ダンジョン拡張とウィルドレストの街
投稿する話を間違えてしまいました。すいません。続きはこちらです。
ログイン直後、リオはダンジョンの入り口に立っていた。
前回まで、ここはただの「学校の教室」ほどの狭い部屋だった。床も壁も無骨な岩肌がむき出しで、装飾らしい装飾は一切ない。だが今日は違う。
「よし……初めての拡張だ」
メニューを開き、《ダンジョン拡張》を選択。
広さ拡張には100DP必要。ポーチに握りしめたモンスターコインを確認し、深呼吸してから決定ボタンを押した。
次の瞬間、視界が淡い光で包まれる。
ぐわん、と空間が震えたような錯覚のあと、石壁が奥へとゆっくり押し広がっていく。
床も同時に奥へとせり出し、天井は一定の高さを保ったまま、静かに、しかし確実に部屋の容積が増していく。
「おおお……広い……!」
さっきまで圧迫感しかなかった小部屋が、一気に倍以上の広さになっていた。
体感で二教室ぶん。ゲーム内の空気が一気に広がったように感じられる。
しかし、その感動はすぐに「違和感」に塗り替えられた。
「……あれ?」
足元を見回し、視線を壁へと移す。
増築されたはずなのに、部屋の形は完全な正方形のままだった。
床の模様も壁の岩肌も一様で、整然と四角く切り取ったような空間が広がっている。
「ダンジョンって、もっと洞窟っぽくないか……?」
これまでβ時代の動画で見たダンジョンには、巨大な大広間や、天然の洞窟を思わせる曲がりくねった通路、地下水脈に沈む水場なんかもあったはずだ。
ところが、今の自分のダンジョンはまるで「無機質な倉庫」だ。
首を傾げながらスキルメニューを開き、《ダンジョン経営》スキルの詳細を改めて読み込む。
そこで、重要な仕様を一つ見つけた。
【拡張】とは、使える「総面積」を増やすだけである
入口付近を狭めて壁で埋めた場合、埋めた分だけ別の場所を広げられる。
逆に、無計画にただ広げると、貴重なDPを無駄に使うだけになる。
「……そういうことか」
つまり、拡張すると「ダンジョンに使える総面積」そのものが増えるだけで、形状はプレイヤー次第だ。
入口を狭くすれば深部を広げられるし、長い通路を作れば自然と侵入者を疲弊させる構造にもできる。
「うわ、これ……奥が深ぇな」
ようやくゲームタイトルの「フロンティア」の意味を実感する。
ただ罠やモンスターを置くだけじゃなく、**“ダンジョンを設計する”**こと自体が攻略の一部になっているのだ。
だが当然、今のリオにはそこまでの余裕はない。
モンスターを配置するためのコインは1枚しかないし、罠設置にもDPが必要だ。
「ここで無計画に広げても意味ないよな」
広さを増しただけで、罠もモンスターもなければ、侵入者が来た瞬間に蹂躙されるだけだろう。
まだまだ、何もかも足りない。
「でも……面白いな、これ」
苦笑が漏れた。
他プレイヤーから「ネタ職」「不遇職」と笑われる理由が、少しだけわかった気がする。
だが、同時に「この職業にしかできないこと」があるという確信も芽生えていた。
――やっぱり、やる価値はある。
ダンジョンの拡張を終えたリオは、次の行動を考えるためにメニューを開いた。
マップを表示すると、自分の現在地が小さな青い点で示されている。そこから東に広がる深い森を抜けた先──小さな赤いマーカーが点滅していた。
「……町、か」
マップ上に表示されていたのは、初期リスポーン地点である町。名前はウィルドレストというらしい。βテスト時代からプレイヤーの拠点としてよく使われていた場所だ。
ただし距離を見ると、決して近くはない。
リアル時間でおそらく2〜3時間は歩かなければならないだろう。
「……まぁ、行くしかないよな」
今のリオは一文無しだ。初期武器の棒一本しか持っていないし、回復ポーションもない。
いくらダンジョンを拡張したところで、モンスターも罠もなければ無意味だ。
