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【18】ナデージュ・ベルトー公爵令嬢

 

わたくしの婚約者シルヴェストル殿下は、第一王子として尊敬できる人物だった。

この国ために生きるという命題を身体の真ん中に置いている。そんな殿下の婚約者となったことは父の長年の願望だったのだろう、とても喜んでくれていた。

ただ、一つだけ個人的な問題があった。

密かに、本当に密かにわたくしがお慕いしていたのはシルヴェストル殿下の弟、エヴァリスト第二王子殿下だった。


わたくしが八歳の頃、王家の王子たちと高位貴族の子供たちの顔合わせが趣旨のガーデンパーティでのことだ。

女の子たちと話が合わなくてただ愛想笑いをしていた時、エヴァリスト第二王子殿下が空いていたわたくしの右隣の椅子に座った。

わたくしは、護衛の者たちも殿下に合わせてザッと動いた様子に興味を持った。ザッと……というのは語弊がある。言葉も音もなく、殿下の近くの者も少し離れた者たちも移動した殿下に合わせてしなやかに動いた。

テーブルを挟んだ向こうの低木の近くに二人、等間隔で反対側にも二人、その奥の木陰に一人……そうして目で数えていたら、エヴァリスト第二王子殿下が小声でおっしゃった。


「具体的な数を知りたい? 今日は僕だけを見ている者が六名、兄上には八名、その十四名全体を見ている者が三名の計十七名だ」


わたくしは驚いて、


「そんな重要なことを、わたくしに伝えてしまってよろしいのでしょうか」


「君のような、可愛らしい女の子が刺客だったら、ちょっとやられてみてもいいかな」


そんな軽口をおっしゃって殿下は微笑まれた。

可愛らしいと言われてびっくりしてしまった。

わたくしは、なんでも『目に力がありすぎる』らしく、幼少期から美しいと言われることはあっても可愛らしいと言われたことは、従者の世辞の中にすら無かった。

姉は小さいわたくしと一緒にいても可愛らしいと言われるので、『可愛らしい』という言葉はサイズ感を含まないものだと理解していた。


エヴァリスト第二王子殿下には、わたくしは可愛らしいと見えている。

たとえそれが王子という職業柄たいした意味もなく発せられる言葉だとしても、あの時確かにその言葉はわたくしの体温を一度くらい上昇させた。


それからしばらく、わたくしが十七名を確認しようとそっと周囲を見回しているのをエヴァリスト殿下は微笑みのまま見守ってくださった。

時々、『ドレスを着ている者もいるよ』とヒントを下さるなど、殿下とわたくしは話の内容からヒソヒソとする必要があって身体を寄せて話していた。


それからもお茶会などでエヴァリスト第二王子殿下と話す機会がよくあった。

そのせいで、シルヴェストル第一王子の婚約者になってしまったことはわたくしにとっては皮肉なことだった。

第二王子殿下の興味を惹く話を継続してすることができる令嬢は、ベルトー公爵家の次女である。そう王家に認識された。

公爵家の次女であることは、第二王子殿下より第一王子殿下の婚約者の条件に合致するということで、そちらに推挙されてしまった。


父からシルヴェストル第一王子殿下との婚約が調ったと聞かされた時、ひっそりとお慕いし続けたエヴァリスト殿下ではなかったことにひっそりと落胆した。

でも、シルヴェストル殿下は理想的な『未来の王太子殿下』だった。

お慕いしていたのはエヴァリスト殿下だったけれど、シルヴェストル殿下とは『仕事』のパートナーとしてうまくやっていけそうだった。

わたくしと同じく婚約相手であるわたくしにまったく恋心など持ち合わせてはいないが、敬意と信頼を寄せてくれているのが分かる。

恋心などという不確かで移ろいやすいものを、生きるための軸に据えないところが王太子として相応しいと感じた。

そんな時……突然シルヴェストル殿下から婚約解消を持ちかけられたのだった。


「とても申し訳ないのだが、あなたとの婚約を解消したいと思っている。

あなたは私の婚約者として何の問題もなかった。とても聡明で美しく、未来の王太子妃、さらにそのまた未来の王妃として、あなた以上の女性はいないとさえ思っていた。

それなのに僕は、あなた以外の女性に恋をしてしまった。

自分がこれほど愚かな男だったことを、自分ですら知らなかったのだ。あなたも幻滅したことだろう。

どうかこの婚約を無かったものとして欲しい。

