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【25】生と死の狭間に立って

 

日が落ちる前に灯台の手前の森に到着し、森が途切れたところで三人は馬から降りた。

朝まで降っていた雨が上がってからは天気が回復し、道はそれほどぬかるんでいなかった。

木に馬を繋ぎながら、ここに早急に馬屋を建てなくてはならないとシルヴェストルは思う。

やるべきことは次から次と出てきた。

それほど、この灯台にはあるべきものが何もなかった。

島へと続く道を歩きながら、穏やかになった海を見る。

夕陽が海に溶けだしているようにオレンジ色に染めていた。


リュディーヌが、シルヴェストルが持たせたストライカーで器用に火を起こし、蝋燭を点していく。


「ずいぶん使いこなせるようになったのだな」


「これをお預かりできたことで火を点けることがそれほど大変ではなく、助かりました」


「残りは僕がやろう」


丸く磨かれた鏡面は、シルヴェストルが思っていたより大きかった。

溶けたロウで蝋燭をすべて固定すると、鏡面に灯りが反射して傍にいると眩しいほどだ。それに熱もかなりのものだ。


「外からこの灯りがどう見えるか見てみたいので、ちょっと出てきますね」


アルフはそう言って螺旋階段を降りて行った。




「灯りを点けてから、いつもここでどう過ごしていた?」


「このテーブルで日誌や……日記を、書いておりました。あとは、家族のことなどを考えていました」


リュディーヌは『日記』を口にする時に少し目を泳がせた。間違ってシルヴェストルに送ってしまったことを思い出したのだろう。


「リュディーヌ嬢のご家族のことは……僕も考えていた。エディット嬢のしてしまったことは庇えることではないが、そこに至るまでのことを考えるとエディット嬢は被害者でもあった。その後のアルドワン伯爵夫妻のことを思うと、胸が痛む」


「……エディットが被害者でもあったと、そうご理解いただけただけで十分ありがたいことです。ただ、それを表に出さないほうがいいことも承知いたしております。今のお言葉があるだけで……わたくしは……」


「日記のことはね、たぶん僕に思い出して欲しくないと思っているだろうけれど、僕は本当に嬉しかったんだ。リュディーヌ嬢が僕に失ってしまった名前を書いて欲しいと思ってくれたことが」


シルヴェストルは、間違って送られてきたリュディーヌの日記を取り出してテーブルにそっと置いた。


「それでここに書いたのだ。君の日記なのに勝手にすまない」


リュディーヌが日記を開くと、『Ludine・Ardouin』と流れるように書かれていた。

孤児院から引き取ってくれたアルドワンの父がつけてくれた名前だった。


「赤子だったわたくしは孤児院でシスターから『ディー』と呼ばれていたそうなのです。父はその読みを組み込んで名付けたと、父の書斎を片付けていた時に出てきた昔の備忘録にそう記されていました。

本当に、美しい筆致です。このように書いていただけて、とても嬉しいです」


リュディーヌはシルヴェストルが書いてくれた文字にそっと触れた。


「アルドワン伯爵は、リュディーヌ嬢を大切に思っていたのだな」


「はい。本当の父ではないと疑うこともなく十歳まで過ごしました。ここに、シルウィ様が大切な名前を美しい文字で書いてくださったので、宝物にします」


「これからはどこにでも何度でもその名前を書き、呼び続けよう」


「……シルウィ様、ここから灯台の外側に出られるのです。といっても、本当にただ出られるだけなのですが、まるで海の上に浮かんでいるように感じますが、出てみますか?」


「ああ、行ってみよう」


小さな扉があり、そこを開けると灯台の先端部分まで埋め込まれている足場に上って行くためのスペースがあった。柵はあるが何とも心許なく足が竦む。

二人がやっと並んで立てるほどのスペースしかないが、そこからの景色は絶景だった。

沈んだ陽の名残のオレンジ色を、藍色が飲み込もうとしていた。

小さく立つ波がキラキラと陽を映している。

少し風が出てきたのか、隣のリュディーヌの柔らかそうな髪がその頬周りで戯れていた。

なんと美しい横顔だろうか。


「ここからの眺めはとても素晴らしいのですが、こんな小さく細い柵が命を分けているのかと思うと、とても恐ろしい思いがしていました。

こちら側に『生』があり、この細い柵の向こうに『死』があり、簡単に選べるのです。

ほんの少し身体を柵の外側に傾けてしまえば、父と母とエディットに会える──。

その魅力にいつまで抗えるか分からず、私はここへ出るのをやめていました。

でも、シルウィ様とここへ出たら、自分がどう思うのか……それを知りたくなりました」


そう小さな声で言ったリュディーヌに、シルヴェストルは言葉を失った。

ここで、リュディーヌは『死』と向き合っていた。

大切な家族の待つほうへ、身体を傾けるだけで簡単に行くことができると……。

下を見ると、岩に波が当たってはぜている。

遠くの海はあんなに穏やかなのに、眼下の海はここに落ちてくるものを飛沫にしようと待っているかのようだ。

何か言わねばならないと思うのに、喉が張り付いて声にならなかった。

風をいっそう冷たく感じ、シルヴェストルは身体を震わせる。


「……リュディーヌ嬢、今度は朝日が海を染めるのを、ここから一緒に見てくれないか。その夜にはまた、今のように藍色に飲み込まれる海を見よう。そしてまた、朝日を待つ。

その繰り返しを、僕と……ずっと……。

君が好きなんだ……僕はこの柵の向こうの世界にリュディーヌ嬢をやるわけにはいかない……結婚してほしい、夕陽の次には朝日を二人で見る毎日を……」


シルヴェストルのくちびるは震え、涙がせり上がってくるのを必死で食い止める。

何を言えばリュディーヌを柵の内側に繋ぎ止められるか、少しも分からない。

リュディーヌは柵を握って微笑んだ。



「シルヴェストル様、あなたのお傍に……わたくしを置いてください。

闇に飲まれる海も朝日に染まる海も、ずっと一緒に……」


それは暖かな微笑みだった。

何かを諦めている寂しいものではなく、明日を信じている暖かな微笑み。


「……リュディーヌ嬢……」


シルヴェストルはあらん限りの力でリュディーヌを抱きしめた。

抱きしめたというより、全身でリュディーヌをこちら側に引き止めたかった。

どんなに柵の向こうの海や空が美しくとも、リュディーヌを向こう側に渡すことなどできない。

そんなシルヴェストルの背中に、リュディーヌがそっと手を回した。


「ずっと傍にいてくれ……僕はこんなに弱くて情けない男だから、リュディーヌ嬢がいてくれないとダメなんだ……」


ここに理知的なことでその名を馳せた、シルヴェストル・シャルー第一王子殿下は居なかった。

生と死の狭間に立ち、死の魅力に戸惑っている愛しい人を必死でこちら側に繋ぎ止めようとする男が居るだけだった。

夕陽が完全に海へと沈み暗い夜の顔を見せ始めた海を前に、シルヴェストルはリュディーヌこそが、自分の人生を導く灯台の灯りなのだと理解した。


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