第75話 夢中のアイリーネ②
カルバンティエの口からどのようなお願いが紡がれるのだろうかと緊張で目が離せない。
「実はね、僕のことを慕ってくれている子を救ってあげてほしいんだ。皆、本当はいい子なのだけどやっぱり人間が扱うにはやっかいなのだろうね」
「えっと、もう少し具体的に言っていただかないと……わかりにくいです」
悩んで考えているカルバンティエは首を傾げて顎に手をあてた。
「人に伝えるのは難しいんだね。そうだな人数は小さな街ぐらいかな?君の能力で浄化してあげてほしい。伝わった?」
「街ぐらいの人ですか?申し訳ないのですがそこまで多くの人を浄化したことはありません」
頼まれた人数の多さにアイリーネは驚いた。
神聖力を高めるために教会に通っているが街と同等の人数といえば相当の数である。
それだけの人数が浄化しなければいけないなんて、何があったのだろうか。
そのような沢山の人に対して一度に能力を使用したことはまだない。
「そうだねぇ、おチビちゃんだもんね。じゃあもう少し大きくなったら頼まれてくれないかな?」
「……おチビちゃんではありませんし、可能かどうかも約束できないのにわかりましたとは言えません」
私の言葉が意外だったのだろうか、カルバンティエ様は驚いたように目を見開いた。
「そうか……わかった。では君が出来る範囲でお願いしたい。ダメだろうか?」
出来る範囲、そうゆう事であれば断わる必要はないだろう。私の浄化という能力は実際珍しい能力であるし、何より私は妖精の愛し子なのだから。
「はい、わかりました」
そう返答すると私にはカルバンティエ様が安堵したように映った。
そう言えばシリルが触れてはいけないと言っていたあの女性がいない。
私の視線に気づいたのか「彼女は別の場所にいるよ」と告げられる。
「君達が近づきすぎるのはよくないみたいだからね」
シリル様と同じことを口にされ、私とあの女性との間には何かあるのだろうかと疑問を抱いた。
「ん?お客さんだね、珍しいこともあるもんだね」
「えっ?お客さま?」
客という言葉に反応して振り返ると視線の先には見知らぬ女性が立っていた。
女性は20歳前後であろうか、ブロンドに空のように青い瞳の美しい女性である。
カルバンティエに敬意を払うかの如く深々とお辞儀をした。
「そんなに畏まらなくてもいいよ。それとも君からすれば畏怖の対象なのだろうか……」
「いえ、そのようなことはございません」
「うん、知ってるよ。えっと――そう!冗談ってやつだね」
慌てて顔をあげた女性に対しニヤリと口元を緩めているがどのあたりが冗談なのだろう、と内心では問いただしてみた。
「おチビ……アイリーネに会いにきたのだろう?」
「……はい」
私に会いに来た?いったいどうしてだろう、そんな風に考えていると突然暖かくて柔らかいものに包まれた。
抱きしめられている、そう認識するのに時間はかからなかった。
驚きと戸惑いの中、どこか懐かしいと感じられる匂いと体温が私の記憶を呼び覚ますようで。
もしかして――と考えてそんな筈はないと否定する
そんな都合のいい話しは物語の中の出来事に過ぎないと……
だけど私の本能が告げる。この人は私のお母様だと。
「お母様なのですか……?」
絞り出すように出した自分の声は掠れていて緊張感が増す。
涙を目にためながら微笑んだその人はゆっくりと頷いた。
もしかしてと思いつつも過度な期待はしてはいけないと考えていた私だけど、公爵家の人間ではないと知ってこの世に独りぼっちのように感じたことなど全て忘れ去ることができるくらいに歓喜に包まれる。
私にも母親と呼べる存在がいたんだと。
「ごめんなさい、一緒にいてあげられなくて」
どうして一緒にいられなかったのと声に出せない程、私は小さな子供みたいにただ泣きじゃくった。
泣き止むのにどれぐらいの時間がかかったのだろう。
何も言わずにただ優しく抱きしめてくれた、背を撫でてくれた、今まで公爵夫人より与えられなかった温もりが、ずっと欲しかったものが自分に与えられるなんて夢でもみているみたいだ。とハッとした。
