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薔薇の娘  作者: 一枝 唯
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05 判らないわ

 キィ、と門が鳴く。


 最初は気味悪く感じたこの音だが、いまでは何も感じない。


 不気味でも陽気でもない。ただの音だ。


 スルドは足早に、もはや慣れた生け垣の迷路を進んだ。


 今日も美しい娘が、彼に抱かれるために、薔薇に見守られて待っている。


 そのはずだった。


「――リティリーザ?」


 しかし、そこに少女の姿はなかった。


 スルドはいらっとする。どうして、いないのか。彼女は今日も彼がくることを知っているはずなのに。


 少年がその場で待つことを選べば、彼の運命はまた、違ったことになっただろう。


 だが猛る心と身体を抱えたスルドは、じっと少女を待つなどしなかった。


 彼はきつい視線で辺りを見回すと、これまでに取ったことのない行動に出ることにした。


 つまり、館に入り込んで少女を連れ出そう、或いは館のなかで行為に及ぼうという考えを持ったのだ。


 護衛の戦士でもいれば、躊躇しただろう。しかしそんなものは、この落ちぶれた古臭い館にはいない。彼はそれを知っていた。


 スルドは、いまだ訪れたことのなかった薔薇の館の、正面へと進んだ。叩くこともせず、その大きな重い扉を開けた。ギイイ、と扉はきしむ音を立てて、初めての男を迎え入れた。


「リティリーザ」


 彼は少女を呼んだ。まるで王城のような――そのようなものをスルドが見たことはないから想像だが――大きな広間に、少年の声は虚ろに響く。


「リティリーザ!」


 呼び声は空間に四散し、奇妙な反響だけが返ってきた。


「クソっ」


 スルドは苛々と辺りを見回した。広いだけで、がらんどうの広間。


 正面には大きな階段があり、その上には気持ち悪いほど大きな肖像画が三枚かかっていた。それらはどこか少女に似た印象のある女の絵だったが、スルドはそれに魅入られることもなく、少女本人を求めた。


 もう少し彼が冷静だったら、不気味なものを覚えただろう。これだけ大きな館であるのに、そうした場所で働いている使用人の姿などは全く見えない。ひとりしか使用人がいないとは耳にしているものの、不自然な感じがしただろう。


 床にはほこりなどもなく清潔に保たれている感じがあったが、もし汚れていれば、人の住まわぬ廃墟であるように見えただろう。スルドに空想家の気質が強くあれば、吟遊詩人(フィエテ)の歌う不思議な物語のように、リティリーザは没落した館に取り憑いている亡霊なのではないかと思ったかもしれない。


 だがもちろん、そうではない。


 スルドはそのような空想をしなかったし、ラギータ家は実在する。


 しかし、「没落した」というところだけは的を射ていた。この大きな館が建てられたときのような栄華は、いまのラギータ家にはないのだ。


 少年の知識にそのようなことはなかった。ただ、広さと空虚さは不均衡を思わせた。


 それでも気味が悪く思うより、少年はやはり、熱を覚えていた。


 リティリーザ。美しい少女。


 薔薇のような甘い香り。磁器のような白い肌。それでも紛う方なき生身の人間としての温かさ。彼に快感を与える肢体。


 少年は少女を求めた。ただ、その身体を求めた。


 表の薔薇庭園よりも複雑で小昏い迷路のなかに、スルドはさまよい込んでいた。


「どこだ」


 彼は呟いて、正面の階段に足をかけた。肖像画のなかから、初代の女主人が不埒な侵入者を眺める。だが肖像画は肖像画だ。彼を呼びとめることもなければ、誰かに警告を発することもない。


「リティリーザ! どこだ!」


 繰り返し、彼は彼の女を呼んだ。


 階段は真ん中の肖像画の下で踊り場となっており、左右に分かれていた。どちらへ昇ったものかとスルドが順番に左右を見回したとき。


 気配がした。


 スルドは左の階段の上を見やる。


 まず、少年が見慣れ、触り慣れた脚線美が見えた。


「……スルド」


 少女は素足で、階段の上に立っていた。


 膝上までの短さを持つ、上下一式の衣装。胸元の留め具ははめられておらず、手で合わされているだけだった。


「リティリ」


 少年は階段を駆け上がろうとした。


 だが、一段目に足をかける前に、その動きはとまる。


「誰だ?」


 奥の通路から少女の横に現れたのは、見知らぬ男だった。


 スルドはどきりとする。


 二十歳を越したほどに見えるその人物は、黒いローブを身につけていた。


魔術師(リート)


 妖しい技で人々を惑わす、忌まわしく不吉な存在。


「友人か? リティリーザ。それとも、あなたをつけ回して困らせる男か」


 抑揚のない声で、魔術師は言った。


「何だと」


 スルドはかっとなった。そうなれば、「魔術師」というものへの怖れも消えた。


「お前こそ、何だ。リティリーザと何を……」


 何をしていたのか。


 少女は裸身に、一枚だけ衣服を羽織ったように見える。


 隣に立つ男もまた、急いで身につけたというようにローブの前ははだけており、上衣の留め具は中途半端だった。


 何をしていたのか。


 考えるまでもなかった。


 少年がこれまで少女にしてきたことを。それとも、少女が少年にしてきたことを。


 この日、このとき、たったいままで、この魔術師が。


「何て……何て女だ!」


 彼は叫んだ。


「俺だけじゃ飽きたらず、ほかの男にも抱かれたのか。それも、魔術師だって!? 浮気なら、もっと違う奴にしろよ!」


 力自慢で筋骨隆々の戦士が相手だとでも言うのならば、まだ判る。少年はそう思った。だと言うのに、見るからにひょろひょろの、魔法使いなどとは!


「何を言っているのか判らないわ、スルド」


 リティリーザは顔をしかめた。


「とぼけるのか? 何て図々しい――」


「私があなた以外の男と寝ることの、何が浮気なのかしら」


 少女は、魔術師と床を同じくしたことを否定するのではなかった。


「何、だって?」


 スルドは虚をつかれた。


「あなたは私を求め、私はそれに応じた。けれど、それだけよ。それ以外の何があるの?」


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