甘い風が導く狩猟の日々
朝靄の残る森の中、湿った空気が鼻腔をくすぐる。
木漏れ日が差し込む細い獣道を進みながら、肩に乗るシルフへ視線を向けた。
「今日も頼むぞ、シルフ」
「ぴぴゅっ!」
小さな羽を震わせて応えるシルフが、微かに甘い香りを漂わせる。
ミニマップの端に青い点が三つ。スライム二体とホーンラビット一体だ。
「じゃあ、《甘い風》でまとめて誘導だ」
シルフがふわりと宙に浮き、両手を広げる。
花弁のように広がった淡い緑の風紋が、周囲の空気に甘い香りを乗せる。
スライムたちが揺れるように跳ね寄り、ふらふらと俺の方へ近づき始めた。
「よし……こっちだ」
足音を殺し、森の小枝を踏まないよう慎重に後退しながらダンジョン入り口へと誘導する。
だが、その途中で茂みを割ってホーンラビットが突っ込んできた。
額の小さな角が朝の光を反射し、白く閃く。
「シルフ、上に!」
「ぴゅっ!」
シルフがふわりと上空へ避け、俺は突進を半歩ずらして回避。
視界の端で《多対一》のスキルアイコンが点灯した。
「……え、シルフがいるのに発動してる?」
戦闘中にも関わらずシステムウィンドウを確認すると、小さく一文が表示されていた。
使役モンスターはパーティメンバーに含まれません
「……そういうことか。なら助かる」
俊敏性がわずかに上がった身体でホーンラビットの突進をかわし、木の棒で肩口を叩きつける。
続けざまにシルフが《ウィンドボール》を放ち、風の塊がホーンラビットを弾き飛ばす。
足元の罠が踏まれ、鈍い音と共に地面が崩れ落ちた。
「スライムもまとめて落ちろ」
誘導されたスライムたちも次々と落とし穴に沈んでいく。
静寂を取り戻した森の中で、羽音だけがさらりと響いた。
狩りを終えて、ダンジョンで腰を落ち着ける。
小さな焚き火の横に腰を下ろし、今日の戦利品を広げた。
スライムゼリー ×12
ホーンラビットの角 ×3
ホーンラビットの皮 ×2
「……まあ、悪くないか?」
掌に乗せたゼリーが火の光を受け、ぬるりと揺れる。
今日はスライムとホーンラビット合わせて十体ちょっと狩った。
感覚的には頑張ったつもりだけど──ふと、ほかのプレイヤーのことを思い出す。
掲示板では「初心者でも1時間で素材30個集める方法!」なんてスレが乱立していたっけ。
初期勢の動画をちらっと見た時も、木剣一本で一時間に二十体以上の狩りをこなしてた。
……それに比べたら、俺の成果はお世辞にも効率的とは言えない。
「やっぱ、まだまだ初心者ってことか」
ぽつりと呟くと、肩の上のシルフが「ぴぴゅ?」と首を傾げた。
小さな羽を震わせるその仕草に苦笑いしながら、袋に素材をしまっていく。
「いや、でも俺の場合、条件がちょっと違うしな」
俺は戦闘職じゃない。
ダンジョン経営者っていう、βテスト時点で**「地雷職」**と呼ばれた不遇職だ。
序盤火力なんて期待できないし、そもそも俺の狩りはダンジョンを拠点に《甘い風》で誘導して落とし穴に落とす、いわば罠ハメ戦法。
時間はかかるけど、事故死リスクを減らせるやり方だ。
実際、このプレイ期間でレベル11まで上がっているのは、奇跡的に近いはずだ。
普通のプレイヤーなら、初期勢であってもここまで効率よくは育たない。
それに、銀級コインで召喚したシルフの存在が大きい。
「……シルフがいなかったら、今ごろレベル8とか9だろうな」
肩で「ぴぴゅっ」と得意げに羽を揺らすシルフを見て、思わず頬が緩む。
