【3】第一王子の婚約者
被害者イヴリン・オールストン、加害者エディット・アルドワン……。
エディットはふた月前までイヴリンの兄アントナン・オールストンと婚約していた……。
ここに、エディットの加害理由がありそうだ。
父から新たに持たされた書類を見ながら、シルヴェストルは考えていた。
被害者は兄の元婚約者だったエディットに『何か』言った。
それがエディットの怒りに触れ、エディットは被害者を突き飛ばした。
こういう流れがあったとすると自然なのだが、どの証言者も『被害者が加害者に何と言ったか』の証言をしていないのだ。
加害者エディットが『許さないわ!』と叫んだことは、どの者も同じように証言している。
エディットが激高して『許さないわ!』と叫ぶような何かを被害者は言った。
いったい、何と言ったのだ……。
シルヴェストルは、机を左手の中指でトントンと叩く。
これは考え事をするときの癖で、考えが進んでいくと、薬指から親指までを使い鍵盤を弾くように叩く。それが出ると、シルヴェストルの『考え』は、答えに届いているということだ。
今はまだ、トントンとゆっくりとしたリズムで叩いている。
「シルヴェストル殿下、応接室でナデージュ・ベルトー公爵令嬢がお待ちです」
「……しまった、もうそんな時間か。すぐに行く」
シルヴェストルは引き出しから包みを取り出し、急いで部屋を出て行った。
ナデージュはシルヴェストルの婚約者だ。
まだ婚約が結ばれてから一年ほどだが、こうして定期的に交流しておりうまく関係を構築できている。
ナデージュも公爵令嬢として、この婚約を政治的な結びつきだと理解してくれていた。
初めてナデージュをお茶に招いた際、シルヴェストルが王宮の庭で一番美しいとされている場所にセッティングをしたら『次回からは普通の応接間で、特に装飾などに気を遣ってくださらなくてかまいません』と言われた。
お茶の時間も甘いムードのようなものを求められる雰囲気は一切なく、ナデージュの父ベルトー公爵の領地での公共工事の話や隣国の話題などに終始している。
ドレスや宝飾品をねだることもなければ、貴族たちの噂話もまったくしない。
いずれ王太子となる自分にとって、最も相応しい婚約者だとシルヴェストルは思っていた。
「待たせて申し訳なかった、ナデージュ。今日は気温が高いのだろうか、少し薄手の淡いブルーのドレスがとてもよく似合っている」
「ありがとうございます。少し日差しが強いように感じましたわ。殿下はずっと執務室にいらっしゃいましたのね」
「ナデージュとのこの時間を確保するために、喜んで軟禁されていたんだ」
シルヴェストルの軽口にナデージュは美しい微笑みを見せる。
「そうだ、先日海を渡ってやってきたフォートレル国の使者からの献上品に美しい物があったのだ。ナデージュに似合うと思ったのだがどうだろう」
「まあ、こんなに薄い布なのに艶があってとても美しいですわね。羽織ってみてもよろしいかしら」
「私が掛けよう」
シルヴェストルは立ち上がり、大判のショールをナデージュの肩にふわりと掛けた。
しっとりとしたクリーム色のショールは、何か加工されているのか艶やかに光を反射していてとても美しく、今日のナデージュの淡いブルーのドレスによく映えた。
「まるで今日のドレスに合わせて作らせたように似合っている」
「ありがとうございます、とても素敵なのでこのままでおりますわ」
互いに台本に書かれたセリフを読むように言葉を紡いでいる。
実際に、どちらもお互いそのものには興味がないのだから当然だった。
ナデージュもベルトー公爵家の一員として、シルヴェストルとの婚約を受け入れているだけで、そこはシルヴェストルと同じだった。
きっちり二杯の茶を飲むと、
「あまり長居をして、殿下のお仕事のお邪魔をしてもいけませんわね。これで失礼いたしますわ。本日は素敵な贈り物を、ありがとうございました。帰りましたら父に自慢いたしますわ」
ナデージュは婚約者から貰った物は、きちんと父親である公爵に報告するとシルヴェストルに伝え、美しく挨拶をして侍女を従えて応接室を出て行った。
廊下を歩きだしてすぐに、ナデージュはショールを外して公爵家から付き添っている侍女に手渡した。
ナデージュは自分が整えた今日の完璧な装いに、余計な物が加わったことへの苛立ちを外したのだった。