ただそれは、あなたが新たに私の弟エヴァリストとの婚約を引き受けて貰えることが大前提なのだが、どうだろうか……」


どんな時も感情を表情に出してはならないと躾けられ、いつもはそのとおりにできているのに、この瞬間は無防備になってしまった。

エヴァリスト殿下の名前がそうさせたのだ。

カッと頬が熱くなったのが自分で分かった。

シルヴェストル殿下が目を見開いて、私は悟られたことに気づいた。


「……いつから、わたくしの隠していたものを、殿下は知っていらしたのかしら」


「私が十歳の時のガーデンパーティで、女の子に興味の無かったエヴァリストが自分から席を立って君の隣に座った時からだ。前世など信じない私でも、あの二人は前世の恋人同士だったと言われたら現世での再会を祝福したくなるほど、二人の雰囲気が二人の間で完成していた」


「まあ……わたくしが自分の気持ちに気づくよりも早かったのですね。世界最速ではありませんか、そんなシルヴェストル殿下に敵うわけもありませんわ」


「君の婚約者が私になってしまって、申し訳なかったとずっと思っていた。エヴァリストは君と私の婚約が決まったと知って、しばらく塞ぎこんでいた。私しかそれに気づいていないようだったが」


「ひとつお伺いします。この婚約解消は、わたくしとエヴァリスト殿下のためですか? それともシルヴェストル殿下が恋に殉ずるとお決めになったためですか?」


「殉ずるつもりは一片も無いが、もちろん私自身のためだ」


「それを聞いて安心しました。わたくしとエヴァリスト殿下のためだとおっしゃったら、これは解消ではなく破棄だとして、国が傾くほどの賠償金をいただくところでした。

婚約解消、受け入れますわ。父はわたくしが説得いたします。最終的には賛成してくれることでしょう」


「ナデージュ、ありがとう。君をナデージュと呼ぶのはこれで最後だな。ここから先はエヴァリストだけがそう呼べる」


「いいえ、エヴァリスト殿下はわたくしのことをこれからはナディとお呼びになりますわ」


シルヴェストル殿下は嬉しそうな微笑みを見せた。

本当はずいぶん前からそう呼ばれていたけれど、そしてきっとシルヴェストル殿下はそれもご存じなのだろう。


わたくしはこの方が王となられる未来を見てみたかった。

国を背負う重圧に耐えうる資質を持った第一王子だった。

でもそれ以上に、エヴァリスト第二王子殿下が国の頂きに立つところが見たいのだ。

第二王子として自分の努力がどういう形で花を咲かせるのかということから敢えて目線をずらし、その中で目の前のことに真摯に取り組むのは強い精神力が必要だ。

それを軽やかに見せながら地道にこなしていたエヴァリスト殿下を支えたい。


もうシルヴェストル殿下のお心は王宮の中にはないのだろう。いつもと同じに見えて、ご自身への厳しさのようなものがお顔から消えている。


「君に幸せになって欲しいと願うが、私が願わずとも必ずそうなる。エヴァリストは自慢の弟なんだ」


「ありがとうございます、シルヴェストル殿下もわたくしたちの次に幸せになってください、お祈りいたしておりますわ」


「この応接室に、もうしばらくしたら君の待ち人がやってくる。では」


シルヴェストル殿下が軽やかにドアの向こうに消えたと思ったら、すぐに別の侍女たちが入室してあっという間にテーブルの上を片付けた。縁取り刺繍が美しい真新しいクロスに替えられる。

部屋に飛び込んでくるというのはこういう状態を言うのかという感じに、エヴァリスト第二王子殿下がやってきた。


「ナディ!」


「どうか落ち着いてくださいませ、二名の護衛騎士、二名の侍女、一名の従者が驚いておりますわ」


「部屋の外に立っているもう二名の騎士も、だな。ナディ、もうずいぶん会っていなかった……。王宮で見かけることはあっても話し掛けることはできず……」


「第二王子殿下、まずはお茶をいただきましょう。侍女がいつ淹れ始めたらいいものか迷っていますわ」


「あ、ああそうだ、お茶を淹れてもらいたい。僕の分はできればぬるく」


「わたくしのお茶も殿下と同じでお願いいたします」


『ぬるく』という面倒な注文に応えてくれたお茶を飲んだ殿下は落ち着きを取り戻し、わたくしたちは互いの気持ちとこれからを確かめ合った。


「平民になってでも、たった一人の女性の傍に居たいと思った兄上と、その代わりに王太子となる立場を引き受けてでも、たった一人の女性に傍に居て欲しい僕と、あまりにも僕と兄上は似ていた。