それと同時に、胸の奥に少しだけ焦りが残っているのも事実だった。
「イベントまであと二日……戦闘職の初期勢は、もうレベル30近いらしいからな……」
自分のレベルを思えば、浅層で素材集めが限界かもしれない。
それでも──参加はするつもりだ。
この不遇職がどこまで食らいつけるか、自分でも知りたい。
ゼリーの入った小瓶を袋にしまい込み、ふぅと一息つく。
森の匂いが染みついた風が吹き抜け、小さな火がぱちりと音を立てた。
素材は地味だが、今日までの成果は確かに積み重なっている。
「……悪くない。まだやれる」
そう口に出すと、不思議と胸の奥のもやもやが少し軽くなった。
肩の上でシルフが小さく頷いたように見えて、思わず笑ってしまう。
――――――――――――――
戦利品を袋にまとめ終えると、俺はメニューから〈街テレポート〉を呼び出す。行けるのは一度踏んだ街だけ。迷わず目的地にウィルドレストを選んだ。
光に包まれ、一瞬だけ足裏の感覚が宙に浮く。視界が開けると、見慣れた石畳が足元にあった。
前に来たときよりも賑やかだ。広場の掲示板には紙が増え、**「封印の遺跡 探索協力のお願い」**の張り紙を人だかりが取り囲んでいる。道端には臨時の露店が増え、乾いた香辛料の匂いと炭火の煙が混ざって鼻をくすぐった。兵士の巡回も多い。イベント前の空気ってやつだ。
「……戻ってきたな、ウィルドレスト」
口にすると、肩のシルフが小さく「ぴぴゅっ」と鳴く。最初に来たときはただの通りすがりだったが、今は拠点に戻った感覚がある。少しだけ胸が軽い。
「おう、坊主! また見ねえ顔――いや、見た顔だな!」
声の方を向くと、前回も世話になった肉串の屋台の店主が手を振っている。布の鉢巻き、がっしりした腕、鉄串の先で脂がぱちぱち弾けていた。
「この前のお礼、ちゃんと言ってなかったですね。あの肉串、助かりました」
「へっ、いいってことよ。……おっと、今日は客が多くてよ。遺跡の噂で腹ぺこが増えた増えた。王国の研究機関がどうのって張り紙見たか?」
「さっき。期間限定で開放、終わったら封鎖、ですよね」
「そうそう。だから今のうちに稼ぐ連中で街は大賑わいさ。――で、坊主は行くのか?」
「浅層だけ、様子見で」
「堅実でいいねぇ。なら腹に入れてけ。今日はちゃんと金取るけどな、商売だから!」
「もちろん」
笑って肉串を一本受け取る。炭の香りと脂の甘さが混ざって、胃袋が前のめりになる。表示には〈15分間、攻撃力+5%〉。前は貰い物だったが、今日は自分で払う。小さな違いだが、こっちの方が落ち着く。
「気ぃつけろよ。浅層でも群れに囲まれたらひとたまりもねえ。回復手段はあるか?」
「相棒が、少し」
肩のシルフが店主の前をくるりと一回転する。店主は目を丸くし、眉を寄せた。
「……おいおい坊主、森の妖精を連れて歩いてんのか? 本物を初めて見たぜ」
「えっと、フェアリーです。勘違いされがちですけど」
「? 世の中広いなぁ……。ま、なんであれ頼りになりゃ文句なしだ。――健闘を祈るぜ」
代金を払い、軽く会釈して広場を離れる。屋台の煙が背中を追いかけてきた。視界の端で、金属鎧の集団が装備の最終点検をしている。反対側ではローブ姿が巻物を照らし合わせ、弓持ちは軸を回して弦の張りを確かめていた。どれも洗練された動き。初期勢の戦闘職だろう。三十近いレベルの空気は、遠目にも分かる。
ふと、掲示板の端に目が止まる。臨時雇いの募集、薬草の買い取り強化、浅層の地図求む。文字が踊るたび、街の温度が一度ずつ上がるようだった。俺は剣のグリップを握り直し、ゆっくり深呼吸する。