まずは町に行って、素材や装備、ポーションを手に入れる必要がある。
「よし、ウィルドレストを目指しながら狩りもしよう。ゼニーと素材も稼がないと」
木の棒を手に握り直し、森へと足を踏み入れた。
森の中は湿った草の匂いが濃く、木漏れ日がまだらに地面を照らしている。
地形は緩やかな起伏を繰り返しており、根の張り出した木々の間を縫うように進む。
βテスト時代に「序盤の森は狩場」と言われていただけあって、モンスターの姿もちらほら見かけた。
「お、いたな」
ぷるぷると揺れる半透明のスライムが、木の根元でぴょんぴょん跳ねていた。
リオは慎重に距離を詰め、木の棒で軽く突くと、スライムが振り向いて弾むように飛びかかってきた。
「よし、来い!」
タイミングを合わせ、棒を横に振る。
ぺしっ、と湿った音を立ててスライムが弾けた。
慣れた戦いだ。
ドロップしたのは、定番のスライムゼリー。
薬品や料理素材に使えるらしいが、序盤では大した金額にはならない。
「まぁ、ゼリーはゼリーでいいか」
再び歩き始め、近くの草むらで次のスライムを発見。
今度も同じように誘い込み、一撃で仕留めた──そのときだった。
草の影に、微かに光るものが落ちている。
しゃがんで拾い上げると、手のひらに収まる小さな円盤だった。
「……っ、これ、モンスターコインじゃねぇか!」
画面端に小さく表示が出る。
モンスターコイン(無属性・木級)を獲得しました
「き、きたぁぁぁ……! 本当に出るんだな……!」
βテスト時代から「ドロップ率1%」と言われていたコイン。
数時間のプレイで引けるなんて、まさに幸運の女神が微笑んだような気分だった。
震える指でコインをじっと見つめる。
無属性らしく装飾はなく、表面には木の葉のような刻印だけが彫られている。
「よし、この調子で……もう1枚くらい……」
テンションが上がったリオは、そのまま周囲を探索しながら狩り続けた。
それからさらに30分ほど歩いた頃。
また1匹のスライムを見つけて棒を振るうと──
「……あれ? もう1枚……?」
草むらに落ちていたのは、先ほどとは少し違う色合いのコインだった。
拾い上げて確認すると、今度は淡い水色に透けたような表面に、スライムを模した紋章が刻まれている。
モンスターコイン(スライム属性・木級)を獲得しました
「……は? 今年の運、全部使い切った?」
思わずつぶやき、額に手を当てた。
まさか1時間足らずでコイン2枚。しかも両方木級とはいえ、違う種類だ。
「ってことは……同じモンスターからでも、違うコインが出る……ってことか?」
βテスト時代の掲示板を思い返す。
コインには属性がある──そう言われてはいたが、ここまで実感できたのは初めてだ。
「つまり、モンスターの属性ごとに違うコインが設定されてる……っぽいな」
その仕様に気づいたことで、リオの中で「コイン集め」という要素の奥深さが一気に増した。
特定のモンスターを狩れば狩るほど、その属性に強いモンスターを引けるチャンスが増える。
逆に偏らせたくなければ、いろんな種類を倒す必要があるわけだ。
「うわ、考えること多すぎだろ……」
呆れ半分、興奮半分でつぶやく。
やはりこの職業、やることは多いが、やり込み甲斐は抜群だった。
コイン2枚を大事にポーチへしまい込み、リオは再び街を目指して歩き出した。
――――――――――――――――――
森を抜けると、視界が一気に開けた。
木々の隙間から現れたのは、灰色の石壁に囲まれた中規模の街──ウィルドレストだった。
西洋風の尖塔を持つ建物が並び、赤茶けた屋根瓦がまるで絵画のように美しい。
「……おお……すげぇ……」
ログインしてから初めて、人の営みを感じる場所に足を踏み入れる。
木造の店が立ち並び、露店の看板には手書きの文字と装飾。
