その1 なみはや
――ねぇ、晴仁さん。
教えて。
薔薇って…なぁに?
(1)
地図を広げ、この地を俯瞰的に眺めても、現代の大阪というコンクリート造りの街衢から、『なみはや』という潮言葉との関連性を想像するのは少し困難かもしれない。
しかしながら、古の頃を僅かでも知る者が居るなら誰であれ、大阪が『なみはや』と非常に繋がりのある土地だと想起するのはそれ程難しくは無いだろう。
それは古代においてこの地が大きな内湾を持った尖塔型台地であり、その突き出た台地の外が南海の荒々しい外洋に接して『浪』が非常に速かった――、という地勢的理由がそうであったからだ。
そして今広く使われている「ナニワ」という言葉は「なみはや」という地勢的理由が、その時代々の依り代人達の時代背景によって音を拾って変遷した漢字が地名として当たられているだけでしかない。
それはつまり、
――浪速、浪華、浪花、難波。それらの言葉である。
そして現在の大阪を時代の依り代人である現代人が音を当てて呼ぶとするならば、それは『浪華』という言葉が程良い具合かもしれない。
『華』は『花』と同じ音ではあるが文化絢爛の浮世を現すには相応しいし、また一方でそんな浮世の欲濁世界に於いて不浄人が功徳を積むにはふさわしい華厳世界として、現世は最も相応しいと言えるからである。
そんな浪華世界だが、その変遷を地図で捲れば、ある地名に興味深く引かれる。その地名は――、古い。
現代の浪華世界の始まりは、古代『なみはや』という時代の名残がそう遠くない頃の五世紀仁徳期の治水時代から始まる。それは北に現在の淀川水系、そして南に大和側水系を挟んで流れ込む河を利用した工事であり、それが段々と陸地化して、やがて大坂という街衢になった。
そしてその興味深い地名というのは北の淀川水系が現在の京から下って大阪湾に注ぎ込む、五世紀以降、渡来系豪族が住んだ土地の入り口にあり、その土地の事を時代の依り代人達は――『十三』と呼んだ。