「AI風の絵を描いてください」
僕には悩みがある。「AIが描いたようなイラストを描いてくれ」と、ひっきりなしに注文されるのだ。
侮辱とか皮肉じゃない。彼らは至って大真面目である。ただひたすら純粋な気持ちでAI風のイラストを求めてくるのだ――どういうことか。
というのも、現代においてAIのイラスト生成能力は、本当にシャレにならない。作業スピードからクオリティから、人間のイラストレーターは完全敗北である。友人の同業者は僕を除いて全て筆を折り、音信不通である。
しかし、そのように完全無欠のイラスト生成AIが世に台頭してしばらく経つと、当初では誰しも想像し得なかった需要が勃興したのだ――それがすなわち、「AIが描いたようなイラストを描いてくれ」。
ここで言うAIとは、旧時代のAIを指す。まだ能力的に未発達の頃の、破綻だらけのイラストを出力するAIのことだ。
あるいは指が6本あるイラストだったり、フォークと麺が一体化したイラストだったりを平気で提示してくる、あの手のAIである――現代の発達しきったAIでは、どれだけプロンプトを緻密に練り上げても出力してくれない、不自然で不完全ながらもどこか愛着の沸くイラストを、人々は欲した。
子どもが慣れない手つきで描いた絵を愛おしいと思うような塩梅である――が、AIの開発企業はこのムーブメントを観測するや否や、こぞって旧バージョンのAIに高額なサブスクリプションを設定し、「破綻だらけのイラストを生成するのに大金を払わなくてはならない」というアベコベにも程がある事態が随所で発生。破綻AIイラストブームは富裕層の嗜みに転じていった。
では、富裕層でないながらも、どうにか破綻AIイラストを欲する場合はどうしたらいいのか。
それがすなわち、「人間に発注する」となるのだ――イラストレーターの単価はAIの浸透に伴って目減りする一方である。彼らに「AI風のイラストを描いてくれ」と発注をかけた方が、旧時代AIサブスクに加入するより安上がりである。時間はかかるにしても――という風にして、僕のところに依頼が舞い込んでくるわけだ。
正直、良い気はしない。
AIに仕事を取られ、そのAIのおこぼれに預かるなど、「奪われて与えられる」だ。ごっそり税金を取られてから申し訳程度の給付金を貰って、釈然としない気持ちになるのと同じである。
今まさに僕は、自室の机でせこせことAI風のイラストを描いているのだが、こんなもの破り捨ててしまいたいのだ――僕は何をしているんだと気が狂いそうになる。
ただ、そこに水を差す音がして、僕はハッとドアの方を振り向く。コンコンとノックされたのだ。
僕は溜め息し、「どうぞ」とドアに呼びかける。スライドドアを横に滑らしつつ入ってきたのは、ヘッドホンをしたパンツルックの女性。僕の姉。
「やっとるかね、弟くん」と彼女は快活に笑う。
「まあ、ボチボチね」
「出た、ぼちぼち。便利な言葉だよねー。受け取り側の解釈次第ってやつ?」
姉貴は部屋の隅からパイプ椅子を持って来て、僕の隣に腰掛ける。机上に散乱した紙切れを一瞥してから僕の顔を覗き込んで、「今日も大忙しだね」
「暇よりはいいよ。仕事もらえるだけね――AIが本格的にイラスト業界に参入してきてから数年は、本当に地獄だった。パッタリ仕事が来なくなったからね」
「それにしても器用に描くよねぇ」姉貴は僕の手元を覗き込む。「二本の指だけでってさ。私じゃ字ィ書くのですら無理だよ」
僕はAI風のイラストを描く時は、親指と人差し指だけでペンを握るようにしている。普通に描く分には中指も添えるが、
「三本指で描くと、ちゃんと描けすぎちゃうからね。不自然なイラストを描くには二本がマストなんだ」
「低レベルに合わせるのも一苦労って?」姉貴はいたずらっぽく笑う。
「……まあ、実際に低レベルなのはAIじゃなくて僕の方なんだけどね。今のアイツには太刀打ちできないから、昔のアイツと戦ってイキってるだけ」
ふうん、と姉貴は気のない返事をしてから、
「ま、でもやっぱりキミは偉いよ」と肩に手を置いてくる。「自分でやり方見つけて、モノにしてんだからさ。お姉ちゃんも見習いたいよ」
