第268話 ローレンスと宰相
剣術大会は全ての日程を終えた。
闘技場の控室も人の姿はまばらで、私はユーリとイザーク様と共に帰路に使用する馬車へと向かう途中で乾いた音が廊下に響いているのに気付いた。
廊下は石材で出来ており、靴音も響くがそれとは違い何かを叩く音ではないかと考えて歩みを止めた。
「リーネ?」
「あの音って……」
耳を澄ませばその音は私の耳にまだ届いている。
隣のユーリと首を傾げて顔を見合わせると今度は怒号が聞こえてきて、慌てて声がした方へ進んでいく。
廊下の突き当たり、声が聞こえてこなければ気にも留めない場所に人影はあった。
「お前はいったい何を考えている!」
「……私は――」
「お前の意見など求めていない!」
宰相は自身よりも高身長の息子を見上げて怒りに震えていた。そして、頬を打った。
先程の音はエルネストが頬を打たれた音だったのだとアイリーネは驚いた。
助けなければと思う反面、宰相の怒りにアイリーネはショックを受けていた。城で出会う際の宰相はいつも笑みを浮かべているような人物で自分の子供に手を挙げるとは思っていなかった。
それでも、とアイリーネは一歩近づくも自分が小さく震えていることに気づいて立ち止まる。
――確かに宰相の変わり様に驚いたけど、震えるほど怖いだなんて。
そうか、二度目の私は悪意には慣れていないのだわ。いつだって、ユーリやイザーク様達に守られていたから。
「リーネ、俺が行くからここにいて」
「で、でも……」
私だって皆を守りたい、そう心の底から思っているのに、私の足は言う事をきいてくれない。
「大丈夫、俺は強いから」
「う、うん。ありがとうユーリ」
ユーリが私を安心させるように微笑んで歩きだそうとした時、コーデリアがユーリの前に立ち塞がる。
「待って!ここはローレンスに任せて」
「ローレンスに?でも……」
ローレンスはアイリーネより年下、そんなローレンスが大人の宰相とやり合おうと言うのだろうか。
「大丈夫よ。宰相はね、ローレンスを愛してやまないの」
コーデリアの言葉に驚いて思わずローレンスを見る。当のローレンスは嫌そうな表情をしており、王族は本来、表情を変えないもの。それでも、ローレンスは表情を隠そうともしていないようだ。
「コーデリア、変な言い方止めてよね。私を愛してるのではなく、光の魔力を持つ私だからね」
「そうか、宰相は光の魔力を崇拝していたな」
宰相が光の魔力に対して異常な程に崇拝している事はユーリも知っている。有名な話なのね。
ローレンスは足音を立てずに宰相に歩みよる。
気配を消しピタリと宰相の真後ろに立つ。
「宰相?」
いくら宰相が興奮していても流石に真後ろに立つローレンスの声は聞こえたようで、慌てて振り向こうとして足が絡まり転んでしまった。
「いたたたっ……。ロ、ローレンス様!!」
笑顔を貼り付けたローレンスを見上げる形になった宰相が怯えているように見えるのは、私の勘違いだろうか。
「宰相?何をしていたの?」
「あっ……それは……そう!愚息を叱っていたのです!」
「叱る……とは?」
「はい!愚息は愚かにも闇の魔力を擁護するような発言をしました。光の魔力を持つローレンス様には不快な話でしょう。安心して下さい、このわたくしめが――」
「……確かに不快だ」
ローレンスの言葉に宰相は顔を輝かせて対照的にエルネストは表情を暗くした。
「で、ですよね――」
「いや、不快なのはあなたですよ、宰相」
「えっ?わたくし……ですか?」
「うん、そうだよ。国の中枢に与する宰相ともあろうもろが、魔力で人を判断して差別している不快でしかないだろう?」
「そ、それは……。しかし、わたくしめは王家、特にあなた様に忠誠を誓っております。ローレンス様に愚息の様な者が近づくのも正直気持ちが良いものではありません。これからはこの愚息を遠い地の教会にでも預けて――」
「私が望んでいるのだよ」
「へっ??」
ローレンスの言葉に宰相は間抜けな顔をした。
「私が自分の補佐兼護衛としてエルネストを望んでいる。宰相は私の考えに異議を唱えると言うのか」
ローレンスの視線は鋭くて、それでいて王族としての威光が備わっていた。
思わず宰相は頭を垂れた。
「そ、そんなつもりは御座いません」
「だったら、宰相、分かるよね?」
「…………」
「宰相……、手を煩わさないでくれ。あまりにも聞き分けがないと、光の魔力が失われる事案が発生するかも知れないだろう?」
「!!。は、はい。承知しました」
宰相はその後逃げるように慌ててどこかに走って行った。
「さすがローレンスね」
「もう、コーデリア」
軽くローレンスが睨んでもコーデリアはどこ吹く風だ。宰相が引いてくれて良かったとアイリーネも胸を撫で下ろす。
「ありがとうございます、ローレンス様。庇ってくださって、嬉しいです。しかし、ローレンス様。父が言っていた事も一理あると思うのです」
「私は自分の行動は正しいと考えている、現に光の魔力は失われていない。だから、考えは変えないよエルネスト。私の側に仕えて欲しい」
エルネストはローレンスを見つめたがその瞳から真剣さが伝わってきて、観念したように頭を下げた。
「これで、一件落着ね」
「もう、コーデリアは何もしていないだろう?」
ローレンスが呆れた様に言うとエルネストの顔にも笑みが現れた。
問題の全てが解決した訳では無いけれど、コーデリアの言う通りひとまずは一件落着であろうと、アイリーネ達は会場を後にした。
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