大通りには冒険者らしい装備をしたプレイヤーとNPCが入り混じり、武器を背負った者、薬草を抱えた者、果物を売る者──雑多で、しかし活気にあふれた空気が漂っている。
リオは思わず立ち尽くしてしまった。
胸に広がる高揚感と没入感に、しばし視界のすべてを見渡すだけで精一杯になる。
「坊主、初めてか?」
低く渋い声に振り返ると、通り沿いの屋台で串焼きを焼いていた大柄な男がこちらを見ていた。
顔は日に焼け、頬に無精髭をたくわえた、いかにも豪快そうな男だ。
焼きたての肉の香りが風に乗って鼻をくすぐる。
「えっ、あ、はい……」
「ははは、ド田舎から来た坊主かい? ここは王都ほどじゃねぇが、まあまあ大きな街だ。いいとこだろ?」
「すごいです……なんか、世界が広がった感じで」
言葉にすると安っぽくなるが、本心だった。
男はそんなリオの様子を見て笑いながら、串を数本、鉄板からひょいと取り上げる。
「ほれ、焼き立てだ。一本食ってけ。ここの特製スパイスはちょっと癖になるぜ」
「あ、ありがとうございます……でも、俺、今お金なくて」
「気にすんな。こういう顔してる初心者はよくいるんだ。ウィルドレストは初めての冒険者の街だからな」
そう言って渡された串焼きからは、香ばしい匂いが漂ってくる。
恐る恐るかじると、じゅわっと肉汁が口いっぱいに広がった。
「うまっ……!」
「だろ? ちなみにそれ、ただの飯じゃねぇぞ」
「え?」
画面端に表示されたアイテム説明を見ると、驚くことが書いてあった。
【ウィルドレスト名物:特製肉串】
食用アイテム。食べると**15分間攻撃力+5%**の効果。
「食事バフ……あるんだ」
「冒険者ってのはな、腹を満たすだけじゃなくて、体の調子も整えて狩りに臨むんだよ」
思わぬ発見に、ゲームの奥深さを実感する。
肉串を平らげた後、リオはギルドや薬屋の場所を教えてもらい、
「今度来たときはちゃんと金を払って串買います」と頭を下げた。
「ははっ、楽しみにしてるぜ。稼いでからまた来な」
ギルドは大通り沿いの大きな建物だった。
分厚い木の扉を押し開けると、酒場のようなざわめきが広がる。
クエスト掲示板の前ではプレイヤーたちが群がり、奥のカウンターでは受付のNPCが冒険者たちを手際よくさばいていた。
「すみません、冒険者登録したいんですけど」
声をかけると、眼鏡をかけたNPCの女性が優しく微笑む。
「はい、ではこちらへどうぞ。登録手続きは初めてですか?」
「はい」
「冒険者は、モンスター討伐や素材納品などの依頼を受けて活動する仕組みです。ランクはGからSまで。最初は全員G級からのスタートになります」
「G級……一番下ですね」
「最初は皆さんそこからです。頑張れば、上位ランクの依頼も受けられるようになりますよ」
そう言って、魔法陣のような紋章に手をかざすと、システムウィンドウが立ち上がり、リオの名前の横に「G級冒険者」の文字が表示された。
「これで登録完了です。ちなみに討伐した素材はギルドで買い取りますが、端数は切り捨てになります」
「じゃあ、これお願いします」
リオはスライムゼリーとホーンラビットの角、皮をまとめて渡す。
計算結果は──150ゼニ。
「……思ったより安いな」
「序盤はそんなものです。妖精の鱗粉は残されるんですか?」
「ええ、大事に持っておきたいので」
小さな革袋に入った150ゼニを受け取り、財布にしまう。
ギルドで冒険者登録を済ませ、手元には150ゼニ。
スライムゼリーとホーンラビットの角、皮をすべて売った報酬にしては微妙な額だ。
正直、このままじゃ装備を揃えるどころか、ポーションだってろくに買えない。
ため息をつきながら大通りを歩いていると、視線の先に小さな人だかりが見えた。
露店のテーブルには、薬草の束や薬瓶がきれいに並べられている。
並べた瓶は透き通るような赤や青で、陽光を受けて小さく光を弾き返していた。