そうだこれは夢の中なのだと……
わかってしまった。
確かにあの時公爵夫人は言っていた、亡くなったと……
だとすれば年齢的に考えて母親とは思えないほど若いということも、この地に現れたことも納得できる。
夢から覚めてしまえば、もう会うことは叶わないのだと……
だったらずっとここに居たい。
夢から覚めても辛いだけなら、夢の中にいたい。
「リーネ、リーネ迎えに来たよ、一緒に帰ろう。誤解なんだ話しを聞いてくれー」
不意に聞こえた声に体がピクリと反応する。
お兄様……小公爵様が叫びながら歩いている。
私を探しているのだろうか、ここは夢の中だというのに。だったら私にとって都合のよい幻を見ているのだろうか。
「今度のお客さんは騒々しいね」
「………」
縋るようにお母様に抱きつくと私の手を握りしめてくれて、少し安心する。
やがてガゼボを見つけたお兄様がこちらにむかい駆けてきた。
「見つけた、リーネ」
いつものように笑いかける姿は私のことを嫌っているようには見えなくて、胸が苦しい。
見ていられなくて、俯いてしまう。
「あっ……リーネ……」
ショックだった今までなら笑顔を返してくれていたリーネが俯いてしまい、目も合わせてくれない。
こんなはずじゃなかった、リーネに出生が語られたあと動揺するであろうリーネをちゃんと気遣って、それから自分のことを兄ではなく異性として見てほしいと告白するつもりだった。
それなのに――
グッと唇を咬み自分に対する怒りを飲み込むんだ。
深呼吸をして気持ちを落ち着けると胸の内を明かす。
「リーネ、聞いてほしい」
「……なんでしょう」
リーネの冷たい声に少し気後れするが、それだけ傷ついたということだろう。
「リーネは俺がリーネを嫌ってると思ってるんじゃないか?それは間違ってる、そんなことありえない」
「だったら!どうして――」
「本来なら花束でも持って格好良く、リーネが好きな小説の中の王子様みたいに決めたかったんだけど……」
フゥと息を吐いたユリウスはアイリーネの前に立ち止まると覚悟を決めたように片膝をついた。
驚いて後退る仕草のアイリーネの手をとると、その手の甲を額にあてる。その姿はまるで許しを請うかのようであった。
「誓ってリーネを嫌ってなんかいない、むしろ逆だ」
「逆?」
「リーネの事は妹だと思ってない、大切な女の子だと思っている。いずれは結婚したいと、それぐらいリーネの事が好きで、愛している」
「えっ!?」
自分が思ってもいなかった展開に思考はついていけず、あとから意味がわかると恥ずかしくて顔が真っ赤になる。
「ゆっくりでいいよ、ゆっくり考えていいよ、ずっと待ってる。強制じゃないしリーネには他の選択もあるだろう。だけど俺を選んでほしいと思っている、それだけは知っていてほしい」
今まで兄だと思っていたユリウスか急に異性の顔で真剣な告白をするので小さな声で「はい、考えてみます」と言うだけで精一杯だった。
「みんな、心配してるよ。帰ろう」
差し出された手に自身の手を乗せるようとして身動きをとめる。
「リーネ、どうしたの」
アイリーネの視線の先にいた見覚えのある女性。
エリンシア・アルアリア、リーネの母親。
何故こんなところにいるのだろう。
エリンシア様はすでに亡くなっている、まさかリーネを迎えに来たというのだろうか。
ユリウスはアイリーネの手を掴むと自分の側に引き寄せた。
「待ってください、私のお母様なのです」
「リーネ……」
二人のやり取りを見たエリンシアは安心したように微笑んだ。
「アイリーネ、帰りなさい。あなたの居場所はここではないわ。あなたの帰りを待ってる人が沢山いる」
「お母様……」
「また、いずれ会えるわ。それからお父様にもよろしく伝えてね」
そう言ったお母様からどんどんと遠ざかりお母様の姿は小さくなっていく。
「えっ、私のお父様は生きているのですか」
目覚める直前に見たお母様の姿は手を振りながら優しく微笑み頷いていた。
そして私は目覚める、夢から覚めて帰って来た。
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