第260話 一度目と二度目と
「心配でもしているのか?」
気がつけばイザークの足元に猫がいた。
イザークを見上げながら尻尾を揺らすと床に叩きつけている。
「カルバンティエ様………」
「話し難い……抱き上げてくれないか?」
「えっ?抱き上げる……承知しました」
イザークは猫を飼ったことはない。
それでも見様見真似で両脇に手を入れ抱え上げ、臀部に腕を沿え安定感を与えた。
「上出来だ」
満足だと猫はイザークの胸を軽く叩いた。
「難しい顔をしているね?おチビちゃんが心配か?」
「そうですね……もちろんそれもあります」
「ふむ。それ以外は……先程のあの娘か……」
「………」
「……あの娘も以前とは少し違うぞ?」
「どういう意味でしょうか」
マリアの浄化中でアイリーネの邪魔にならないようにと小声で話していた二人……一人と一匹であったが、猫はイザークの肩に手を置き口元をイザークの耳に近づけた。
「あの娘は今は天涯孤独の身の上だ」
「それは――!」
「バカモノ!声が大きい!」
猫に叱りを受けてイザークは浄化中のアイリーネに視線を向ける。
どうやらこちらの声は聞こえていないようで、集中して浄化しているアイリーネの姿があった。
「あの、カルバンティエ様……」
「あの娘は今回は施設で育っている。家族というものは存在していない」
「……それは、一度目のマリーがアイリーネ様を裏切った背景に家族の存在があったからでしょうか」
「おそらく……そうであろうな。妖精王は人間に極力関わらない、だが生まれる前の存在なら人とは呼ばないと……屁理屈ではないか?」
「同意を求められましても……」
悪趣味な部屋でふんぞり返りながら命令するマリアをイザークの脳裏を掠めた。
家族のために懇願していたマリー。
これはある意味罰なのだろうか。
しかし、二度目のマリーには記憶がない。
主を裏切った事も家族という存在も覚えていない、記憶がないならば罰にはあたらないのか、とイザークは判断に困った。
指先から流す神聖力に慣れた頃、アイリーネは拒否されるようにバチッと電流のような刺激に襲われた。
「そこまで、今日はそこまでにしよう」
「カルバンティエ様?今のは……」
アイリーネは振り返り、問うた。
「拒否反応だな。それ以上続けると反発が強くなり闇の魔力を刺激するだけだ。言っただろう?一度では無理だと」
「はい」
猫はイザークの手からスルリと床に降り立つと、ベットに駆け寄り飛び乗った。
「気分はどうだい?」
「体が軽くなった気がします」
体を起こしたマリアは微笑んだ。
「そうか。何度になるかは分からないが、繰り返す事によって浄化出来る。ただし――闇の魔力に囚われるような思考も行動もしなければの話だが」
カルバンティエの言葉にマリアの顔が緊張した面持ちとなる。一瞬、瞼を閉じたマリアが再び目を開けるとそこには覚悟を決めた凛々しいマリアの姿があった。
「承知しております」
そう言ったマリアは晴れ晴れとしているようにも見える。
もう、甘ったれた我儘なマリアではない。
闇の魔力を浄化すれば、憂いはなくなるはず。
そうすれば、いつかマリアにも婚約者が出来るのよね。
大人になったマリアを想像して思わず笑みをこぼしたアイリーネであった。
♢ ♢ ♢
「本日よりお世話になります」
「えっと……君は確か……」
「はい、ルーチェと言います」
「確かリベルト様の葬儀の時に会ったよね」
「覚えていてくださいましたか?光栄です」
ルーチェと呼ばれた少年は微笑んだ。
年はアイリーネと変わらないぐらいか、以前会った時よりも身長は伸びているものの、茶色の髪も目も特徴的なものではない。顔立ちも大きい過ぎず、かといって小さくもない目と特徴のない鼻と口元。
正直いってよく覚えていたと、シリルは自分を心の中で褒めていた。
「それにしても……神聖力が今頃現れるなんて珍しいよね」
「はい、色々な方にそう言われました」
四年前にはオレンジジュースを売っていた、このルーチェという少年。
最近になり神聖力が備わっている事が分かった。
教会で祈りを捧げていた際に急に体が輝きだしたというから、不思議である。
シリルはルーチェを改めて見た。
普通の少年に見える、それでもルーチェが保有する神聖力は格段別格なのは直ぐに分かった。
イルバンディ様はこのルーチェを使者として僕達の元に送り出して来たのだろうか。
そうでなくてはこの年になり神聖力に目覚めるなど、遅すぎる。絶対にあり得ない訳ではないが、ほぼない。昔は10歳前後で現れると言われた神聖力も今は生まれて直ぐに分かるケースが多い。もしくは、幼き内に。そうして、親元を離れて教会で暮らす。
逆にルーチェの年だと教会を去る者も多い。
聖女や聖人の資格がないと判断され本人が望めば、神官として教会に残るのは可能だが去る者も多数いる。
「大変だと思うけど、頑張ってね」
「はい、ありがとうございます」
新しい教皇であるシリルに声を掛けられて自分の事など覚えていないであろうと思っていたルーチェは単純に感激していた。ルーチェは自身の容姿が平凡であると理解していた。そんな自分に教皇であるシリルの方から声を掛けたのだ。
急遽決められた教会行きに不安だったルーチェの心は弾んでいた。
頭を下げ去るルーチェを見ながら、シリルは同じように頭を下げて教会を去った人物を思い出していた。
その者は神聖力が高く期待されていた。
資質にも問題はなかった、あの事件が起きるまでは。
教会を去った者の名はカミーユ。
リベルトの事件の後、記憶を操作されたカミーユは変わらない日常を過ごすはずであった。
しかし、事件の記憶の根は深いようでカミーユだけではなくあの事件の目撃者である聖人、聖女の見習いに影を落としていた。悪夢を見る者が増え、神聖力が低下、あるいは消失する者が増えていった。
カミーユもその一人でこれ以上教会で過ごすのは酷であろうと教会を去っていった。
幸いにもどこかホッとしていたカミーユに教会を去る事がカミーユにとって最善だとシリルは思えた。
「一度目のカミーユには会わなかったけど……」
一度目のカミーユがどう暮らしていたのかは、シリルには分からない。
それでも、巻き込まれた形のカミーユのこれからの人生に幸があるようにと、シリルは祈らずにはいられなかった。
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