【1】エディット・アルドワン事件
夏の盛りに、王宮の池に咲く蓮の花を愛でるという名目の茶話会が、王妃によって開催され伯爵家以上の貴族の娘が招かれていた。
アルドワン伯爵家の長女リュディーヌと次女のエディットにも招待状が届いていた。
だが、アルドワン伯爵家長女のリュディーヌは夏風邪のため欠席。
その茶話会でアルドワン伯爵家次女のエディットは、オールストン公爵家の令嬢イヴリンと口論になり、突き飛ばした。
背後に池があり、イヴリン嬢は仰向けの姿勢で池に落ちた。
すぐに警備に当たっていた王宮騎士らに助けられたが、イヴリン嬢は五日後に亡くなった。
医師によれば、肺の臓に池の水が入ったことによる高熱が原因とみられるという。
被害者イヴリン・オールストン公爵令嬢との口論の原因は分かっていないが、エディット・アルドワンがイヴリン嬢に詰め寄り、イヴリン嬢を突き飛ばしたことを傍に居た者たちが証言している。
証言者はオールストン公爵家の従者のみならず、エディット・アルドワンの侍女も同じ趣旨で証言していた。
また、近くに居た他家の令嬢や侍女や護衛たちの証言もほぼ同一となっている。
なお、加害者エディット・アルドワンは、口論の内容について黙秘している。
エディットはその場で捕縛、留置された。
数日後の貴族会議の場において、高位貴族令嬢を死に至らしめた加害により、十七歳の成人であったエディットは『死罪』と奏上され、裁可された。
アルドワン伯爵と夫人は、連日聴取を受けた後アルドワン伯爵邸に戻されるが監視下に置かれていた。
また、熱を出して茶話会を欠席した長女については、平癒を待ってアルドワン伯爵邸内で聴取を行った。
アルドワン伯爵は奪爵、平民となることが決まった。
アルドワン伯爵邸はオールストン公爵家への賠償に充当されることになった。この件についてアルドワン伯爵の分家筋による、屋敷に関する権利の主張は認められなかった。
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第一王子シルヴェストルは、事件の概要が書かれた書類を机に置いた。
その様子を見ていたバルテレミー王国を統べるラザール=マルク四世は、息子であるシルヴェストルに言った。
「読み終えたようだな。この事件の加害者エディット・アルドワンは、書類にも記載されているとおり死罪が決定している。
伯爵夫妻と伯爵家長女の処遇が決定し次第、エディットの刑は毒杯にて執行される予定だったが、今朝方アルドワン邸の監視の者から、伯爵夫妻が夫妻の私室にて自死との報告があった」
「……伯爵夫妻が自死、ですか」
もう一人の娘を置いて夫婦だけで自死を選ぶとは……残された娘をアルドワン伯爵夫妻はどうするつもりだったのか。
シルヴェストルは、伯爵夫妻はエディットの処刑を見届け、せめて残された長女リュディーヌの行く末が整った上で楽になるべきだったのではと、そっと憤りに似た気持ちを持った。
「シルヴェストル、おまえに求めるのはこの事件の加害者の姉の処遇だ。妹はこれから毒杯を与えられることが決定しており、両親は自死を遂げた。残された姉をどうするか、それをおまえは考えるのだ」
そう言いながら、王はシルヴェストルの前に別の書類を置いた。
開かなくても、ここにその姉リュディーヌ・アルドワンについて書かれているのだと分かる。
「シルヴェストルよ、この事件の加害者の姉の処遇を、誰もが納得できるものとせよ。
『誰もが』の中に、その姉自身が含まれていればベストだがこの状況ではそれも難しかろう。いかにして姉を納得させられるかが肝要だ。
この案件を最善に捌けるか、立太子を前におまえの能力の見せどころだ」
「期間はどれくらいでしょうか」
「十日以内だ。他にも考えるべきことは山ほどある。結果はさほど重要ではないのだ。おまえが決めた加害者の姉の処遇の内容、それがどう判断されるかがすべてなのだ」
「かしこまりました」
「シルヴェストルよ、おまえがいずれこの国を率いる王たる器を持つと、私は信じている。
そのためにこの案件を適切に精査処理するように」
そこまで言うと、王はもうシルヴェストルに興味を失ったように、別の書類に目を落とした。
シルヴェストルは一礼をして、渡された新たな書類を持ち、王の執務室を出て行った。
シルヴェストルは王の執務室から戻り、別の仕事を片付けていた。
やるべきことはいくらでもあり、『エディット・アルドワン事件』にばかり時間を割くことはできない。
それでも仕事が一段落すると、アルドワン伯爵家に一人残された姉のことを考えた。
父王は『結果はさほど重要ではない』と言った。
それは、妹の死罪が決定していて両親が自死した娘の処遇が『いい落としどころ』と看做されさえすれば、その後その娘がどう生きようと、あるいは死のうと関係ないということだ。
王である父からすれば、この案件は王国内で発生した数あるトラブルの内の一つに過ぎず、それをシルヴェストルがどう判断するかを見極める『材料』でしかない。
アルドワン伯爵家長女リュディーヌの調査書を見ながら、シルヴェストルは溜息をつく。
──別に、この紙切れの中にその娘の人生があるのだ、などと青臭いことを言うつもりはないのだが……。
「アルフ、頼まれてくれるか」
「はっ」
シルヴェストルは側近のアルフを呼んだ。
妄想の翼を持つ考え方は好まないが、友人でもあるアルフに関しては、人の心が読めるのではないかと本気で思うことがある。そのくらいアルフは物事を察知することに長け、シルヴェストルの思考の流れの癖を把握しているようだった。
「アルドワン伯爵家の長女リュディーヌについて、表玄関から訪ねたのでは得られない話を集めてくれ。できれば二日後の夜までに。無茶を言ってすまないが」
「承知いたしました」
アルフは短い返事を残し、風のようにシルヴェストルの部屋から出ていった。