第77話 別れの時
街外れにある教会の二つの塔が見えてくると、ようやく帰ってきたのだと実感する。
馬車から降りて背伸びをすると、体が少し解れたような気分だ。セララ湖から王都までの道のりは色々な物に触れ楽しくも、馬車での移動は苦痛でもあった。
馬車の旅に馴れている者ならば苦痛ではないのかも知れないが、アイリーネ同様にシリルも今回の旅が王都より長期に離れるのは初めてであった。
教会の生活スペースに移動すると、思いがけない人物の登場に体が強張る。
お祖父様にはあまり似ていない、ヒョロリと背の高い法衣を着た人物はにこやかに話しかけてきた。
「お帰りなさいシリル様。随分と遅かったのですね」
「……申し訳ありません、教皇様」
「何をおっしゃるのですか、シリル様が謝る必要などありませんよ。誰にもシリル様の行動を咎めることなど出来ないのですからね」
そうですね、お祖父様が亡くなってからは僕の事を怒ってくれる人なんて、ここには存在しないのですから。
僕のことを崇めてくれる人はいても、心配してくれる人もいないのでしょう。
「僕に何か御用でしょうか?」
「ええ、私の妻が実家の領地より王都にやって来るのですが、シリル様のご予定をお聞きしようと思いまして」
妻つまり、僕の母親が王都に来る。
だから、僕に会っては困る。母の精神状態が悪くならないように。
「めずらしいですね。どうかされたのですか」
「娘が病弱なもので聖女様の加護をうけにくるのです」
娘つまり、僕の妹。会ったことはないけれど。
きっとむこうも僕のことは知らないだろうけど。
普通の家族では考えられない会話に長い付き合いのマルコもさすがに驚きを隠せないようだ。
「加護が強いシリル様が羨ましいですよ」
「………」
普通の人がこう言うと嫌味を言っているととられるだろうが、父の場合は本当にそう思っているところが厄介だ。
「僕はしばらくの間大聖堂に行く予定はありません」
「わかりました」
用事は済んだとばかりに来た道をもどる父を呼び止めて大事な話しを切り出した。
「それと僕はこの教会から出ていきます」
「出ていく?何をおっしゃっているのですか。シリル様がここを出てどこに行くと言うのです。あなたの家はこの教会ではないですか」
「お祖父様が亡くなられてから僕の家族はここにはもういません。そんな僕を家族だと思ってくれている所へ行こうと思います」
「……そうですか、シリル様に妖精王の御加護がありますように」
「……ありがとうごさいます」
あなたに言われるまでもなく、僕は妖精王、イルバンディ様の御加護があるので大丈夫です。
人間の親というものに期待をしていた部分もありましたが、今となってはどうでもいいと思います。
笑顔のシリルは妖精であると皆が称賛する。
教皇にむけて笑顔を披露したシリルはまさしく、妖精であった。
♢ ♢ ♢
普段着に下着、誕生日に頂いた品物に本。
意外と荷物はあるのだなと鞄の蓋を閉める。
今日私はお父様と暮らすために公爵邸をあとにする。
忘れ物はないなと部屋の中を見渡した。
「リーネ、支度は出来たのか」
「はい。えーっと、ユーリ様」
「様はいらない。リーネはみんなに様をつけるし、ない方が特別な気がする」
「……ユーリ」
恥ずかしくて、小さな声で言ったのだがユリウスにはちゃんと聞こえたようだ。
嬉しそうに笑うユリウスは銀の貴公子と呼ばれるのも納得なほど美丈夫である。
多くの令嬢が慕っているユリウスが何故こんなにもアイリーネに好意を抱いているのか不思議でならない。
「アイリーネ、いやアイリーネ様。今日でお別れですね」
「はい、公爵様。今までありがとうございました」
アイリーネが見事なカーテシーを披露すると公爵はまるで嫁に出す気分だよと言って涙ぐむ。
「荷物が少ないないかな?ドレスや宝石もアイリーネ様のために買ったものだから置いておかなくてもいいのだよ」
「……マリアが欲しがっていたので、全部マリアにあげます」
様子を伺っていたマリアが勢い良く部屋に入ってくると反論した。
「そんなに欲しがってません」
「そう?いつも私の物を欲しがっていたと思ったのだけれど。このウサギのぬいぐるみは欲しいと言っていたわよね?マリアにあげるわ。私にはもう必要ないから」
回帰前にも母から買ってもらったぬいぐるみ、母が唯一リーネのために選びとった物、愛情を感じさせる役割だった。
しかし、もうリーネには必要ない。
リーネには新しい家族がいるから。
「どうしてお兄様まで家を出て寮に入るのですか!」
リーネに図星を言われて顔を赤くしているマリアは今度はこちらに風向きを変えた。
「リーネがいないならこの家にいる必要性を感じないから」
「お父様!お父様からも言ってください!」
目を潤ませたマリアは父にユリウスを説得するように言うが、横に首を振られた。
「自立も必要なことだよ。マリアも自立していかないとね」
悔しそうなマリアは手でスカートを握りり俯いている。
「リーネ、リオンヌ様が待っているよ。先に降りていて」
「はい、わかりました」
アイリーネに続き公爵も荷物を運ぶため玄関で待つリオンヌの元へ向かって行った。
先程まで笑顔でアイリーネを見送っていたユリウスは急に声色を変える。
「なあ、マリア。全部お前にあげるよ」
「えっ?お兄様……何を……」
「両親も家も公爵家の全てをお前にあげる。だからこれ以上リーネの物をほしがるな。いいな?」
そう言うとユリウスもまた部屋を出ていった。
残されたマリアは悔しさのあまり涙が流れてくる。
だってお姉様の……アイリーネ様の物が素敵に見えるのだから仕方ないじゃない。
涙を拭うとウサギのぬいぐるみを壁に投げつけた。
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