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【7】アルドワン邸を訪れる

 

「お嬢様、第一王子殿下がお見えになりました」


「応接室にお通ししてください。お茶ではなくコーヒーをお出しして」


朝、王家から突然先触れが届いた。

エディットの部屋の捜索などに、わざわざ第一王子がいらっしゃるのだろうか。

王族を迎えることなどなかったアルドワン伯爵家にも、こうした時に使う伯爵家の紋章の入った揃いの茶器があった。

それを処分してから第一王子をお迎えすることになったのは皮肉だ。

お茶ではなくコーヒーならば、カップとソーサーが一脚あれば足りると、比較的深めのティーカップをそれだけ残していた。

リュディーヌは、ワンピースの中で一番シンプルなものを選んで準備をしていた。第一王子殿下をお迎えするのにワンピースでは不敬に当たるだろうが、ドレスは残していないのだから仕方がない。


「第一王子殿下、お待ち申し上げておりました。このような平服の見苦しい姿で応対いたしますこと、心よりお詫び申し上げます。どうぞお入りくださいませ」


玄関で出迎えたリュディーヌを見て、シルヴェストルは雷に打たれたように立ち尽くした。

金色の髪を顎より短く切り揃えて化粧もなく、背が高く薄い身体のリュディーヌは、少年がワンピースを身に着けているように見えた。

だが、宝石のように美しい紫色の大きな瞳から目を離せなかった。

大きな瞳なのにどこか寂しげで儚く、触れれば音もなく崩れてしまいそうな雰囲気だった。

シルヴェストルに使用人の紹介状のサインを求めたというリュディーヌを、才気溢れる気の強い女性なのだと勝手に想像していた。

目の前にいるリュディーヌは少年のようでありながら、守ってやらねば今にも消えてしまいそうな、そんなか弱い女性に見えた。


瞠目するシルヴェストルの横顔を見た側近のアルフは、人が恋におちる瞬間に居合わせてしまったと思った。

相手から自分が見られていることを忘れたように、シルヴェストルは真っ直ぐな視線をリュディーヌに向けてしまっている。

日頃、沈着冷静なシルヴェストルとは思えない愚行だ。

だが、それが恋におちるというものなのかもしれない。

今後のことを思うと、アルフにとってこれは喜ばしいことではなかった。


「……当日の、先触れなど、突然のことで、その……すまなかった……」


いつもの歯切れの良い話し方を城に置いてきたような自分に驚いたシルヴェストルは、さすがに我に返った。

リュディーヌを前に、自分が何をしにここまで来たのかさえ一瞬忘れてしまいそうになった。

リュディーヌに案内されて、シルヴェストルは邸内を見回しながら歩いていく。

美術品や装飾品はもちろん、花瓶やエントランスの鏡に至るまですでに何もかもなくなっているようだった。不自然な空間や、壁にあったものを外した跡がある。

だが応接間の中は、まるでそこだけが守られているようにまだ物が残されていた。

そうした物にゆっくりと目をやりながら、やっとシルヴェストルは自分を取り戻した。


「……さっそく本題に入らせてもらうが、リュディーヌ嬢に頼まれていたアルドワン伯爵家の使用人の紹介状十一通、すべてに目を通しサインをした」


側近アルフが包みを開くと、執事ホレスが徹夜で書き上げてリュディーヌが確認し、王宮に戻る騎士に手渡した紹介状が入っていた。


「なんとありがたいことでしょうか……」


リュディーヌは一番上にあった料理人の紹介状を開いた。

最後に、流れるように美しい筆致で『保証人:Sylvestre(シルヴェストル)・Charroux(・シャルー)』とサインがあった。

無防備な表情でそれに目を通すリュディーヌを、シルヴェストルは何も見逃すまいとするような目でみつめている。長い睫毛に縁取られた紫色の瞳は、下を向いていてもなおその美しさを湛えていた。


「パイ生地を作って焼くのが得意な料理人なら、どこでも雇って貰えそうだ。私も鴨肉のパイ包み焼きを振る舞って貰いたいものだ」


「……シルヴェストル殿下……ご多忙の中、しかもこのような無茶なお願いに対してのご厚情に、心から感謝を申し上げます。ありがとうございました……。

鴨肉のパイ包み焼きにはリンゴも入っていて、とても美味しく……家族に喜ばしいことがあると、食卓に出されました……」


リュディーヌの声は震えていた。

在りし日の平和なひとときを思い出したのだろう。

もう、決して帰らない日々のことを。


シルヴェストルは、リュディーヌとテーブルを挟んで向かいあっていることに安堵した。

リュディーヌに手が届く位置にいたら、抱きしめてしまっただろう。

それくらいの強さで、寂しげなリュディーヌに胸を掴まれ、まるでこの部屋から空気が無くなったかのような息苦しさを感じていた。

シルヴェストルは衝撃を受けている。

女性を前に、このようになったことはただの一度も無かった。

自分に何が起こっているのか、理解が追いつかない。

第一王子として培ってきたものを総動員し、かろうじて平静を保っていた。


「シルヴェストル殿下のご厚情により、私の最後の気懸りは、無くなりました。

これで、思い残すことなく私への御沙汰に向き合うことができます。邸内の整理もおおむね終わってございます」


「……そうか。大変な時だったのに、気丈に……整理をつけたのだな。

リュディーヌ嬢に二つ尋ねたいことがある。一つめだが、アントナン・オールストン公爵令息に対し、怨む気持ちを持っているだろうか」


リュディーヌは、その答え難そうな問いにすぐに答えた。


「妹がオールストン公爵家に対し、取り返しのつかない酷いことをいたしました。

公爵家のどの方に対しても、怨むなどという気持ちは毛頭ございません。

ありますのは、申し訳ない気持ち、ただそれだけでございます」


「では二つめの質問だが、アルドワン家の後始末が終わり次第、リュディーヌ嬢には北西にある灯台に、灯台守として行ってもらいたいと考えている。今そう聞いて率直にどう感じただろうか」


一つめの質問と違い、今度は少し紫色の瞳が揺れた。


「……北西の灯台守、でございますか。その詳細を把握していないこの瞬間は、正直に申しまして少々の不安を感じますが、お役目としてそこへ派遣されるというのであれば、謹んで参りたいと存じます」


「そうか。たとえそうなったとしても、何の説明も準備も無い状態でリュディーヌ嬢を送ることはないと約束する。リュディーヌ嬢のこの先を、我々は決して酷いものにならないようにと考えている。

それではこれで失礼する。十一通の紹介状によってアルドワン伯爵家に仕えてきた者たちが、再び良い職に就けることを私も望んでいる」


「……シルヴェストル殿下より、再び良い職にとのお言葉を戴きましたこと、忘れず生きていきたく存じます。本日はこちらまでお運び戴きまして、まことにありがとうございました」


シルヴェストルが立ち上がると、アルドワン家の執事が応接間の扉を開けた。

側近に続いて護衛を従えシルヴェストルが出て行く。

深く頭を下げたままでいるリュディーヌに、何か掛ける言葉があるのではないかとシルヴェストルは探したが、何の言葉も見つからなかった。



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