第262話 ユリウス・ヴァールブルクの初戦
控室から闘技場の入り口へ移動して中に入る。
窓から漏れる光が受付時と変わらず晴天なのだと教えてくれている。だが、暑すぎるのも体力が奪われる、考えものだなと小さく息を吐いた。
案内された先の観客席の光景に俺は息を呑んだ。
歓声と熱気に押し潰されそうだ。
この場に立てる者は極一部。クリスもイザークも既に四年前には体験している。
「何食わぬ顔してたよな……ムカつく」
何が自分は王位に相応しくないだよ、この光景に恐れを覚えていないクリスは……大物だよ。
さてと、気を取り直して対戦相手の正面に立った。
ヴィクトル・ルーベン、イザークの実兄。
こうして見るとイザークにもアベル様にも全然似ていない。似ているのは青い瞳のみ。その青は真剣な眼差しとぶつかり合った。
「お久しぶりですね?お手柔らかに」
「はい、お久しぶりです。それはこちらのセリフですよ、ヴィクトル様」
ヴィクトルとの面識はある、しかしそれはイザークを介してのもの。親しい間柄ではない、副団長を務めている、その情報だけで剣の腕は確かだと推測される。それに幼い頃よりアベルの指導を受けている、実力者であるに違いないのだ。
「――では」
そう言って仕掛けてきたのはヴィクトル。
「――っ!!」
体格通りの重い剣、掌に伝わる振動にやはりと気を引き締める。
次いで右に左にと揺さぶるヴィクトルの剣はその体格から想像するよりも速さもあった。
騎士団の副団長ともなれば直接魔獣の討伐することなど稀である。だから、戦い慣れていないだろう。そういう侮りが少なからずあった。
故に、想像していたよりも速く力強い剣に翻弄されていく。
躱すのみで精一杯で自身の呼吸と心音だけがやけに大きく聞こえている。闘技場に響き渡る金属音が歓声が止んでいるのだと教えてくれる。
「防御だけではどうにもなりませんぞ」
そんな事はユリウス自身分かっている。
ユリウスには戦う経験は多数あるにはあるが、それは魔術によるもの。剣での経験はないに等しい、それでもヴィクトルの速さに目が追いつけるのは、討伐経験があるからだろう。
――魔封じの腕輪をつけていて正解だった。
今回の剣術大会に向けてユリウスは魔封じの腕輪を装着していた。ユリウスにとって魔力とは意図しなくとも発せられるもの、しかし剣術大会において無意識とはいえ魔力を出現させてしまえば失格となる。
装着するか否かは本人次第。
ユリウスは腕輪を装着することを選んだ。
慣れ親しんだ魔力が封じられるのは、心許ない。
しかし、剣術大会に魔力は不要なのだ、己の剣技を試すのみ。
「よし!」
ユリウスは後ろに下がるとヴィクトルから距離をとった。剣を構え直し膝に力を入れると一気に前に出た。
一段と響く金属音。受け止めたヴィクトルは一瞬驚いたように目を見開いたが、すぐに口元を緩めた。
それは純粋に楽しんでいる、そんな雰囲気。
ヴィクトルは剣術を好んでいる、ユリウスにはそれが分かった。
ヴィクトルが剣を振り、ユリウスが受け止める。
逆にユリウスが剣を振る、攻防戦が繰り返されて観客席は固唾を呑んで見守っていた。
勝負は互角に見えていたが、時間が経過していくと体格差、体力において有利なヴィクトルが徐々にユリウスを追い詰めていた。
――くそっ!流石に強い。このままでは……しまった
ユリウスは体勢を崩した、この好機をヴィクトルが見逃さないはずはない。
「終わりにしましょう」
ヴィクトルの剣が宙を裂く――
「ユーリ!!!」
ユリウスが怪我をするのではないかと思わずアイリーネはユリウスの名を叫んだ。その声は静まり返っていた闘技場によく響いた。
もちろん、ユリウスの耳にもヴィクトルの耳にも。
ユリウスは衝撃に備えていた、命のやり取りではない剣術大会ではあるが、怪我はつきもの。
怪我をしても聖人、聖女の準備は万端である。
そう思っていたのだが、衝撃は訪れることない。
ユリウスは伏せていた瞳をヴィクトルに向けるとヴィクトルは時が止まったように、ただ一点を見つめて動きを停止していた。
何を見つめてるんだ?
