第72話 逃れられない運命の日
自分が望んだはずだけれど令嬢が湖に落ちた姿を目の当たりにし、侵した過ちに我に返りようやく目が冷めた。
幸いにもすぐに助け出された様子にホッと息をつく。
こんな恐ろしい事を望んでいたわけではない。
わたくしはただあの方に恋をしただけ……のはずだった。
結果を見ればどうだろう、もしかしたら亡くなっていたかもわからない。そうなるとわたくしはただの犯罪者だ。
こんな事、お父様にも言えやしない。
打ち明けるべき相手もいない。
相手は公爵家で我がウォルシュ侯爵家よりも高位である。事が公になれば父は職を追われ、家門もお咎めなしとはすまないだろう。
今更ながら自分の愚かさに気づき涙がこぼれ落ちた。
こんな筈ではなかった、あの方を思うと胸が高鳴り、自分を見つめる瞳を想像するだけでこの世の幸福の全てが自分ので中にあるような錯覚に陥った。
お父様に婚約者について問われた時に欲を持ってしまった。わたくしにもあの方に寄り添うことが出来るかも知れないと思ってしまった。
お父様からあの方にはすでに決まった相手がいると言われても実際に異性の影はなく、お父様の情報が間違っていると決めつけてしまった。
右手に光る指輪は元々の黒い石が更に闇を吸ったように黒い色が増し、その不気味な存在感を主張している。
「こんな物!!」
そう言ってどれだけ指輪を強く引っ張ってもびくともせず、指から外れない。
「どうして……どうしてよ……」
立っていることが出来ずに膝から崩れ落ちると、たまらずに慟哭する。
地面に泣き伏せるわたくしの前に急に現れた人影は、有名なある方とよく似ていた。
「君はきちんと反省しているんだね」
「……あなたはオルブライト様?」
「いや、違うよ。僕にはそんな立派な名はない」
そう否定する彼はシリルによく似ているが、髪の色も瞳の色も違う。なにより彼のまとう雰囲気があまりにも違っていた。
「少し見せてみて?」
そう言う彼はわたくしの指にはまる指輪を時間をかけて調べているようだ。
「これなら愛し子に頼めば外せるはずだ。だからいいかい?絶対に使用してはいけないよ。もし次に指輪を使えば君は闇に囚われてしまうからね」
「闇に囚われる……」
「うん、君の自我も関係なくただ闇の魔力を使うそんな存在になりたくないでしょう」
「はい。そんな恐ろしい存在になんてなりたくありません!」
「じゃあ今の気持ちを忘れないで、負の感情に身を委ねてはダメだよ」
彼の手を借り立ち上がったわたくしは新たな決意と共にしっかりと頷いた。
指輪の力は使わない、あの方に対する想いも指輪と共に封じよう。そう決意した。
♢ ♢ ♢
アイリーネはリオンヌ達と夕食を食べたあと、疲れていたのか直ぐに就寝してしまった。
そのためだろうかまだ真っ暗だというのに、目が覚めてしまう。
喉がかわいてしまい、飲み物を飲みたくても、家とは違いオドレイもいないしどうすればよいのだろうか。
そんな風に思いベッドルームを出ると共通の応接スペースがあり、アイリーネは飲み物はないかと探してみる。
「だから、マリアはアイリーネの出した光で驚いて湖に落ちたそうよ!そもそもあの子がいなければマリアはこんな危ない目に遭わなかったのよ」
お兄様のベッドルームからお母様の声が聞こえる。
私の名前が出てきて心臓が跳ね上がり聞いてはいけないと思いながらも吸い寄せられるようにお兄様のベッドルームに近づいた。
「そもそもあの子を預かることを私は反対だったのよ」
「母上!」
「カロリーネ!」
「だってそうでしょういくら母親が亡くなったからといって何も我が家で預からなくてもいいじゃない」
お母様は何を言っているの?誰のことを言っているの?
いいえ、本当はわかっているのでしょう、認めたくないだけでしょうともう一人の私が囁いてくる。
確かに私は誰にも似ていない。この髪の色はこの国には私以外は存在しない、愛し子だからだよと言われても猜疑心はつきまとっていた。
誰にも似ていない私、幼い頃からあった疑問の答えがここにあった。
胸の鼓動が速くなり息が苦しくなってきた、平衡感覚が失われたように足元がフラフラする。
「ユリウスあなたもあなたよ。どうして血の繋がったマリアではなく、アイリーネばかりを優先するの。妹として可愛がるならマリアでしょう。それなのにアイリーネばかり優先してマリアの事はあんなにも毛嫌いして」
「母上、俺はアイリーネを妹として見たことなど一度もありません。むしろ血が繋がってなくてよかったと思ってますよ」
お兄様が言った言葉がナイフのように私の胸に突き刺さった。
どう言うこと?お兄様は私のことを妹だと思ったことはない?
だったらお兄様は今まであんなにも優しかったのは私が愛し子だからなの、本当は血が繋がってなくてよかったと思うとほど私の事が嫌いだというの。
気がつけば私の頬には涙が溢れていた。
私はこの家の子供ではない預けられているだけの子供、そしてお兄様は私の事が嫌いだった。
これはきっと悪い夢だ、そう思い込もうとしても絶え間なく流れてくる涙は夢ではなくて、私の頬を濡らしてゆく。
立ち去ることも出来ずにただ声を押し殺して泣くこと以外に私に出来ることはなかった。
気がつけば立ち尽くしている私の手に触れる私よりも小さな手があった。
「可哀想なお姉様、あっお姉様じゃないんですよね。お兄様にも本当は嫌われているなんて、本当にお可哀想」
そう言って瞳を濁して歪に笑うマリアに私は何も言えずにただ泣いていた。
「大丈夫ですよ、私は嫌いではありませんからね。だって私まで嫌ったらアイリーネ様には誰もいなくなるじゃないですか」
「やめて!!」
私の手を両手で握るマリアの手を大きな声と共に振り払った。
想像以上に大きかった私の声はガランとした応接スペースに響いたため、お兄様の部屋の扉がゆっくりと開けられた。
「リーネ!!」
しまったというようなお兄様の表情がたまらなく苦痛で私は駆け出すとその場から逃げ去った。
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