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【17】恋をしている


シルヴェストルが自分の執務室に戻ると、アルフが『何か言ってやりたい』とわざと顔に貼りつけて立っている。


「アルフ、言いたいことがあるのは分かっている。だが少し待ってくれ」


シルヴェストルは、灯台に物資を運ばせた者が二日かけて戻って来て渡された、袋の中のノートを見た時の驚きを思い出しながら、もう一度ノートを開いた。


そのノートは『灯台守の日誌』ではなく『リュディーヌの日記』だった。

同じノートを十冊渡したそのうちの一冊を彼女は『灯台守の日誌』とし、別の一冊を個人の日記にしたのだろう。まったく同じノートだったから、彼女は日誌と間違えて日記を送ってしまったのだ。

まさか彼女の個人日記だとは思いもしなかったから読んでしまった。

そこには家族への思いと共に、シルヴェストルのこともいろいろと記されていた。


リュディーヌ・アルドワンという名前は、孤児院から引き取ってくれたアルドワン伯爵がつけてくれて大切なものだったこと、その名をシルヴェストルの手で書いてもらえたら、どれだけ幸せだろう、宝物にするのに──。

そしてその下に、『Sylvestre・Charroux』と、自分の名前が書かれていた。

リュディーヌの手によって書かれた自分の名前を見て、胸が熱くなった。

リュディーヌにその名を書かれるために、リュディーヌに呼ばれるためにこの名があるのだと思えた。

その文字に背中を押されるようにして、エヴァリストとナデージュに思いを伝えた。


リュディーヌの身の上については、調査書によって知った。

彼女が大切に思っていた名を、たとえ周囲から身を守るための方策とはいえ男性としても通じる名前にシルヴェストルが変えてしまったのだ。

そんなシルヴェストルの筆致を美しいと言い、その手で、捨てられた自分の名前を書いて欲しいと日記にあったのを読んでから、シルヴェストルの心の臓はずっと速く打っている。


思えばリュディーヌを一目見た瞬間からずっとそうだ。

馬で駆けた直後のように命を刻む鼓動は速くなり、息苦しくて夜もなかなか眠れない。

木の葉が作る影がリュディーヌの横顔に見えたり、王宮のざわめきの中に彼女の声がしたように思えたり、目覚める直前の夢にその後ろ姿を見て、夢の残滓を求めてもう一度目を閉じたりした。

リュディーヌを想えば苦しく、もう会えないのだと思えばまた苦しかった。


──そうか、これが恋なのか……自分はリュディーヌ嬢に恋をしているのか……


これまでのシルヴェストルは、自分の奥に沸くあらゆる感情の振れ幅を完全にコントロール下においていた。

怒りも悲しみも驚きも躊躇いも、喜びさえも『ここまで』と制御できていた。

リュディーヌに関してだけ、大きく右に振れたり左に振れたりしてしまうのをどうすることもできないでいた。

たとえリュディーヌに受け入れられなかったとしても、乾いていた心が慈愛の雨で潤ったことで、この先も生きていけるように思えた。


シルヴェストルは誤って渡された日記の、リュディーヌが綴った自分の名前にそっと触れる。

自分の字を美しいと書いてもらったが、リュディーヌの文字こそが繊細で美しいものだった。

シルヴェストルは大きく息を吸い込んで肺の臓に新しい空気を送り込み、細く長く息を吐いた。

そして、深い海の色のようなインクで、リュディーヌの日記に『Ludine・Ardouin』と素早く書いた。こういう時は、ゆっくり書くと返ってうまくいかないものだ。

改めて大切なその名前を書くと、そこから自分の未来が立ち上がっていくように思えた。



「シルヴェストル殿下、もうよろしいですか」


「……ああ、すまなかった」


「灯台に、行かれるのですか。すべてを捨てて」


「そう決めてしまったんだ。アルフに謝らなければならない。一番酷い目に遭うのは、他の誰でもないアルフだ。身勝手で申し訳ないことをした。アルフのことは、エヴァリストの下で働けるようにエヴァリストに伝えてある」


「……本当に勝手ですね。私は未来の王太子殿下の側近になりたいのではありません。シルヴェストル殿下の側近でありたいのです」


「……アルフ……いや、アルフレート……」


「この先殿下がどこでどのように生きるおつもりなのか分かりませんが、側仕えする者は要るのではないですか? 急に何から何までお一人でできると? 私はもう殿下の人生に必要ありませんか?」


「……いや、もちろん必要なのだが、そんな勝手なことをとても言えるとは……」


「そんな歯切れの悪さで、これから一世一代の求婚ができましょうか!? リュディーヌ嬢も呆れますよ」


「アルフレート、俺について来てくれないか」


「はい、喜んでお受けいたします。ってこれ、プロポーズとその返事みたいですね」


「アルフの一本道だった人生に、急に分かれ道を作っておきながら、先が見えないがついて来てほしいと言うのだからな、確かにプロポーズみたいなものだ」


アルフは笑ったが、シルヴェストルは涙が滲みそうになる。

せっかく王太子候補の第一王子の側近として、安定した未来があったというのに、シルヴェストルが全てを擲ったせいでアルフの未来は混沌としてしまった。

それなのに、こんな無謀な自分について来てくれるという。


「とにかく北西の灯台に参る、その準備を密かにずっとしていたのだが、アルフに頼みたいこともある。引き受けてくれるだろうか」


シルヴェストルはいくつかの頼みごとを口にした。


「かしこまりました」


今日もアルフは風のように部屋を出て行った。


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