その5 興梠轆轤
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「あんたかい?ロダンという役者は?」
不意に奥から低い老人の声がした。声の方を振り向いてもロダンには何も見えない。見えないが代わりに小さなオレンジ灯が見えた。目を細めるロダン。やがてその細めた先に、何か映る。
それは僅かに何かを動かしている。
やがてそれを力強く凝視して、その何かが分かった。
手だった。どうやら自分を手招いているようだった。
ロダンは周囲を見渡した。見渡せば迫りくる本の浪だ。
(この波の中を来いというのか)
やや、挑戦的にもとれる手招きに対して、ロダンはぐっと顎を引くと、できるだけ長躯をすぼめるようにして、浪の隙間を進んでゆく。途中、何冊か本が落ちた。それを慌てて取ろうと手を伸ばすが、老人の声がそれを制する。
「落としとけ、そのままでいい。ちなみに今落としたのはランボウの詩集やな。まぁええ、そのまま、そのまま」
言われてちらりとロダンが本を見える。――当たりだった。舌を巻きたくなうような思いに浪の中を進むロダンは、興梠という店主の風貌を思い描いた。
どんな人物だろうか、この『蜥蜴堂』の店主というのは。
そう思って小さな波を超えてロダンが手を伸ばした時、オレンジの光が明るく漏れた。その瞬間、僅かな波間に出た。そこには一面オレンジの光が溢れている。
奇妙な空間だった。ロダンはそこで手を膝についた。波を歩いた徒労感が背中に圧し掛かる。
「ごくろうさん、ようこそ、蜥蜴堂へ。私が此処の店主、興梠轆轤ですわ」