第98話 闇に呑まれ
右手の指輪がその存在感を示すように黒く光っている。剣術大会に行ったあとから、一段と濃くなった気がする。
剣術大会で王族席に座っていたユリウス様は私には手の届かない遠い人になっていた。他の令嬢にも心を許さないユリウス様だから誰のものにもならないと、思っていた。
でも、違った。
アイリーネ様がオルブライトに戻られてから二人を見るのは初めてであったが、その目が――態度が――いいえ、全身が彼女は特別なのだと語っていた。
誰のものにもならないのではなくて、最初からただ一人のものだったのだ。
ユリウス様を慕っていた令嬢の多くはすでに諦め、婚約を結んだものも多い。わたくしも、そう出来ればどんなにも良いだろうか……
このようにいつまでも思い悩む自分が嫌い。
前をむけずに過去を振り返るばかりの自分が嫌い。
この指輪のような道具に頼り心を手に入れようと考えていた自分が嫌い。
そうか――自分自身が嫌いなのに誰かに愛して欲しいだなんて、そんな事あるわけ無いじゃないの?
気がつけば……涙が溢れていた。
涙と一緒にわたくしの想いも全部流れてしまえばいいのに――
ふと、指輪に違和感を覚えた。
「――っ!!」
急激に熱を帯びた指輪から痛みを感じたあと、凄まじい勢いで黒い闇が溢れ出す。
無駄なことだとわかっているのに、慌てて手で指輪を覆い隠すも闇の勢いは止まらず、天井を突き破った。
「そんな、どうして!ダメよ!」
「お嬢様!!どうされたのですか?」
「開けて下さい!」
部屋の外では執事や侍女達が集まり、騒ぎとなっている。部屋の中は家具は倒れて破損し、カーテンは引き裂かれてもはや、わたくしの部屋とは思えない。
どうしよう、どうすればいいの?
もう、すでに大きな騒ぎになっている、お父様の耳に入るのも時間の問題だわ。わたくし一人で闇に呑まれてしまえばいいと考えていた、だけどすでに大きな騒ぎとなりわたくしだけの問題ではない。
『身を任せれば楽になれるよ』
『さあ、全てを指輪に委ねて』
嫌だと拒否したところで、わたくしの力ではどうすることもできない。指輪から溢れる闇を見つめながら、わたくしは闇に呑まれた……
「――嫌ーっ!!」
クラウディアは真っ暗な闇の中に囚われて、自我を失っていった。
♢ ♢ ♢
カーテンの隙間から光が洩れている、もう朝を迎えているようだわ。ベットから起き上がり、カーテンを開けると雲ひとつない青空が広がっていた。
「いい天気だわ」
天気とは裏腹に私の体に残る倦怠感に眠る前の記憶を探ってみる。
昨日は、ユーリと一緒に収穫祭に行って、それから露店をまわったり、占いをしたわよね……
「リーネ!目が覚めたのか?まだ、起き上がってはダメだろう?」
「あ、ユーリ。私は――」一体どうしたのだろう、と続けようとしたけれど、部屋に入ってきたオドレイに遮られてしまう。
「あっ、坊ちゃま!また、勝手に寝起きのレディの部屋に入ったりして!」
「わっ、オドレイ。リーネが心配で……」
「だからと言って!寝間着姿のアイリーネ様の部屋に入るなんて」
オドレイに怒られたユリウスは部屋の外へと追いやられてしまい、食堂で待っていると言い残し立ち去って行った。
着替えと洗顔を済ませ食堂にやってくると、すでにみんな席に着いていた。
ユーリにシリル、イザーク様。そしてお父様とお祖父さま、一斉にこちらを見ると私の姿を眺めてきた。
「アイリーネ体調はどうだい?」
「少し怠いような気もしますが、大丈夫です」
「えっ?だったら部屋で食事をしても――」
「いえ、みんなと一緒に食べたいので、食堂でいただきます」
涙もろいお父様はすでに目に涙が浮かんでいて、お祖父さまに慰められている。やっぱりこの怠さの原因は何かあったのだろうか。
「じゃあ、みんな揃ったし食べようか」
「「はい!」」
お祖父様がそう言うと、朝食が運ばれて来た。
私はフレンチトーストを頬張りながら、昨日自分の身におきた出来事を尋ねてみる。
「あの、昨日私はどうしたのでしょうか?」
「……アイリーネ、何か覚えているかい?」
「えっと、収穫祭で……。あっ、人とぶつかって……」
「あのな、アイリーネ。朝からする話しじゃないがな、お前の身に大変な事がおきたんだ」
「えっ!?」
お父様の代わりに話し始めたお祖父様の表情は険しく、私の身に何がおきたのだろうかと不安になる。
その後、説明してくれたお祖父様によると、私に何かしらの毒のようなものが盛られて倒れてしまい、聖女の力で解毒してもらったという、衝撃の内容だった。
「誰かが私の命を狙ったのですか?私のことを殺したいくらい憎んでいるのでしょうか……」
そんな風に誰かに思われているなんて、ショックだ。
友人と呼べる人もリオーネ姉妹ぐらいで、他の人とは挨拶を交わす程度だ。それなのに、誰かに殺したいぐらい憎まれたり、恨まれているなんて……
「いや、多分そうじゃない」
「違うのですか?」
「ああ、今回はおそらく別に意図があるんだろう」
「別に……ですか」
「ああ、そうだ。だから、お前は気にせずに普段通りに過ごせばいいぞ」
普段通りにといわれても気になって仕方がないのだけど、これ以上聞いても教えてもらえない雰囲気に仕方がなく頷いた。
「失礼します、旦那様」
オルブライトの屋敷に新しく雇われた執事のエドモンが慌ただしく食堂に入ってきた。エドモンはまだ30代と執事にしては若いが優秀な人だとお父様が褒めていた。
エドモンはリオンヌに耳打ちをすると、顔色を変えたリオンヌは食堂を飛び出して行き、エドモンも後に続く。
食堂の中に残られたみんなは唖然としお父様が出ていった扉を見つめる。お祖父様も見つめていたが、ゴホンと一つ咳をついた。
「……とりあえず、食べるとするか」
「……はい」
何があったのかわからないけれど、お祖父様がそう言うので朝食を食べるのを止めていた手を再開した。
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