06 俺のものだ
「リティリーザ。俺は」
「何を考えているのか判らないわ。だってあなたは、魔術師ではないのに」
美しい少女は雅やかに眉をひそめた。
「何、だって?」
再び、スルドは言った。
もちろん彼は魔術師ではない。そんなものではない。だが、それがどうしたと言うのか。
「私の旦那様は、魔術師と決まっているの」
彼女は告げた。そう告げた。スルドとのことは、行きずりの遊びに過ぎないのだと。
スルドの目の前は真っ赤になった。
彼だって、何もリティリーザを妻にしたいなどとは思っていなかった。そんなことを考える段階ではなかった。
だが、自分のものだと、そう思っていたのに。
「――そいつか。お前の婚約者か何かなのか。そうした男がいるのに、俺を誘って」
「望んだのは、あなただったわ」
少女は首をかしげた。
「いったい何を怒っているの? あなたは私を求め、私は首飾りのお礼としてそれに応じたわ」
何も悪びれず、怒りも蔑みもせず、リティリーザは続けた。
「あの首飾りが私のためのものではなかったことはお母様と話してすぐに判ったけれど、私はそれを糾弾しなかった。それどころか、繰り返し私を抱きたがるあなたの希望を叶えた」
そこでリティリーザは、少し笑んだ。
「すぐにばれるような嘘をついたあなたが、何だか可愛らしかったから」
十代の少女は、まるで恋に手慣れた熟女のような口を利いた。抱かれてやったのだと。抱かせてやったのだと。
「それに、このロシエンは婚約者という訳でもないわ。まだ何も決まっていない。決めていないわ。だって」
彼女は肩をすくめた。
「試してみないと、判らないでしょう」
リティリーザがそう言えば、彼らより五つ以上年上と見える魔術師ロシエンは、美少女の細い腰を抱き寄せた。
「生憎だったな、少年。気の毒だがきっと、ほかの女では満足できないほどの快楽を知ったろうな。だが、お前のように無知で欲望だけの子供などに、リティリーザの本当の価値など判らないだろう」
「何を……この」
スルドは改めて階段に足をかけた。
「よくも、俺のリティリーザを」
うなるように彼は言った。
「無理矢理に寝取った訳でもない。彼女が望んだ」
淡々と、魔術師は返した。
「この野郎。許さない。許さない!」
熱くなった少年の視界は、狭まっていた。
彼は怒りに身を震わせながら――それがリティリーザへの怒りか、魔術師ロシエンへのものか、自分でも判らなかった――階段を一段一段、上がっていく。
「リティリーザは俺のものだ」
「違うわ」
「違うな」
肌を合わせたばかりのふたりは、声を揃えて冷徹に言った。それは少年の怒りを助長するだけだった。
「私は誰のものでもない。これまでも、この先も」
「もしも誰かの、それとも何かのものだと言うのであれば、リティリーザはこの館のものだ」
彼らは、スルドには判らない理屈を口にした。スルドは、判ろうとする気にもならなかった。
この年齢までにたった一度、淡い初恋のようなものを覚えただけだった少年が知った、知らされたものは、彼の優しい気質や少年らしい晴れやかさや、何もかもを奪い取り、どす黒く染めてしまっていた。
「そいつは俺の女なんだ!」
性質の悪いごろつきのように、スルドは叫んだ。少年らしいところは、どこにもなかった。
彼は階段を昇りきり、リティリーザとロシエンの前にたどり着くと、「忌まわしく怖ろしい魔術師」の胸ぐらを強く掴んだ。
「俺の女に、手を出しやがって」
頭に血の上った少年の暴力に、年上の魔術師は動じなかった。何故なら、彼は魔術師なのだから。
ぎらぎらした瞳で階段を昇ってくるスルドが何を考えているかなど一目瞭然であったし、もちろんロシエンには、黙って殴られる理由も気持ちもなかった。
魔術師は手を振った。
と、少年はバランスを崩した。
その手は黒いローブを離れ、ふらついた足は、均衡を取り戻そうと後退した。
後退したそこは、彼が昇ってきた、階段であった。
「――あ」
しまった、と思うも、掴まるものなど何もなかった。
視界に入ったものは、ただひとつ。
驚いたように目を見開いた、美しい少女の顔だった。
(リティリーザ)
(俺の、リティリーザ)
(何て……美しい)
少年は身体を後方に、斜めにさせながら、二十数段分の高さを一気に落下した。ダン、ダダダン、とスルドの背中が、肩が、頭が階段にぶつかる音がした。重力は乱暴に、彼を踊り場まで運んだ。
「スルド!」
リティリーザは叫んだ。倒れたスルドは、ぴくりともしなかった。
ロシエンは顔をしかめ、リティリーザに手を差し出した。少女はそれを取り、魔術師の案内を受けるようにしながら、ゆっくりと階段を下りていった。
「……死んだのかしら?」
「見てみよう」
ロシエンは少年のもとにしゃがみ込んだ。
「ああ、これは酷い」
魔術師は肩をすくめた。
「首が折れている」