【4】嘲りの「暗い海」
シルヴェストルはしばらくして執務室に戻ると、ナデージュのことはもう頭から消えていた。
そう言えば、あのショールを寄越したフォートレル国の者が気になることを言っていた。
我がバルテレミー王国の北西の海岸について、『暗い海』とさりげなく言ったのだ。聞き取れないと思われたのか。
『暗い海』とは、単に夜間の海を指すことがほとんどだが、時に灯台の灯りも無い未開の国と蔑む場合にも使われる。
バルテレミー王国は、領土のほとんどが半島という小国であり、東側が隣国に接しているだけで、他は海に面している。
そして半島の北西の灯台は、もう何年も灯りが消えているのだ。
北西の灯台は、半島の先端から切り離されたような小さな島にある。
その灯台のある島までの道は人工的に作られたものだが、横幅が大人の男が両手を広げた程度しかなく、膝の高さほどの形ばかりの海水除けが両サイドにあるだけのものだ。
当然、馬車も通れず、灯台のある小島へ何かを運ぶには荷車で運ばなくてはならない。
灯台守は、その灯台がある領地から出すことになっている。
北西の灯台のある領地は数年前に領主が亡くなって後継ぎがおらずそれほど旨味のある土地でもなく、王家の直轄地になっていた。王家の直轄地ということは、王家が灯台を放置していることになるのだ。
──あのフォートレル国の者は、やはり嘲る意味で『暗い海』と言ったのか……。
シルヴェストルは、ふと気づいた。
あの事件の加害者の姉リュディーヌを、北西の灯台守とすればよいのではないか。
王家直轄地にある灯台には、近いうちに誰かを送らねばならない。そこにアルドワン伯爵家に残された娘を送れば、万事うまく片付くのではないか。
あの灯台は確か、円形の鏡の前に蝋燭を二十本ほど立てて灯りとするものだ。
半島の周囲にある暗礁に船が近寄らないために作られた灯台で、日没から日の出までの間、蝋燭の火を守ればいい。
朝から夕刻までは何をして過ごしてもいいのだから、孤独ではあるが自由も大いにある。
夜は起きていなければならないが、昼間は眠っていてもいいのだ。
戒律の厳しい修道院や教会よりも良いのではないだろうか。
その上、孤独な灯台守として送ったとなれば、オールストン公爵家も娘の命を奪った者の姉ではあるが、直接的に何の罪もないリュディーヌの処遇として納得できそうではないか。
シルヴェストルは、今考えたことを紙に書き出した。
頭の中だけで考えを動かしていると、何かを見落としてしまいがちだ。
父に言われた『リュディーヌの処遇をリュディーヌ本人も含め、誰もが納得できるものとする』、これに照らすと特に問題もなさそうで、後は本人の気持ち次第ではあるが、これをこの案件の落としどころとしよう、シルヴェストルはそう決めたのだった。