第89話 愚策
勝者の名が告げられると静まり返っていた闘技場に歓声が響き渡る。
闘技場にいる観客の全てがアルバートに注目し、称賛している。
アルバート自身はそんな観客の態度に気にもとめず、ただ一人を見つめていた。
俺が気にするのは、お前だイザーク……
お前以外の誰にも負けるつもりはない。
――イザーク・エイデンブルグいや今はイザーク・ルーベンか。まさか今世で剣を交える機会に恵まれるとはな
射抜くような鋭い視線を感じたイザークもまた、アルバートを見つめ返した。
――相手がだとしても譲れない。勝利すると誓ったのだ。
自身の腕で存在感を表すハンカチに触れ、イザークもまた今世で剣を交える数奇な運命に胸を弾ませた。
かつて帝国一と言われた前世では機会に恵まれなかったが、今世で強敵と剣を交えることに喜びを感じている、そんな自分に気づき少し驚いた。
以外にも自分の腕に自身があったのだな、と思わず口元を緩めた。
「彼は強いね、例の赤髪の教団主だよね?」
「………はい。そうです」
イザークの隣で対戦の様子を伺っていたクリストファーはアルバートの視線がイザーク以外を捉えていないことで、自分など眼中にないのだろうなと察する。
「イザークと対戦する前に、彼と対戦することになりそうだな……」
「……そうですね」
また自分もイザーク以外は警戒する必要はないと侮っていたが、強敵を前にクリストファーは苦笑いした。
しかし……
「……でも私だって負けるつもりはない」
私が唯一誇れる剣でどこまで通用するのか試したい。
それにもしかしたら、王太子として最後の剣術大会になるかも知れない。
私の決断に父上はなんとおっしゃるだろうか……
この先の未来を案じ、少し震える己の手をきつく握ると目を閉じた。逃げることなく最後まで突き進む、そうクリストファーは固く決意した。
♢ ♢ ♢
「あのように強くて見栄えが良くても、平民じゃ意味ないわね」
隣で退屈そうにしながら、そう呟いたミレイユをチラリと見る。
「どうして平民だと思うんだい?」
「家名を呼ばなかったじゃないの」
「外国からのお忍びかも知れないじゃないか、それに身のこなしも平民らしくなかった」
「あら?そうかしら、まあどちらにしても、わたくしには関係ないけどね」
そんなにも退屈そうに興味ないのなら、最初から来なければよかったのに。そう思っても実際に口にすると騒ぎ立てるので胸の内に秘める。
ミレイユのことだから、クリストファー殿下と友人であるユリウス様が応援来るだろう、この機会に近づこうと考えていたのだろう。ところが実際はユリウス様は王族の席が用意されており、近づくことは例え公爵家であっても出来なかった。
「ねぇ、ミレイユ。デビュタントのパートナーは他の人を探した方が良くないか?」
「何を言うのエルネスト!わたくしのデビューは完璧なものじゃなくてはいけないでしょう!?」
「しかし、彼は頷かないよ……」
そう、彼の視線の先にあるのはアイリーネ嬢だけ。
どれほど綺麗に着飾った他の令嬢達が声をかけようとまともに見る事すらない。
そんな紳士ではない彼がどうして人気があるのだろうと考えたこともある。
身分、容姿、膨大な魔力、あげればきりがないかも知れないが、高位貴族の令嬢達は望めば大抵の物は手に入る。そんな環境で手に入らない彼はとても魅力的なのだろう。
それに――あのアイリーネ嬢のいる場所が自分の場所になればと想像しているのだろう。ヴァールブルク公爵家から出たアイリーネ嬢のことを警戒する令嬢は多い。
妹ではなく、他人であると知って彼に恋い焦がれている令嬢は涙しただろう。そんな事、初めからわかっているじゃないか、彼の目は妹を見る目ではなかっただろうに……
アイリーネ嬢……
こんなにもあなたが気になるのは、私の能力ゆえにでしょうか。
「エルネスト?聞いてるの?」
「えっ?何か言った?ミレイユ」
「もう、わたくしにもいい考えがあると言ったのよ」
ミレイユのいい考え?不安しかない。
「わたくしの能力をユリウス様に使えば感謝されると思わない?」
「能力って癒しの能力の事かい?」
「それも、とっておきの……ね」
甘やかされたミレイユは筆頭公爵家の令嬢としてはプライドだけ高く思考は幼い。幼い頃から神聖力が高く、聖女として期待されていたため、通常の学問よりも治癒の能力を伸ばすため教会に通っていた、そんな背景もあるかも知れない。
そんなミレイユの聖女としての能力は高く、体の欠損であっても治すことができる。それから、毒……解毒ができる聖女は数が多くない。
「まさか――ど」
毒と言いかけてミレイユの手で口を塞がれた。
そうだここは闘技場、多くの観客がいる。こんな物騒な話しをする場所ではない。
「……悪いけど私は関わらないよ」
「エルネスト!裏切るの!?」
「裏切る?私は最初から関わってはいないだろう」
騒ぎ立てているミレイユを一人残して席を立つ。
ミレイユの父である公爵がつけた護衛がいるのでミレイユに危険はないだろう。
それにしても、手に入れるために想う相手に毒を盛ろうと考えるとは、なんて幼稚で愚かなのだろう。
でももしもユリウス様がアイリーネ嬢の側を離れることがあれば……
エルネストは遠くに見える王族席を見つめ、近い未来におこるかも知れない展開に一抹の不安と一握りの期待を感じていた。
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