【16】弟にすべてを譲る
「……シルヴェストルよ、自分が何を言っているか解っているのか?」
父が険しさに驚きを混ぜたような目で自分を見ている。
「はい。エヴァリストと話し合いました。これまで第二王子として私を支えてくれ、さらに未来でもそうするつもりだったと言ってくれましたが、私はエヴァリストを王太子として推して自分は在野に下り平民となるつもりだと伝えました。
また、婚約者であったナデージュ・ベルトー公爵令嬢にも同じ旨を伝え、新たにエヴァリストの婚約者となるのはどうかと尋ねると、私と婚約してから初めて彼女は本音を顔に表しました。
父上、エヴァリストとナデージュは以前から互いに想い合っていたのです。
私がナデージュと婚約した時、想い合う二人を引き裂くようなことになってしまったことに心が痛みましたが、これも宿命だと理解してくれているナデージュを誰よりも大事にしようと思いました。
でも、やはり彼女を幸せにできるのは私ではないのです。
後は父上にご納得いただくだけです。
私を王籍から抜いてください。
王太子として真に相応しいのは弟のエヴァリストです。そして、その弟を愛するナデージュ・ベルトー公爵令嬢が王太子妃となることが、このバルテレミー王国の未来の正しい形です」
「平民になって、おまえはどうするつもりなのだ……」
「私が北西の灯台の灯台守になります。リュディーヌ嬢に結婚を申し込んで彼女が首を縦に振ってくれれば一緒に灯台の灯りを守り、彼女が承諾しなければ、彼女を別の街に送り安定した生活を確保して、自分が一人で灯台を守ります。そうなればリュディーヌ嬢と二度と会うことはないでしょう。
オールストン公爵家の嫡男アントナンが不穏な動きをしています。
婚約者だったエディット嬢が毒杯を受け、新たな婚約者のカミーユ嬢とも婚約解消となった彼は、一人で北西の灯台を守るリュディーヌ嬢の元へ行き良からぬことを画策しているようです。密かに灯台へ行く目立たぬ馬車を手配したところまで掴んでいます。
女性一人を打ち捨てられたような灯台守として送ったのは私の過ちです。このように愚かな私をどうかお許しください」
シルヴェストルは深々と下げた頭をゆっくりもとに戻すと、身じろぎもせずに陛下の言葉を待った。
その時間がとても長いように感じた。
シルヴェストルの選択はこの国の未来を揺るがす大ごとで、短時間で判断がつけられるものではないと分かっている。
それでももう、エヴァリストにもナデージュにも話を通してしまったのだ、引き返す道はない。
「……おまえがこの国を背負う者を目指し努力を重ね、おまえに期待する者たちに応えようとしてきたことを認める者は私だけではない。
だが、そのおまえがこれまでの全てを擲っても得たいものがあるのだと言うのなら、父としてはおまえの気持ちを尊重してやりたいとも思う、思うのだが……」
シルヴェストルは、眉間にしわを寄せて目を閉じた王の顔を見た。
こんなふうに、不躾に父の顔を見たのは子供時分以来だろう。
何か自分の中の仄暗い部分を見透かされてしまうのではと、恐ろしくて真っ直ぐ見てしまうことなどできなかった。
王としての父を尊敬している。だが、その父の眉間にしわを寄せさせてしまっているのは紛れもなく自分だった。
第一王子が政務と国の未来を放り出して、一人の女性との人生を取ると言ったのだ。愚か過ぎる息子を前に、どう始末をつけようかと逡巡している。
「王妃が……おまえの婚約者を決めた私にこう言った。シルヴェストルは自分が何かを諦めたという自覚もないまま、いろいろなことを諦めていると。
いずれ王たる第一王子だ、それは当たり前ではないかと言い返した。
すると、あの子は真っ先に『自分』を諦めたのですね。自身に希望のない王が民に何を示すことができるのでしょうか、あの子が王になることとあの子自身が幸せになることは、同じ皿には載らないのです。シルヴェストルをあなたのようにしてはなりませんし、ナデージュ嬢を私のようにしてはなりません。
そう言うと王妃は、おまえが生まれてから初めて泣いたのだ。
私はそのことをずっと考えつつも、おまえが王太子となるのを目指しているのなら、その道を提示し続けるのが自分の役目と思っていた、思っていたのだ……」
「……母上が、そんなことを……」
シルヴェストルは、王家の慣例に則って我が子であっても乳母と家庭教師に子供を任せてあまり関わることがなかった母が、自分のことをそう理解し泣いたという事実に驚いた。
こんな事でもない限り、父が母のそんな話をすることなどなかっただろう。
シルヴェストルにとって二人は、両親である前に国王と王妃だった。
もっと『親子』として接する時間があれば何かが違っていたかもしれないと今更のように思った。
「父としてではなく、私は王として、第一王子の責務を擲とうとしている愚か者へ罰を与えなければならない。
……第一王子シルヴェストル・シャルー、北西の灯台への蟄居を命ずる。
とはいえ、灯台守の仕事は懲罰であると他の者に思われては困る。
他国では蝋燭の灯りではない方式の灯台が開発されつつあるとも聞く。
おまえはその方面にも明るいだろう。是非、我が国にもその技術が花咲くよう、死ぬ思いで励め。
アルドワン伯爵が持っていた子爵の爵位をリュディーヌ嬢に授け、元の境界線に基づき灯台のある地をその子爵領とする。この爵位は王家預かりとなっていたもので、おまえに渡すのではなく形を変えてリュディーヌ嬢に返すのだ。
おまえが半島北西の領主になれるかどうかは、リュディーヌ嬢次第だな。
王籍から抜くのはそれからとする。
シルヴェストルよ、終生、エヴァリストとナデージュ嬢への忠誠と感謝を忘れるな。
それから……二人については私自身も思うところがあった。私も反省をしよう。今回のおまえへの甘い処分は、私が土に還るまで私に反省を求め続けるだろう」
「……陛下……いえ、父上。ご厚情に、心から感謝します。重ね重ね、身勝手で申し訳ございません。身勝手ついでにひとつ父上に託したいことがございます。オールストン公爵家はイヴリン嬢を亡くしましたがイヴリン嬢はまったくの被害者ではありませんでした。エディット嬢がアントナン・オールストン公爵令息の子供を身籠っていたことを、その令息本人にも父であるオールストン公爵にも『誰の子だか分からない』と嘘を言ったのがイヴリン嬢です。池に落とされる前にも、エディット嬢を罵り怒りを買ったのです。オールストン公爵が元々裕福なアルドワン伯爵家との婚約を望んだのも、オールストン公爵家の財政に問題が山積しているからです。
どうか陛下のお力で、アルドワン伯爵家の汚名返上とオールストン公爵家への調査を願いたく存じます。私はあくまでも、陛下よりアルドワン伯爵家の長女の処遇を決めろとの命を戴いただけですので」
言うだけ言って執務室を飛び出したシルヴェストルは、廊下の壁に手をついた。
父王の思うような息子でいることができなかった。
幸せであると見せることができず母上を泣かせたような自分が、弟に迷惑と多大な負担をかけ、婚約者の人生も変えてしまった。
自分が初めての恋をしたせいだ。
あまりにも愚かで自分でさえ驚きの渦の中で翻弄されている。
だが、どうにもならなかった。この衝動を抑えて彼女を忘れて生きることができるとは思えなかった。
シルヴェストルは立ち上がる。
灯台から届いたノートをもう一度読むために自室に駆けていく。
居合わせた従者たちが何事かと端に控え、見たこともないシルヴェストルにそっと驚いていた。