第259話 浄化の手ほどき
「今日はよろしくお願いします、アイリーネ様」
「お久しぶりね、マリア」
目の前のマリアの変貌ぶりに驚いた。
前回会った時よりも公爵令嬢らしく見える。
見えると言うのはマリアに失礼であろうが、それくらい以前のマリアは酷かった。
家庭教師から逃げ、マナーもなっていない、それがマリアであった。それが今はどうだろう。指先一つの動きでさえも所作が今までとは違う、ロジエ先生によると学力もつき、今では他国の言葉も習っているそうだ。
この家から離れて四年近くなる。
ここに住み、この廊下も階段も何度も利用した。
不思議と懐かしさはあれど恋しさはない。もちろん、楽しい思い出も沢山ある。例えば、庭ではティータイムをしたし、あの時は兄だったユーリに絵本を読んでもらったり……だけどそれは今の生活とあまり変わらない。つまり、公爵邸でなくても出来る。
お父様と暮らした年月よりも遥かにここでの暮らしが長いはずなのに、それでも愛着はないみたい。
前回、この家を訪ねた時はお父様も一緒だった。だから他家に来ている、そんな気分なのかしら?と考えたけどそうではなかったようだ。
そんな事を頭の中で巡らせながら、マリアのあとに従ってマリアの部屋に案内される。
部屋の中は以前と変わらない女の子らしい可愛い部屋だ。部屋のソファの上に猫がいた。フサフサとした尻尾を揺らしながら、伏せた状態でこちらを見ると頷いた。
「マリー、あなたは呼ぶまで部屋の外にいて」
「えっ?ですが……」
マリーはチラリとイザーク様を見た。私の護衛のイザーク様は部屋の中に滞在することを許されるのに、なぜ自分は許されないのか、マリーの眼差しがそう尋ねているようだ。
イザーク様もマリーの視線を受けて微かに眉を上げた。ユーリだったら分かるけれど、イザーク様にしては珍しい。けれども、おそらくイザーク様は自身への扱いに反応しているのではないだろう。
一度目でマリーは私を裏切った。
いくら、家族を人質に取られたとはいえ、主である私を裏切った。マリーが裏切らなければ、あの断罪は成立しなかった。まあ、仮にあの時断罪を回避出来たとしても違う形で処刑されたかも知れないけど、とにかくイザーク様のマリーに対しての眼差しは険しい。
「マリー、イザーク様とあなたは違うでしょう?イザーク様はアイリーネ様の護衛なのよ、いつでも側を離れないのは当然の事だわ。アイリーネ様は愛し子なのだから」
「は、はい……」
マリーはマリアにそう窘められて、渋々部屋から退室した。
「では、始めようか。おチビちゃん」
「はい、お願いします」
そう言うと、ゆっくりとした足取りで猫は私の足元に近づいてきた。
「マリーの前では普通の猫のフリをしていたのですね?」
私の言葉に猫は口角を上げて笑っている。
「猫は人の言葉を話さないらしいからね。前にこの家のご婦人を驚かせてしまったからね。じゃあ、君……マリアは横になってくれないか」
「はい、分かりました」
そう返事したマリアはベットの上に臥床した。
洋服の趣味は以前とは変わったが、この部屋のシーツやカーテンはピンクやフリルが使われており、マリアに似合っている。マリアは一度目の時に比べると淡いブロンドの髪で黙っていれば可愛い顔をしていると思う。そう言えば、母である公爵夫人に似ていると思う。だからこそ、私は疎外感を感じていた。公爵とユーリ、夫人とマリア、シルバーとブロンドどちらの色とも違う私は家族の一員ではないのだろうかと。
「よろしくお願いします、アイリーネ様……」
「あ……うん」
マリアの言葉にハッと我に返った。
マリアは私の態度を気にすることなく、臥床し両手を腹部の上で組むと目を閉じた。
今日は闇に囚われているマリアの浄化にやって来ているのよ。余計な事ばかり考えちゃダメよ。
アイリーネは頭の中から思考を追い払うように、頭を横に勢いよく振った。
マリアの闇は根が深く、一度では浄化しきれないそうだ。何度かに分けて力を使用するのは力加減が難しい、そこで闇の魔力に詳しいカルバンティエ様が教えて下さるのだ。
「では、おチビちゃん手を心の臓辺りにかざすんだ」
「はい」
マリアの左胸の上で手をかざす。
「今日は初日だから、相性を見たい。だから、詠唱なしで軽めにしよう。出来るね?」
「はい、やってみます」
かざしている掌に意識を集中させる。
一気に神聖力を当てるとマリアにとって毒になりかねない。苦痛を伴う、もしくは拒否反応が出る。
だから慎重にゆっくりと糸のように細いイメージで神聖力をマリアに流していく。
マリアの組む手に力が入っているのが分かる。
「マリア?苦しいの?」
「いえ、苦しくはないです。ただ……」
「ただ?」
「胸の辺りが熱い、だけど耐えられないわけではないです」
これが普通の反応なのか分からない、カルバンティエ様なら分かるだろうかと目線を送ると頷いた。
「もう少しなら大丈夫だろう。慎重にね」
「はい!」
指先に緊張が走る。
だって、力加減を間違えればマリアに悪影響が出るかも知れない。人の人生を狂わしかねないのだ。
アイリーネは気づかない内に額に汗を掻いていた。
集中しすぎていて部屋の中で会話が交わされていても気づくことはなかった。
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