表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
薔薇の娘  作者: 一枝 唯
2/7

02 薔薇の精霊

 薄暗い。


 昼間なのに、まだ朝方のような雰囲気だ。


 仮に朝ならばこれから明るくなっていくだけのはずなのに、そんな気がしない。


(この場所はもしかしたら)


(昼を知らないで、朝と夜だけを繰り返しているんじゃないだろうか)


 スルドはそんな理不尽な考えを抱いた。


 ともすれば強すぎる東国の陽射しが届かない、ここは異国。それとも、異世界。


(不思議な感じがする。それは本当だ)


 高い生け垣は、まるで侵入者をじっと見守っているようだ。そんな気がすることは確かだった。だが、そんなのは気のせいに決まっている。


(そうさ)


(怖くなんてないさ)


 自分の勇気に満足をして、少年はきた道を戻ろうと考えはじめた。もともと、お使いでやってきているのだ。寄り道は褒められたことではない。


(うん?)


 しかし、そのときであった。


(向こうは何だろう)


 少年は、薔薇の生け垣が造る迷路がふっと途切れている場所を見つけた。少し空間を置いてから、暗い緑と紅朱の壁は先へと続いている。


 スルドはひょいと、その隙間をのぞき込んだ。


 のぞき込んでしまった。


 その瞬間、彼は心臓が止まるかと思った。


 薔薇の植えられていない、四方数ラクトの草の上。


 人が、倒れていた。


 とっさにスルドの内に浮かんだのは、ここの薔薇自体がやっぱり魔物で、美しさに釣られてやってきた人間を食べてしまったのではないか――という、妖怪譚のような空想だった。


 だが、そんなことのあるはずもない。


 薔薇は薔薇だ。ただの植物だ。どんなに不気味でも、どんなに美しくても、人間を取り殺したりはしない。


「お、おい」


 思い切って彼は声を出した。ただの植物だと思うのに、彼の言葉に薔薇たちが耳をそばだてているような感じがした。


「どうしたんだ? 大丈夫?」


 彼はその人物が気分を悪くして倒れているのではないかと考えた。


 だが、その考えには違和感がある。


「ん……」


 かすかな声がした。スルドはまたしても、心臓が痛む気持ちを味わった。先ほどの血管が縮むような凍る思いと違い、今度は一気に血圧が上がり、鼓動は大きく跳ね上がった。


「だあれ……」


(薔薇の――)


 そこにいたのは、薔薇の精霊だった。


(いや、そんな馬鹿な)


 スルドは首を振った。


(ただの……女の子じゃないか)


 薔薇に守られるようにして眠っていたのは、彼と同年代ほどに見える少女だった。


 伝説に謡われる黄金の川のように、長い金の髪が揺れる。濃い蒼をした瞳はゆっくりと開かれ、ぼんやりと瞬かれた。薔薇の色をした短い下衣は少しめくれており、若く健康的な張りを持つ脚が、眩しいほどに白く伸びていた。


 浅黒い肌を持つ東国人にとって、白い肌というのは異質な感じを思わせるものだ。


 珍しいと言い立てるほど目にしない訳ではないが、町なかにいれば「違う存在」として自然と目につく。


 彼と同じか少し年上に見える少女は、しかしただ「肌が白い」という理由で彼の目を釘付けにしたのではなかった。


 たとえ西へ行き、誰も彼もの肌が白かったとしても、スルドはほかの誰にでもなく彼女に目を奪われるだろう。


 少女は、美しかった。


 精霊だと――人間ではないと、思うほどに。


「誰?」


 うたた寝から目覚めた少女は、まだ夢と現実の間をさまようように、横になったままで再び問うた。


「あ、ス……スルド」


 彼は名乗ったが、この名前は少女にとって、何の意味も持たない音だった。


「誰なの」


 少女は繰り返し、そこでゆっくりと身を起こした。


「何か届けものなら、玄関はこっちじゃなくて向こうよ。バチルカを呼ぶといいわ。受け取りの署名でも必要なら、バチルカからもらうのね」


 覚えのないその名は、おそらくラギータ家唯一の使用人のものだろう。それは少年にも推測ができた。


「あ、いや、違……」


 何も違わない。スルドは、その通りのことをしにきたのである。


 なのに、どうしてか否定の言葉が口をついて出た。


「違う? では、何の用事なの?」


 少女は気だるげに、胸元まである長い髪をかき上げた。その動作に、小振りの乳房が揺れる。


 スルドは気づいてしまって、身を固くした。


 袖のない、薄い上衣の下に、彼女は何も身につけていないようだった。


「――スルド」


 彼の名を思い出したように呼んで、少女は地面に座り込んだまま、上目遣いで彼を見た。


「それでは、手にしているそれは、私に持ってきたのかしら?」


「あ……いや」


 もちろん、そうではない。これは女主人に頼まれたものだ。


「ええと」


 彼はごくりと生唾を飲み込んだ。


「き、君は?」


「リティリーザ」


 少女は答えた。


「私は、リティリーザ・ラギータよ」


 当然と言えば、当然だったろう。彼の目の前にいる少女リティリーザは、この薔薇の館ラギータ家の娘だと名乗った。


「これは、君の」


 君のお母さんが、町の装飾師に頼んで。


 スルドは、そうしたことを言おうとした。言おうとしたのだ、本当に。


「――これは、君のために」


 だと言うのに、実際に出てきたのはその言葉と、それから細長い箱をリティリーザに差し出す動作だった。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