表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/48

その1 なみはや



 ――ねぇ、晴仁(ハルヒト)さん。

 教えて。


 薔薇(バラ)って…なぁに?







(1)




 地図を広げ、この地を俯瞰的に眺めても、現代の大阪というコンクリート造りの街衢(がいく)から、『なみはや』という潮言葉との関連性を想像するのは少し困難かもしれない。

 しかしながら、古の頃を僅かでも知る者が居るなら誰であれ、大阪が『なみはや』と非常に繋がりのある土地だと想起するのはそれ程難しくは無いだろう。


 それは古代においてこの地が大きな内湾を持った尖塔型台地であり、その突き出た台地の外が南海の荒々しい外洋に接して『浪』が非常に速かった――、という地勢的理由がそうであったからだ。


 そして今広く使われている「ナニワ」という言葉は「なみはや」という地勢的理由が、その時代々の依り代人(よりしろびと)達の時代背景によって(おん)を拾って変遷した漢字が地名として当たられているだけでしかない。


 それはつまり、

 ――浪速、浪華、浪花、難波。それらの言葉である。


 そして現在の大阪を時代の依り代人(よりしろびと)である現代人が音を当てて呼ぶとするならば、それは『浪華(なにわ)』という言葉が程良い具合かもしれない。

 『華』は『花』と同じ音ではあるが文化絢爛の浮世を現すには相応しいし、また一方でそんな浮世の欲濁世界に於いて不浄人が功徳を積むにはふさわしい華厳世界として、現世(うつしよ)は最も相応しいと言えるからである。

 そんな浪華世界だが、その変遷を地図で捲れば、ある地名に興味深く引かれる。その地名は――、古い。


 現代の浪華世界の始まりは、古代『なみはや』という時代の名残がそう遠くない頃の五世紀仁徳期の治水時代から始まる。それは北に現在の淀川水系、そして南に大和側水系を挟んで流れ込む河を利用した工事であり、それが段々と陸地化して、やがて大坂という街衢(がいく)になった。


 そしてその興味深い地名というのは北の淀川水系が現在の京から下って大阪湾に注ぎ込む、五世紀以降、渡来系豪族が住んだ土地の入り口にあり、その土地の事を時代の依り代人達は――『十三(じゅうそう)』と呼んだ。
































評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