第90話 クリストファーVSアルバート
闘技場の控室では順調にトーナメントを勝ち上がったクリストファーが自分の順番を待っていた。
身分が関係ない剣術大会では護衛の兵士は廊下に配置されており、いつも王城で多くの人に囲まれているクリストファーにとって、自室以外で一人になるということは、慣れない環境であった。
何度目かのため息にやはり緊張しているのだな、と認知する。緊張を認めてしまうと、焦りが込み上げてきて、落ち着かなくてはと自分を叱責した。
「クリスお兄様ー!」
部屋の扉がノックもなく開いたかと思うと侍女と護衛を連れた、コーデリアとローレンスがいた。
「コ、コーデリア?ローレンスまで、今日は留守番じゃなかったのか?」
「クリスお兄様が心配できちゃいました。ね、ローレンス?」
「は、はい。父上に許可もいただきました」
「そうか……」
応援に来たと言い無邪気に笑う姿を見ると、何だか胸が熱くなる。そうか私は一人でいることが、心細かったのだな。二人の顔を見てようやく落ち着いてきたみたいだな、と自分なりに分析してみた。
「クリスお兄様にお渡ししたい物があるのです」
そう言ったコーデリアはこちらに近付いて来る。
「腕を出して下さい」
「腕?こうか?」
コーデリアに合わせて少し屈むと、コーデリアは私の腕にハンカチを巻き付けてくる。
「ハンカチ?これは……」
ハンカチを腕に巻き付けられ少し困惑するが、そういえばイザークも同じようなハンカチを巻いていたなと思い出した。
「これは無事を祈り刺繍を入れたハンカチです。本当はアイリーネがクリスお兄様にも作ろうとしていたのですが、クリスお兄様の分は私が作るので遠慮してもらいました」
「……ありがとう、コーデリア」
まだ小さな妹が自分にしてくれた行為が嬉しくてとても感動する。うっかりと涙が出そうになったけど、恥ずかしくてそんな姿は見せられない。
ふと、ハンカチを見ると小さな刺繍が入れられいた。
「これは?なんだろう?棒……?」
「なにを言ってるのですか!?剣ではないですか!」
「「剣!?」」
ローレンスと声が揃ったので、顔を見合わせた。
どうやら、この黒い棒状の刺繍は剣だったらしい。
「クリスお兄様は剣術が好きなのでしょう?」
「……好き?」
改めてそう言われて、ハッとした。
私の唯一誇れる物、それが剣術。
近衛騎士との厳しい訓練もただ単に強くなるため。
剣を握っている瞬間は身分も関係なく、余計なことも考えなくていい、ただそれだけの想いだと思っていた。
好きなのだろうと指摘されて初めてわかった。
結局のところ私は剣術か好きなのだ。
だから、強くなりたいし、負けたくない。
こんな単純なことに気づかないなんて、我ながら呆れる。
「クリストファー・アルアリア様、準備はよろしいですか?」
いよいよ、か。
「ああ、いつでも」
♢ ♢ ♢
試合を開始する前から闘技場はすでに盛り上がっているようで、たくさんの人の声が聞こえる。
そうか、あの人はすでに位置についているのか。
ぐるりと見渡すと、案外と観客の姿が見えるものだなと思ったよりも落ち着いている自分がいた。
そして王族席に座る父に母を見つけた。
剣術大会にいくら身分が関係ないとはいっても、私がこの国の王太子だということは皆が承知している。
ならば、それに相応しい試合を――いざ
「ただ今より、クリストファー・アルアリア対アルバートの試合を始めます」
審判が告げ、右手を高く掲げると試合が始まった。
ゆっくりと抜刀すると剣を構えた。
アルバートも剣を構えているが、動く気配はない。
ならば、と息を吐くときつく剣を握り直し前に踏み出し剣を振り下ろした。
♢ ♢ ♢
振り下ろされた剣を受け止めると思っていたよりも重い。太刀筋は真っ直ぐで悪くはないが、育ちの良さが伺える。
きっと真面目に日々鍛錬したのだろう、ただ実践経験がないのだなと感じる。この王太子の剣は実際に魔獣を狩ることも人を斬ったこともない。剣を伝って感じる皮膚を切り裂くというおぞましいほどの感覚を感じたことがないのだ。
そんなお前に負ける気はしない
鍔迫り合いを制すると右に左にと力任せに打ち込む。
素早い動きにもしっかりと受け止め、よくついてきているな、と少し感心する。
明らかに今までの奴らよりも強い。
俺がこの王太子が嫌いだった。いや、憎悪といったほどがいいだろうか。その理由は回帰前の王太子の行動を考えればわかるだろう。
あんなにもあっさりとマリアの術に嵌りアイリーネを虐げた。
だか、回帰後の王太子を見ると分かる。
真面目なこの男がどれほど悩み、後悔しているか。
だけれども、ただ真面目なだけのお前の剣では何も守れない。
次の瞬間、思い切り剣が斬り込まれるとにクリストファーが剣と共に後ろに飛ばされ倒れこんだ。
――痛い、全身に痛みは感じるが幸いなことに手足は正常に動くようだ。
「棄権しますか?」
心配そうにそう尋ねた審判に怒りを覚えた。
棄権だと?ありえない、まだやれる。
闘技場に立つ以上、自ら退場するなどという考えはない。
全身が土にまみれた状態になり、すでに王族の姿ではないなと苦笑いしながらもクリストファーは立ち上がり、剣を構えた。
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