第87話 ふたりの令嬢
馬車の中で不機嫌な従兄妹殿のご機嫌を伺う。
いつもと同じようで、今日はどこか違う、彼女自身わかっているのだろう。
落ち着かない様子で親指の爪を噛んでいる。
「ミレイユ、爪を噛んでいるよ」
「だ、だって何ですのあれは!あんなにも話しが通じないなんて!わたくしに、あのような口をきくなんて!」
目の前の従兄妹殿は、筆頭公爵家の令嬢として生まれ、見目は麗しく、神聖力も多く聖女として認められている。そのため何事にも自分が一番でなければ気に入らない性格だ。
来年にはデビュタントを迎える、そうなれば今よりも注目されるだろう。今の彼女はデビュタントでのパートナーをあのユリウス・ヴァールブルクに狙いを定めたようである。しかしパートナーを依頼するも本人にもヴァールブルク公爵家にも承諾されなかった。
だからといって、シリル様とアイリーネ嬢の噂を流すことでユリウス様が遠ざかるとでも思ったのだろうか。
それともただの嫌がらせか、どちらにしてもユリウス様には敵だと認識されたであろう。
時を同じくして父親のフォクト公爵が教会をロングウルフに襲わせるなど、自分達が怪しいですと言っているようなものだろう。
「まあ、私でも君のパートナーは御免だけどね」
ボソリと呟いても聞こえていないミレイユは気にもとめていない。
我儘に育ったこの令嬢は、ユリウスに対して好意を抱いているわけではない。
パートナーを選ぶにあたり、お眼鏡に叶う高位貴族はそう多くなかった。
まず、候爵家以上であること、同じ年頃もしくは年上。これだけでも人数が絞られていまう、あとは容姿端麗……ここまでくるとまず思い浮かぶのは、まずはクリストファーだ。しかし、王太子であるクリストファーがパートナーを務めるのは難しい。と、なるとユリウス・ヴァールブルクしかいない。
候爵位の令息はいるにはいるが、次男であり嫡男でなく、他の高位貴族令息達は見た目がユリウスよりも劣ってしまう。
それに、彼女は……
「聞いてる?エルネスト。だからわたくしがアレット様の生まれ変わりであるように、ユリウス様はイザーク皇太子の生まれ変わりだと思うのよ」
「………へぇ」
近頃流行りの恋愛小説「エイデンブルグの落日」
貴族令嬢だけではなく平民の間でも人気の小説だ。この小説がこんなにも人気なのは史実であると謳っていることが大きいだろう。
滅びゆく国に翻弄された恋人達、そして迎える悲劇、それが多くの令嬢に好まれる要因となったのだ。
そのエイデンブルグの落日を読んだミレイユは事も有ろうか自分がアレット様の生まれ変わりだと言うようになった。
「疑っているのでしょう、エルネスト。わたくしが見る夢と同じよ。あのアルアリア・ローズが咲く教会で二人は愛を育むのよ、遠目で見ても見間違えるはずはないわ」
まるで自分のことのように、目を閉じ語るミレイユ。
だけどミレイユ気付かないのか?
二人、遠目、それは誰の目線だ?
本当に君がアレット様の生まれ変わりならば、皇太子殿下は目の前にいるのではないのか?
などと君を問いただした所で聞く耳を持たないだろうがね。
「まあ、ミレイユ。我儘もほどぼどにしないと、将来の結婚相手も見つからないよ」
「なんですって!エルネスト、あなた――」
馬車の中で腰を上げ怒り狂うミレイユの額に手を当てて、呪文を唱える。
金色の光がエルネストの手から放たれるとミレイユは瞬きをしながら呆然とした。
「……何を話していたかしら?」
「何でもないよ、ミレイユ」
エルネストは自らの手を見つめ、口元を緩めた。
♢ ♢ ♢
折を見て、この指輪を外してもらおうと思っていたのに、機会を逃した。
右手に光る指輪が忌々しく存在感を放っている。
愛し子ならば外せると言われたこの指輪をどうしたものかと画策していた時、アイリーネ様が公爵家の人間ではないと本来のオルブライト家に戻られた。
ユリウス様のアイリーネ様への溺愛は有名だが、それは妹だと思っていたので気にもとめていなかった。
あの方の近くに女性の影がなかったのではなく、元々近くにあったのでは、そう考えてしまうと、潜めていたあの感情が湧いてくる。
勝手に舞い上がったくせに、勝手に勘違いしたくせにと自分を戒めても言う事をきいてくれない。
指輪が望む感情がどんどん押し寄せてきて、何も手につかない。
「お嬢様、剣術大会のドレスはどうされますか?」
「……剣術大会」
そう言えば、四年に一度の剣術大会は今年の収穫祭の前日に行われるはずだとぼんやりと考える。
「はい、剣術大会は大勢の人が訪れますし。大会に出席した方は告白をされる方もいらっしゃると聞いてます。お嬢様も、もしかしたら――」
「興味ないわ」
そう、他の殿方には興味はない。ユリウス様は魔術師だから剣術大会にはでないであろう。しかし、友人のクリストファー殿下が出場されるのであれば、応援に来るだろう。
――会いたい、たとえ人目でも姿を拝見したい。
指輪が外れず共に過ごさなければならないなら、欲望に忠実なるのも悪くないそんな気もしてきた。
ただ、気にかかるのはお父様とこの家。
――ごめんなさい、お父様。
大粒の涙が頬をつたい溢れていく。
「お嬢様、どうされたのですか?」
驚いたメイドに一人にしてほしいと命じて部屋から出す。
もしも、わたくしが闇に囚われるなら、自我を失くした方が楽だと思う。あの人を慕うこの気持ちが壊れてしまえば、楽になれるかも知れない。
だけど闇に囚われるのも破滅を迎えるのもわたくし一人でいい。
そんなわたくしの願いを叶えることは、はたして可能だろうか。
そうして剣術大会は当日を迎えた。
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