【8】恋におちたシルヴェストル
城に戻ったシルヴェストルは自分の執務室に入ると、身を投げるようにソファに座った。その目は壁の一点を見つめてぼんやりしている。
普段ならすぐに上着を脱ぐため立って従者に任せているのに、困惑している従者に気づく様子もない。
「殿下」
アルフが声を掛けると、弾かれたように立ち上がり、
「どうした?」
と驚いた顔を見せる。どうしたと言いたいのはアルフのほうだが、もちろん言葉にする訳もなく、目で従者に下がってよいと伝える。
「上着を」
シルヴェストルはアルフが上着に手を掛ける前に、自分で前留めのボタンを外していく。
「リュディーヌ・アルドワン嬢が」
「どうした!? 彼女に何か!?」
アルフがその名前を口にしたら、言い終わる前にシルヴェストルが反応した。
「……いえ、彼女は殿下が『アルドワンに仕えてきた者たちが再び良い職に就けることを』とおっしゃったことに、とても喜んでいたと思いまして」
「あ、ああ、そうだったか? そうか……彼女は喜んでいたか……」
一日の終わりにぬるい湯に浸かっているような顔をしたシルヴェストルを見て、アルフはこれから自分がすべきことを目まぐるしく考える。
まずは、今夜の夕食を一人で執務室にて摂らせるところからだった。
このような状態のシルヴェストルは何を言い出すか分からないので、いつものように他の王族の方々と食事を共にするのはあまり良くない。
これまでも多忙なシルヴェストルが簡単に食べられるものを執務室で摂ることはよくあることだったので、別段怪しまれることでもない。
「殿下、こちらの書類にお目通し願います」
アルフは、被害者の兄アントナン・オールストン公爵令息について入手した話を整理した書類をデスクに置いた。
どうせリュディーヌ・アルドワンのことを考えてしまうのならむしろ、そうしてもらったほうが良いのだ。『仕事』として考えてもらえれば、そこに妄想が入り込む余地もなくなる。
「分かった」
アルフは部屋を出て、さっそく夕食の手配に向かう。
シルヴェストルの側近としてではなく、長年傍に居る友人の一人としては、初めての恋におちたであろうシルヴェストルを温かく見守りたいところだった。シルヴェストルの心に生まれたほのかな恋心くらい、そのままにしてやってもいいのではないかと思う。
だが、この国の第一王子シルヴェストルに仕える者としては、これまで『理想的な将来の国王』としてひたむきな努力を重ねてきたシルヴェストルの、人生がひっくり返りかねない恋を応援することなどできる訳もない。
シルヴェストルが考えた、リュディーヌ・アルドワンを北西の灯台守として送り込むことを、早急にまとめてしまおうとアルフは思った。
これがシルヴェストルの為なのだと、自分に言い聞かせた。