07 虜(完)
「まあ」
リティリーザは両手を口に当てた。
「私は彼を突き飛ばした訳ではないんだが。足場の悪いところで掴みかかってきた彼の、自業自得だな」
魔術師は冷淡に、死んだ少年の行動を評した。
「困ったわ。こんなところで、死んでしまうなんて」
リティリーザはスルドの死そのものよりも、彼の倒れた場所を気にした。
「いったい、何の騒ぎですか」
階下から声がした。
「ああ、よかった、バチルカ」
少女はほっとして、ラギータ家唯一の使用人に声をかけた。
「落ちて、死んでしまったわ。どうにかしてちょうだい」
「お嬢様」
バチルカと呼ばれた五十前後ほどの使用人は顔をしかめた。
「またですか」
「私が落とした訳じゃないわ。ロシエンでもない」
勝手に落ちたのよ――と少女は実に残酷に言った。
「ええ、そうでしょうとも。男たちはみな、勝手にあなた方の虜になるんです」
使用人は呆れた口調で、階段を昇ってきた。
「リティアナローダ様がお若い頃も、何人も死にました。事故もあれば、男たちが勝手に決闘をしたこともあった。妻になってくれないのなら死ぬと言って、首を切った男もいましたっけ」
息を吐いて、バチルカは首を振った。
「イーファー様が家督を継げば、こんな怖ろしい女の家系は終わりを告げたでしょうに」
「お前はそんなことを考えていたの?」
リティリーザはどこか責める口調で言った。バチルカはまた肩をすくめた。
「ロシエン殿でしたか。こうした家系とご存知の上で、リティリーザ様を欲します?」
「魔術師は感情を抑制できる。女主人にも、彼女に魅入られたほかの男にも、翻弄などされない。愚かな男を排除することも簡単だ」
青年魔術師はやはり淡々と答えた。
「成程ね。魔術師を旦那に持つという伝統は、その辺りの破綻も起きにくいよう、補ってしまっているんでしょうね。そうでなければ、とっくにラギータ家は滅びていたでしょうよ」
それで、とバチルカは死んだ少年を見た。
「これは、誰の仕業なんです?」
「言った通りよ。誰でもないわ」
「ではそういうことにしておきましょう。ロシエン殿、手伝ってくださいますか」
「何をする?」
「庭に埋めます。これまでと同じようにね」
「成程」
今度はロシエンがそう言った。
「ここの庭園の美しさには、そうした理由があったのか」
「町憲兵に届けますか?」
バチルカは尋ねた。責めるでもなく、ただ尋ねた。ロシエンは首を振った。
「いいや。私が所属するのは魔術師協会だけであり、協会はこのような事例に関与しない。私が魔術を振るって意図的に彼を死なせたのであれば話は別だが、これは不幸な偶然に過ぎない」
「不幸ね。仰る通り、不幸ですよ」
バチルカはスルドの顔をのぞき込んだ。
「ご覧なさい。まだまだ、子供だ。刺ある薔薇は、彼には早すぎた」
「十年後ならば、違っていたとでも?」
ロシエンが尋ねた。バチルカは少し黙った。
「……違わなかったかも、しれませんな」
それからそう答えると、バチルカはスルドの背と膝の裏に手を差し入れ、軽々と彼を持ち上げた。
「バチルカだったな。ひとつ、いいか」
「何でしょう?」
そのままの態勢で、使用人は首だけを魔術師の方に向けた。
「お前は、ここの女たちの虜にならないのか」
魔術師が問えば、バチルカは少し笑った。
「虜でなければ、こうして平然と死体の処理などできますか?」
それが長年ラギータ家に仕える執事の答えだった。
「身体を求めるのではなく、お仕えすることで、私は満足を得ているんですよ」
初老を越した男はそう言うと、リティリーザを見た。
「お嬢様、お部屋にお戻りになってお着替えを。お茶の時間にそのようなはしたない格好では、リティアナローダ様が嘆かれます」
抱えているものが、まるで茶盆か掃除用具か、そうした何の変哲もないものであるかのように、執事はごく普通の口調で言った。
「そうね。すぐに着替えるわ」
無情にも少女は、もう少年を一瞥すらせず、軽やかに階段を上がっていった。
「リティリーザ」
それに、ロシエンが声をかけた。階段の途中で美少女は振り返る。
「あなたはもしかしたら――彼に困っていたのか?」
その問いに薔薇の館の少女は答えず、年齢に似合わぬ妖艶な笑みだけを返した。
それを目にせぬように。
それに近寄らぬように。
その声を聞かぬように。
さもなくば、囚われる。
薔薇の刺が、男を刺す。
甘い毒が――虜を作る。
明るい陽射しの差し込まぬ薔薇園の一角には、薔薇の香りがする女たちに魅入られた不幸な男たちが眠っていて、彼女らが次の獲物を籠絡するのをじっと眺めているのだ。
「薔薇の娘」
―了―