そう思ってヴィクトルの視線の先を辿るとアイリーネの姿があった。
「ん?リーネ?」
アイリーネがどうかしたのかと、ヴィクトルに目線を戻すとヴィクトルは目を輝かせ顔を紅潮させていた。
「ほ、本物……本物の愛し子様だ!凄いぞ、動いておらろれる!なんと、こちらを見つめておられるじゃないか!」
やや早口に語るとヴィクトルの奇行が始まった。
「愛し子様ー。こちらですヴィクトルはここにおります!このヴィクトル、愛し子様にお逢いできて天にも昇る勢いでございます」
ヴィクトルは嬉しそうに手を振っているが、闘技場の中は妙な雰囲気となった。それもそのはず、まだ試合の途中なのだ、それも本来なら勝負がつく、そんな瞬間であったのだから。
誰もがヴィクトルの奇行に驚いてどうしたものかと対応出来ずにいた。
ユリウスも訳が分からないと弟であるイザークを見た。
イザークの声が聞こえた気がした。
「今のうちです」と。
ユリウスは頷くと素早くヴィクトルの首筋に剣先を向けた。
「し、勝者はユリウス!ユリウス・ヴァールブルク!!」内心は戸惑いを隠せない審判であったが勝負はついたと勝者を呼び上げた。
闘技場にも戸惑いが見られたが、誰がが拍手を始めると歓声が大きくなり会場中に響き渡っていった。
「いやー。負けてしまいましたね」
ヴィクトルはユリウスに握手を求めた。
控室に向かう廊下、拍手はまだ鳴り響いている。
ユリウスは握手に応じながら口を開いた。
「あの……一体あなたは……?」
何者かと先程の奇行は何なのだと問い質したかった。身元はしっかりしているが、アイリーネにとって危険な人物ではないのだろうか、と疑いの目をヴィクトルに向けた。
「あの……ですね」
言い淀むヴィクトル、眉をひそめるユリウス。
そんな二人の間に割り込む者がいた。
「危険な人物ではないよ、ユリウス」
「シリル?」
「ヴィクトルはね、妖精王と愛し子の熱狂的なファンなんだ」
「ファン?なんだそれ?」
この国の者ならば妖精王や愛し子を敬っている者は多い。しかし、ファンとは何だろうか、信者とどう違うのかユリウスには分からなかった。
「えーっとね、推し活?をしてるんだよ」
「推し活?」
「例えば絵姿を眺めたり、グッズを集めたり。姿を見るために会いにいったり、応援したり」
「それはリーネが好きだと言う事なのか?」
「恋愛的に好きな人もいるだろうけど、ヴィクトルの場合は違うんじゃないかな。どうなのヴィクトル」
「シリル様、私は愛し子様を敬愛おります。他意はありません。例えを申しますと王族の方を思うような考え方が近いかと……まあ、愛し子様に対してはそれ以上に慕っておりますが――」
王族よりもとは不敬である。
その後もヴィクトルの愛し子愛は留まることがなく語られていく。
「あの瞬間!愛し子様の声をお聞きして頭の中が真っ白になりましたー!その声を辿れば――私を見つめていらっしゃった!」
「いや、見てないから」
「あの愛らしい姿といったら――」
「聞いてないな」
それにしてもとユリウスは思う。
イザークの兄ならばアイリーネに接触する機会はあったのではないかと、しかし実際にはなかった。
「あー、それはね、接近禁止が出ているからだよ」
「接近禁止?誰から」
「陛下だよ、危険人物じゃないけど、ちょっと気持ち悪いでしょ?アイリーネが怖がるかも知れないってさ」
ヴィクトルは陛下にそんな風に思われていると知っているのか知らないのか、まだ語っている。おそらく後者なのだろう、とユリウスは感じた。
運良くといった形で手に入れた勝利ではあるが、勝ちは勝ちだとより一層気を引き締めて、次の試合の歓声を聞きながら控室に戻ることにした。
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