【9】アルドワン邸を出て行くリュディーヌ
灯台に送られることが決まったリュディーヌは、そこでたった一人で生きることになった。
『リュディーヌ・アルドワン』という名前を捨てることになる。リュディーヌ・アルドワンは消え、ただの平民のリュディとして、北西の灯台に送られるのだ。
その沙汰について、リュディーヌは別段酷いものではないと感じていた。
たった一人で灯台の灯りを守ることは並大抵のことではないと理解はできているが、罪を犯したエディットの姉として、仕方がないことだ。
これを『私は何も悪いことをしていないのに』と思うならば、この家の長女として享受したものも、『何も良いことをしていないのに』と考えなくてはならなくなる。
自分の力で掴めるものなど、始めから『掴める範囲のもの』に限られている。
そこに希望を見出すことも、与えられたものを粛々と受け入れていくことも、それほど変わりはない。
私は物語の主人公ではないのだから、希望に向かって歩いて行かなくてもいい。ひたすら与えられた道を歩いて振り返り、そこに小さくとも何か成したものがあるのならそれでよかった。
執事のホルスと料理人のダン、そして細々したすべてを担ってくれたネリアの出立を見送るため、リュディーヌは玄関ポーチで最後の挨拶をした。
「これまで長く誠実にこのアルドワン伯爵家に勤めてくれていたこと、ありがとう……。
三人のこれからが、第一王子殿下の署名をいただいた紹介状を以て、素晴らしいものになるように祈っています。こんなことになってしまい、本当にごめんなさい……」
「リュディーヌお嬢様! お嬢様は何も悪くありません! どうか謝らないでください。私はお嬢様にお仕えできて幸せでした……」
ネリアが涙を落としながらそう言ってくれた。
私より五つ年上で優しく慎ましく温かい心を持ったネリアに、私はどこか姉のように甘えてほんの少しの我が侭を言えていた。
アルドワンの長女なのだからと常に求められ、気を張っていた中で甘えることができたのは、たぶんネリアが思うよりも私の中ではとても大きいことだった。
「お嬢様、最後は簡単な物しかお出しできずに申し訳ありませんでした……」
料理人のダンも言葉が震えていた。
食材にお金を掛けられなくなり、食器も早めに処分してしまったのだから、ダンのせいではないのに。
「ダンの料理の腕があればどこへ行っても大丈夫よ。いいお屋敷に雇われることを祈っているわ」
「お嬢様、どうかお身体を大切に、これからはご自身のことを第一になさってください……」
いつも冷静なホルスまでが目頭を押さえている。
「それは、私がホルスに言うべき言葉だわ。長い間ありがとう……。最後まで面倒を掛けてしまって本当にごめんなさい。アルドワン伯爵家は消えてしまうけれど、ホルスのこれまでの忠誠とホルスへの感謝が私の中から消えることはないわ。どうか身体を大切にしてね」
「お嬢様、旦那様のカフスとタイピンですが、私はこちらだけ戴きました。これは旦那様が爵位を譲渡され初めて作られたもので、私も同行して一緒に作りました。この思い出の品だけで充分です。他は旦那様が気に入っていらした物を一つ残し、後は換金しました。お嬢様のこれからに必要なものです、金は二階の水場のポットの中にあります」
ホルスはジャケットを開き、父の古いタイピンを見せてくれた。手渡された小さな箱に入っているのは、陛下から表彰を受けた時に王宮に着けて行った物だとホルスが言う。
お金は二階の水場のポットの中……。
換金できるものは目録に記載する必要があり、母の宝飾品も主だった物はそうした。
ホルスは無記載にした物を金に換えて隠したと言っているのだ。
「……ポットは後で確認するわ。ホルス、最後まで私のために、ありがとう……」
何か三人に渡せる物が無いかと思ったけれど、もう本当に何もかも処分してしまったのだ。庭の花々でさえ、新たにこの屋敷の持ち主となった貴族に雇われた者が根こそぎ抜いていった。庭の配置を新たな家主が変えるのは当たり前のことだけれど、あとほんの数日待ってくれても良さそうなものなのにと、つい思ってしまった。
「では、名残惜しいですが、思い切らねばいつまでもぐずぐずしてしまいますから、私どもはこれで。これまで、本当にありがとうございました」
「ええ、どうか元気で……」
ドアが閉まってもしばらくそこから動けなかった。
これで私には本当に何もかも無くなった。
あるのは少しの身の回りの物と、リュディという新しい名前だけだ。
それだけを持って、これから灯台へ向かう。
シルヴェストル殿下の側近の方から、王宮に来るように言われている。そこで灯台に持って行く荷物と一緒に馬車に乗せられるのだ。
アルドワン伯爵家で過ごした時間のすべてを、お父様の遺品となった革のトランク一つに詰めて、辻馬車を拾うために屋敷を後にした。