「上手くいってないの? 先生の仕事」
姉貴は大げさに溜め息。「まー、ね」と苦笑する。
「人間相手の商売ってのも難しいや――ほら、AIの方が分かりやすいじゃん? あいつら素直だからさ。少なくとも見かけ上は」
「そういうものか」
「そういうもんなんだ」
それからしばらく僕らは取り留めもない話をして、
「じゃ、私はそろそろ行こうかな」
姉貴が立ち上がる。パイプ椅子を元あった場所に戻す。
「結局、今日は何しに来たのさ。いや今日に限った話でもないけど」
「別に? 弟の様子窺いに来るのはお姉ちゃんの責務でしょ?」
「……もう僕だっていい歳した大人なんだし、毎日来なくたって」
姉貴はドアノブに手をかけつつ半身に振り向き、
「お姉ちゃんの愚痴を聞くのも弟の責務なんだよ、キミ」とおどける。
「……押しつけだ。何もかも」
「肩の力抜いて楽に行こうよ。絵だってそうした方が描きやすいでしょ?」
そう言って姉貴は去っていった。それはもう春風みたいに。
「……………………」
文句を垂れる前にするべきことがある。心配をかけないように、元気な姿を見せなくてはならないのだ。
僕は机に向き直り、親指と人差し指でペンを摘まんだ。
*
ヘッドホンをしたパンツルックの女が、スライドドアをコンコンとノックする。
「入りなさい」と中から嗄れ声がし、彼女は「失礼します」と礼しつつ中に入る。
白衣を着たサングラスの中年男性が、パソコンモニターから顔を上げる。「どうでしたか、波照間さんの容体は」
「かなり落ち着いたかと――『設定』が、良い方向に作用していると見られます」
「あなたを実の姉として認めている?」
「はい。その点に関しては疑っていないようです」
「そうですか」
サングラスの男はテーブルを人差し指でトントンと突きつつ、「しかし」と嗄れ声。右手の手首にはシルバーの腕輪を巻いている。
「アレはただの対症療法に過ぎません。彼はどこまでいっても、自らの右手の指を三本噛み千切ってここに運ばれた錯乱者なのです――AIに根こそぎ仕事を奪われ、絶望の末に自傷した彼に、『あえて二本の指で食いぶちを繋いでいる』という妄想を付与しているのは苦し紛れの究極系。医者自身が患者を別種の精神疾患に導いているのですからね――ゆめゆめ経過良好だとは思わぬよう。いずれは彼を現実に直面させなくてはならないのです」
「……あのまま妄想の世界に閉じ込めておく方が、彼にとって良いのでは?」
「そういうわけにもいきません。夢を見させるのは詐欺師の仕事であって、私は医者ですから」
まあ、とはいえ――と、サングラスの男はリクライニングチェアから立ち上がる。
「簡単な道筋にはならないでしょうね。治療が進むにつれ、みたび発作を繰り返すことになるでしょう――しかし、それが我々の仕事である以上、完遂しなくてはならない。AIと違い、人間には責務というものがありますから」
「仰る通りです」
するとサングラスの男は、ふいに右手の拳を振りかぶり、パソコンモニターを殴打し始める。
五発も浴びせるうちに、モニターは破れ、中からビーズがバラバラと飛び出してくる。段ボール製のモニターもどきは、破壊者に対してのダメージを最低限に抑えた、極めて人間工学に基づいたサンドバッグである。
「こんなものがあるから駄目なのです。コレが私の仕事を奪った。奪っておきながら平気な顔をするものではない。第一、人間味がないのです」
なおも男は攻撃を止めない。段ボールを両手で掴み、膝蹴りを浴びせる。
その斜め後ろでパンツルックの女は、ヘッドホンに手を添え、
「E79Aに対し中程度麻酔シーケンスを実行」と交信する。
間もなく男の発狂はピタリと止み、パンツルックの女は横合いからサングラスをスッと抜き取る。転倒時に負傷させないためである。
サングラスを取り除かれた男の両目の瞳は、どこにも定まっていない――数年前、診る仕事を奪われたためである。
男は段ボールの残骸に頽れる。
ヘッドホンの女はその一部始終をボンヤリ眺めた後、散乱したビーズと段ボールを無言で片付け始めた。
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