第82話 外れない仮面
大聖堂では怪我を負った人達が癒しの能力を持つ聖女によって治療を受けている。
癒しの能力が強い聖女がいるそうで、一人で治癒しているようだ。流れるようなシルバーの髪は"エイデンブルグの落日”の愛し子アレットを連想させる姿であった。
神官達は魔獣モドキによって荒らされた礼拝堂の後片付けに追われていた。
そんな中でさえシリルは微動だにせず立ち尽くす。
その背から流れてくる悲しみがとても痛々しくて見ていられない。
アイリーネはシリルの袖を控えめに引っ張った。
振り返ったシリルは涙は溢れていないのに、傷ついて泣いている、そんな気がした。
「帰りましょう、シリル様。私達のお家へ。お祖父様は言っていました、一緒に住んでいると家族も同然だそうです。だから、私達は家族です。ですから一緒に帰りましょう」
「……家族」
シリルは少し眉を下げながら花が綻んだように柔らかく笑った。
僕の家族は教会にはいない、そう思って教会を出たはずなのにあの人の言葉ひとつでこんなにも傷ついてしまうなんて。唯一の子……今更じゃないか僕の家族はお祖父様だけだったのだから。
だから、僕は新しい家族と共に生きて行こう。
「ありがとう、帰ろう。アイリーネ手を出して」
「手?ですか」
「うん、イザークも手を出して」
「は、はい」
シリルの右手はアイリーネの左手と繋ぎ、左手はイザークの右手と繋いでいく。
――あったかい……
繋いだ手の温もりが僕の冷えた心も温もりで満たしてくれる。
ほら、僕の家族はこんなにも温かいじゃないか。
「僕達は同じ家に住む家族だね」
「――はい、そうです!」
「――ええ、その通りです」
「じゃあ、帰ろうか?」
「はい!」
三人は手を繋いだまま大聖堂を去り行く。
さようなら、本来なら僕の父であり母であった人。僕はもうあなた達の事で心を痛めることはないと思います。
だから、
『あなた達にも妖精王の御加護がありますように』
僕が気にしなくてもいいほど幸せでいて下さい。
このあと、シリル様から家族だからシリルと呼んでほしいと言われ、この日を堺に"様付け”を辞めた。
ユーリは自分だけの特権だったのに特別じゃなくなるようで嫌だ、と言っていたのだけど大聖堂での経緯を知って最後には「それじゃ仕方ないな」と不愛想に呟いた。私よりも大人なユーリが子供みたいで思わず笑ってしまった。
シリル曰く、ユリウスは前からずっと変わらないよと、言っていたのだけど、お兄様であった頃はそんな事はなかったと思うのだけれど、おかしいなと首を傾げた。
♢ ♢ ♢
「今回は神聖なる大聖堂であのような騒ぎを起こし申し訳ありません。陛下」
国王、ジラールは目の前で頭を下げる法衣の男を見つめていた。
「……掛けてください。教皇」
幸いなことに死者はでなかった大聖堂での騒ぎだが、神聖な場所に魔獣が出たという事実は王都中に衝撃をもたらした。
王都で一番大きく神聖な場所。神託の折にはイルバンディ様も降臨する場所、それが大聖堂だ。
それが多くの人が祈りを捧げる時間帯に起きた惨劇に、妖精王の加護が失われつつあるのではと言う者も現れるようになった。
中には愛し子の存在に疑問を呈す者も……
これはまずいぞ、よくない展開だ。このような事態は回帰前にはなかった。よりによって大聖堂とはな……
大聖堂は当然のことながら多くの聖騎士を配置している、だとすればこれは内部犯行だということか……
「教皇、詳しい経緯を話してくれ」
「経緯と言いますか……当時、大聖堂では沢山の人が祈りを捧げてました。急に獣の声がしたのです、聖騎士達が斬りつけても獣は直ぐに起き上がりきりがなく、やむを得ずシリル様を呼びに行かせました」
教皇は額の汗を拭いながら話しを続ける、こうして見ると前教皇と似ている所もある。
だからこそ拭えない違和感。シリル"様”。
これは前教皇が心配するわけだと納得する。
「シリル様と共にアイリーネ様がみえられて、魔獣だと思われる獣を浄化したところ、ロングウルフだったのです」
「ロングウルフ……」
報告書にも上がっていた。生息地ではない王都にロングウルフがいるなどありえない。ましてや闇の魔力を纏うだなどとは。
「間違いなく、闇の魔力であったのか?」
厳しい視線で教皇を問い質す。
教皇は一拍おいてから断言した。
「はい、間違いありません」
「……そうか……それで負傷者はどうなった」
「あ、はい。負傷者は数人で程度も軽症から中等度の怪我でしたので大聖堂に居合わせた聖女によって治癒されました」
「そうか、その聖女の中にフォクト公爵家の娘はいたか?」
「フォクトと言えばミレイユ様でしょうか?はい、おられました」
「そうか……」
近頃、きな臭い動きをしているフォクト公爵。フォクト公爵は筆頭公爵と呼ばれるほどこの国で最も古いかつ力のある公爵家で、この国の政治にも深く関わっている。
尚且つ、フォクト公爵夫人は宰相の妹である。
回帰前は目立つ動きはなかったがここにきて、疑わしい報告が上がってきた。
まず、近頃シリルとアイリーネが婚約間近ではないかという噂の出所がミレイユ嬢である。聖女達の中で広まった噂はいまではあちらこちらで聞かれるようになった。
それにこの魔獣騒ぎ。ミレイユ嬢がいた大聖堂で突如として現れた魔物、果たして偶然なのだろうか。
それから父であるフォクト公爵と宰相が近頃ローレンスに接近していると報告を受けた。
王族でただ一人光の魔力を持つローレンスはまだ子供だ。その子供に近づいてどうしようと言うのか?
それにしても、と目の前の教皇に意識を戻す。
「教皇、そなたは自分の息子を様付けで呼ぶのか?」
「……陛下。私達は血の繋がりがあっても父親ではないのです」
「………」
「私はシリル様より妻を選んだのです。ですからシリル様は血の繋がりはありますが息子ではないのです」
「何も――何も感じないのか?」
一瞬みせた表情、それは戸惑いそれとも動揺なのか……
「妻を選んだので、何も感じません。シリル様もご理解頂いていると思います。……与えられた温もりが途中で消えてしまう方が残酷でしょう?初めから与えられなければ消失感もないのですから」
「……そうか」
やっぱりこいつは前教皇に似ていない。
本当の大馬鹿者だ。そしてどちらかしか選べない不器用な男だ。
ご理解頂いている?本心ならそなたは救いようのない馬鹿だぞ。
その瞳の奥の真実を暴きたくて目を凝らしてもお飾りの教皇という仮面を上手く被り見えやしない。
そなたが仮面を被り続けるなら、最後の最後まで被り続けろ!決して外すことがないように。
そんな王の心の内を知ってか知らないのか、教皇は深々と頭を下げて退室していった。
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