近づくと、淡い緑のローブを着た銀髪の女性が、瓶を一本ずつ丁寧に拭き上げているのが見える。
顔立ちは柔らかく、目元は少し吊り気味で快活そうな印象を受けた。
街中の喧騒の中でも、妙にその店だけ落ち着いた空気をまとっている。
「ポーション……売ってるんですか?」
気づけば声をかけていた。
女性は顔を上げ、少し驚いたあと、すぐに笑みを浮かべて頷いた。
「売ってるよ。初心者用の回復ポーションなら1本20ゼニ」
「……20ゼニか」
思わず眉をひそめる。
ギルドで素材を全部売っても150ゼニしかなかったのだ。
つまり、ポーションを数本買うだけで財布は空になる計算だった。
「高ぇな……序盤の稼ぎじゃきついな、これ」
ぼそっとつぶやくと、女性は小さく吹き出した。
胸元の薬草ブローチが揺れる。
「まあ、NPC取引だとね。素材によってはプレイヤー同士で取引した方が高いよ」
「え、そうなんですか?」
「NPCは基本的に定価だからね。みんな最初はそこに引っかかるんだよ」
「なるほどな……知らなかった。……てか、もしかして俺が初心者って、バレバレ?」
そう言うと、女性は口元を押さえてくすりと笑った。
「うん。装備と顔に全部書いてあるよ」
「顔にも書いてあんのかよ……」
冗談混じりの返答に、俺は少しだけ気恥ずかしくなって、視線を逸らした。
ゲームの仕様を理解したつもりでいたが、実際にやってみると知らないことばかりだ。
情報を拾うためにも、こうしてプレイヤーと交流するのは大事なんだと痛感する。
そこで、ふとポーチの中にしまっていた小瓶を思い出した。
「そういえば……妖精の鱗粉って、NPCだといくらくらいなんですか?」
「んー、確か30ゼニだったはず」
「……そんなもんなんだ」
想像していたより安くて少し肩を落とすと、女性はくすっと笑った。
そして、声を少し潜めるように言葉を続ける。
「でも、プレイヤー間取引ならもっと高いよ?」
「え?」
「レアモンスターのドロップでしょ? 今は需要が高まってるから、100ゼニでもすぐ売れると思う」
「……そんなに違うのか」
「っていうか、もしかして鱗粉持ってんの?」
「え、あ、まあ……一個だけなら」
女性はぱちりと瞬きをしたあと、口元を緩めてにやりと笑った。
「ラッキーボーイじゃん~! 初回ログインでそれ拾うなんて、相当運いいよ」
「いやー……その運、たぶんもう使い果たした気がする」
自嘲気味に言うと、女性は小さく肩をすくめた。
その表情は、何かを悟っているような、面白がっているような、絶妙なバランスだった。
「使わないなら、うちで交換しない? ポーションとさ」
「……交換?」
「妖精の鱗粉1個で、ポーション5本。どう?」
即答できなかった。
NPCに売れば30ゼニ。だがプレイヤー間なら100ゼニ相当。
ポーション5本はNPC価格で100ゼニ分。損はしない計算だった。
「悪くないな……むしろ助かる」
「じゃ、決まりね。フレンド申請送るから承認して」
システムウィンドウに「ユフィからフレンド申請が届きました」と表示される。
承認すると、互いの名前がフレンドリストに追加された。
妖精の鱗粉を渡すと、ユフィがポーションを5本手渡してくれる。
ガラス瓶越しに覗く赤い液体は、初めて手に入れた「安心」の象徴に見えた。
「また必要になったら言ってね。材料から作ってるから、直接取引のほうが安いよ」
「ありがとうございます。すげぇ助かりました」
「ふふ、いいのいいの。初心者支援は好きなんだ」
軽く手を振ってユフィは露店の接客に戻っていった。
俺はポーションをポーチにしまい、ため息をつく。
「……いい人だったな」
そのまま近くの装備屋に足を運ぶが、初心者用の剣の値札を見て絶句した。
「……200ゼニ!? たっけぇ……」
剣を買うのは、当分先になりそうだ。
俺はしばらく街を歩き、薬屋や装備屋の場所を頭に入れながら、次の狩りに備えることにした。