「さて、ギルドで換金して――」
「リオくんじゃん! また会えたね!」
振り返るより先に分かる声。ユフィだ。
前に街で偶然会ってから、それほど日が経っていないはずなのに、彼女はそのときと同じ調子でまるで友人にでも会ったみたいに声をかけてきた。
「ユフィさん、お久しぶりです」
自然に返したつもりだったが、少し声が硬かったかもしれない。
オンラインゲームでは、こうやって他のプレイヤーと軽く言葉を交わすことすら俺にはまだ慣れない。
だけどユフィは違う。最初から思っていたけど、この人はたぶん──コミュ力が高い。
彼女は深緑のローブを揺らしながら、ぱたぱたと駆け寄ってきた。
肩にかけた革ポーチは新しいものに見える。イベント準備の真っ最中なのだろう。
「っていうか、なにそれ……リオくん、その肩!」
「ああ、これですか。……えっと、こいつはフェアリーで」
「フェアリー……召喚モンスター!? 本物!? うわぁ、初めて見た……」
彼女の目が驚きで丸くなる。その反応は少しだけ誇らしい。
森の妖精ですら遭遇率が低いって言われてるのに、フェアリーなんてほとんど見かけないはずだ。
「名前つけてるの?」
「はい、シルフって呼んでます」
「そっか。じゃあ──シルフちゃんね!」
「ぴぴゅっ!」
シルフはユフィの声に反応するようにくるりと宙を一回転した。
その仕草にユフィが小さく笑う。
シルフがこうして空気を柔らかくしてくれると、俺みたいに人付き合いが苦手なやつでも少し話しやすい。
……そういう意味でも、本当に助かってるんだよな。
「イベント、もうすぐですよね」
「うん。《封印の遺跡》。あさってから一週間限定で解放されるってやつ」
ユフィは視線を掲示板の張り紙に向けて、小さく頷いた。
「私も行くつもりだけど、薬師だから浅層で素材拾うくらいかなぁ。深層は無理無理」
「やっぱり……深い階層はレベル差的にきついですか?」
「うん。初期勢の戦闘職はもうレベル30近いって噂だし。
私はLv15だから、戦闘力ゼロみたいなもん。まあ、薬とバフ要員かな」
「俺、今Lv11です」
「え、リオくんで11!? この短期間でそれはすごいよ」
「シルフのおかげです」
「ふふ、シルフちゃん優秀なんだね」
「ぴぴゅっ!」
また一回転してみせるシルフに、俺とユフィは同時に笑った。
相手が笑ってくれると、思ったよりずっと気が楽になるんだな……。
「……ユフィさんは、一人で行くんですか?」
「うん、そのつもり。浅層で素材を拾ってポーション材料にする予定」
「……よかったら、一緒に行きませんか?」
口に出した瞬間、少しだけ胸の奥が熱くなる。
俺からこういうことを言うのは珍しい。
けれど、シルフが回復もできるし、ユフィの薬やバフと組み合わせれば、浅層探索くらいは余裕があるはずだ。
「えっ……いいの? じゃあ、行く!」
ユフィの返事はあっけないほど早かった。
それと同時に、俺は気づく。
この人はたぶん、「行動の速さ」で他のプレイヤーとの関係を広げているんだ。
初対面みたいな空気でも、あっという間に距離を縮めてくる。
俺にはない強みで、ちょっと羨ましい。
「じゃあ、一緒に頑張ろうね、リオくん。シルフちゃんも!」
「ぴぴゅっ!」
シルフが小さく羽を鳴らすと、ユフィの目が細められて笑顔になる。
なんとなく、三人でパーティを組むイメージが浮かんで、胸が少しだけ軽くなった。