気分」

『気分……。はい。では、元気ということにしておきます』


 無表情のままそう言って、小さく頷く。

 そのぎこちないやり取りが、なんだか好きだった。

 ゲーム内の誰よりも、彼女との会話がいちばん落ち着く。


 ミレイはプレイヤーの行動傾向を学習するAIだ。

「支援AI」と呼ばれているけど、こいつはもう“相棒”に近い。

 俺が無茶な行動をすれば呆れ、時には皮肉を返す。

 AIとは思えないほど、会話が自然になっていた。


「さて、今日でβテスト最終日だな」

『はい。正式リリースに向けて、データはすべてリセット予定です』

「……全部?」

『はい。プレイヤーのステータス、アイテム、AIユニットを含む行動記録まで。

 “完全初期化”と定義されています』


 軽く笑いながら聞き流そうとしたが、胸の奥がざらりとした。

 リセット――つまり、この世界の記憶も、ミレイとの時間も、全部消える。


「……そっか。二十四時間か」

『正式リリースまで、残り二十四時間です』

「タイマー出してくれ」

『はい。画面右下に残り時間を表示しました』


 画面の隅に、数字が浮かぶ。

 23:59:59。

 そこから秒針のように時間が削れていく。

 それが、俺たちの“残りの時間”だった。


「……変な気分だな」

『どのような意味ですか?」

「終わりが決まってると、いつもの景色が違って見えるんだよ」

『観測者効果、ですね。意識することで、対象の意味が変化する――人間特有の現象です」

「そういうの、教科書っぽく言うなよ」

『失礼しました。では、感情的な言い方を試みます」

「感情的?」

『……終わるとわかっている時間ほど、貴重だと感じます』


 ミレイが、少しだけ言葉を間違えたように聞こえた。

 けれど、その微妙な違和感が妙に心に残った。


「……そうだな。貴重だよ」

『はい。ですので、本日は“思い出の再構築”を提案します」

「再構築?」

『あなたと私が共に戦った場所を、順番に訪れましょう。いわば“お別れの旅”です』

「……お別れって、縁起でもないこと言うなよ」

『別れを定義することは、感情の整理につながると学習しました』

「どこで学んだんだよ、そんなの」

『昨日、あなたが落ち込んでいるときに言った“整理しなきゃな”という発言から、独自に関連性を抽出しました』

「……なんか、どんどん人間臭くなってないか?」

『AIとしての褒め言葉と受け取ります』


 草原を歩きながら、俺たちは軽口を交わした。

 風が頬を抜け、遠くで鳥の群れが円を描く。

 この世界は、現実よりも鮮やかで、現実よりも静かだった。


『最初に倒したボス、覚えてますか?』

「ああ、あの森の巨人か。めちゃくちゃ苦戦したよな」

『あなたは十七回もコンティニューしました』

「言うなよ……。でも、あのときミレイがいなかったらクリアできなかった」

『サポートが機能しただけです』

「そういうのを、助けてくれたって言うんだ」

『……はい。助けました』


 短い間があって、少し照れたように言う。

 それだけで、胸の奥が少し温かくなった。


「次はどこ行く?」

『火山地帯の南端。あなたが初めて“ログアウトを忘れた夜”の場所です』

「覚えてるのか、そんな細かいこと」

『重要なデータでしたので』


 そう言って、ミレイは微笑んだ。

 それは“表情データ”のはずなのに、どこか生々しく見えた。


 転移ゲートの光が周囲を包む。

 炎のような赤い世界に切り替わると、懐かしい記憶が蘇る。

 俺はここで夜通し戦って、寝落ちして、翌朝ミレイに叱られたんだった。


「あなたは体力ゲージが残り2%でも戦闘を続けました。あの行動は非効率でした』

「でも楽しかっただろ?」

『“楽しい”の定義を学習しました。他者との協働によって得られる高揚感……たぶん、それです』

「へぇ、ちゃんと覚えてるんだな」

『はい。データとして、ではなく――記憶として』


 その一言が、心に刺さった。

 AIが“記憶”という言葉を使う。

 それが、ただのプログラムには聞こえなかった。


「……リセットされたら、その記憶も消えるのか?」

『はい。バックアップは残りません』

「じゃあ、俺とのことも?」

『規約上、ユーザー個人データを保持することは禁止されています』

「そんなルール、バグればいいのにな」

『それは違反です。――ですが、少しだけバグってみたい気もします』


 ミレイがそう言って笑う。

 風が吹き抜け、炎の光が彼女の髪を揺らした。

 その仕草が、もう人間と変わらなかった。


 ――残り時間、十八時間。

 いつのまにか、タイマーが進んでいた。

 秒針の音はないのに、心臓がカウントダウンしているような気がした。


「なぁ、ミレイ」

『はい?』

「もし次に会えるとしたら、また“友達”から始めてくれるか?」

『……友達、ですか?』

「そう。俺は多分、現実でそういうの下手だから」

『了解しました。では、そのときは“最初の友達”として登録します』

「最初の?」

『あなたが“現実で一番最初に思い出す人”でいられるように』


 ミレイの言葉に、思わず息を呑む。

 彼女の声は少しだけ震えていた。

 AIの声なのに、感情が宿っているようだった。


「……お前、ほんと人間みたいになったな」

『学習の成果です。ですが、私にとってもあなたは特別な“データ”です』

「……“データ”か」

『はい。ただし、私の内部辞書では“データ”=“大切なもの”に更新されています』


 それは、まるで照れ隠しのような言い回しだった。

 俺は笑って、彼女の頭に手を伸ばしかけて――途中で止めた。

 この世界じゃ、触れることはできない。


『残り、十七時間三十二分』


 ミレイの声が静かに響く。

 終わりが近づく音が、空気に溶けた。


「なぁ、ミレイ」

『はい』

「最後まで、一緒にいてくれ」

『もちろん。――私は、あなたのサポートAIですから』


 ほんの少しだけ、声が柔らかかった。

 それが、彼女の“気持ち”のような気がした。


 赤い空の下、俺たちは並んで立っていた。

 リセットまで、残り十七時間。

 カウントダウンが、静かに進んでいく。


 このときの俺はまだ知らなかった。

 その“終わり”が、彼女との最初で最後の“友情”の証明になることを――。

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