僕も兄上と同等の教育を受けてきた。たとえ報われることがなくてもこれが務めだと思っていたけど、こんな形でこれまでの努力が結実する日が来るとは……。

ナディ、いや、ナデージュ・ベルトー公爵令嬢、どうか僕と結婚してください。僕と共にこの国を支えて欲しい。一日一回でも君が幸せを感じられるように、誠心誠意努めると約束する」


「一日一回ですか? バルテレミー王国の未来の王たる殿下にしては、少々ケチ臭くありませんこと?」


「そ、そうだな、じゃあ十回……は、無理かもしれない、が……嘘や誇張はよくない、では、三回でどうだろうか……」


ナデージュは声に出して笑った。声に出して笑うなど前がいつだったかも思い出せない。

本当はエヴァリスト殿下と一緒にいるだけで、ずっと幸せを感じている。

今、この瞬間も。


「幸せを一日三回でございますね、そちらで手を打ちまして、謹んでお受けいたしたく存じます。わたくしも、この国の民が、エヴァリスト殿下が、幸せを感じていただけるよう、精進いたします」



シルヴェストル第一王子殿下について、病が見つかり遠い領地で静養に入ると発表されることになったそうだ。同時にエヴァリスト第二王子殿下が、王太子になるべくシルヴェストル殿下に与えられていた公務をすべて引き受けることも発表される。

わたくしはシルヴェストル殿下との婚約が解消となったというだけで、エヴァリスト殿下の婚約者となることが周知されるのは、もう少し先の話らしい。

お二人と王家は、わたくしがシルヴェストル殿下からエヴァリスト殿下へ乗り換えたなどと言われないように、最大限の努力をするとおっしゃってくださった。


本当は周囲からどう思われても構わないのだ。

お慕いするエヴァリスト殿下の隣に堂々と立つことができるのなら、わたくしの全てを以てエヴァリスト殿下を支えていけるのなら、それ以外のことはどうでもいい。エヴァリスト殿下と無事に婚約が調えば、その先の雑音はわたくしが自分の言動を以て振り払っていく。

ただ、ベルトー公爵家の名誉のこともあって、当面はすべて王家の方々のお決めになったことにお任せすることにした。


「ところで、そのお持ちになってきた包みはなんですの?」


エヴァリスト殿下が部屋に飛び込んで来た時に、包みを手にしていた。ソファの上に置かれたままになっている。


「ああそうだった! 兄上から今回の話を打ち明けられた後、ナデージュ嬢に何か贈り物をしたほうがいい、エヴァリストが自分の好みで選んだショールがいいのではないか、そう聞いてその足で王都の店に向かったんだ。ナディの髪の色に似合うと思うのだが、気に入ってもらえると嬉しい」


シルヴェストル殿下は恐ろしいくらいに何でもお見通しだったのね。

わたくしはこみ上げそうになる笑いを微笑みに変えて包みを開いた。

日暮れ時の空のような、オレンジ色のグラデーションが美しいショールを広げた。

今日の淡い紫色のドレスにはあまり似合わないが、そんなことはどうでもよかった。


「ありがとうございます、とても美しくて……嬉しい、嬉しいです。もうこれだけをずっと使いますわ。本当に素敵、嬉しい……」


「そうか、よかった。うん」


エヴァリスト殿下が柔らかい微笑みを浮かべた。

この優しい微笑みを、ずっと守っていけるようこれまで以上に努力をする。

殿下が王太子、ひいては王となった時、エヴァリスト殿下こそがその座に相応しいと誰もが思うように、わたくしは全力で支えていきたい。

でも、どこにも出せない本音を言うならば、エヴァリスト殿下を支えたいというよりも、ただこうして隣に居てその愛しい瞳にみつめられていたい……。


美しいショールに肩を包まれて、わたくしは幸せを密かに噛みしめた。

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