第245話 帰還前日
「アイリーネ様は明日には王都に帰られるのでしょう?」
エミーリエ様の声で正気に返る。いけない、一人で色々と想像していたみたいだわ。顔が緩んでいないかしら?と頬に手を置いた所でエミーリエ様と目が合った。
「分かりますわ、アイリーネ様。皆、同じですわ」
そう言ってエミーリエ様ははにかんだ。
「……同じなのでしょうか?」
「ええ、きっと愛する人がいる方は差はあれど同じようなものですわ。私だって……そうですもの。あっ、いけない、もう休まないといけないのに私ったら。アイリーネ様にお渡ししたい物がありますの」
「渡したい物ですか?」
何だろうと小首を傾げるとポストカードの様な物がエミーリエ様の掌の上にあった。絵はなく文字のみのカード。よく見ると古代語で書かれているカードからは神聖力が感じられた。
「エミーリエ様これは?」
「このカードの中には私の能力を封じ込めています。――加護の能力を……」
「加護ですか?」
確か、エミーリエ様一人では加護の能力は発揮しなかったはずだわ、それならばこのカードは王都で準備しておいた、と言うことかしら。
エミーリエ様はクスリと笑う。
「アイリーネ様の考えていることは想像できますわ。残念ですが、違います。これは私がヴェルナーに来てから一人で作りました」
「そうなのですか?ですが……」
「そうなのです!アイリーネ様もご存知の通り私達は二人で一つの能力だから、聖女にはなれなかった。まあ、今となっては良かったと思いますわ、聖女になっていたなら彼に出会えなかったですし……コホン、話を戻しますね……以前アイリーネ様が作ったクッキーに神聖力が加えてあったでしょう?」
そう言えば、そんな事もあったわね、バザーの時の私が作ったクッキー。後にシリルにクッキーに神聖力が込められていたと言われたけれど、私には分からなかった。意図して込めたわけではなかった、だからそんなに重要な事だと思わなかったのだけど。
「アイリーネ様はご存知ないかも知れませんが、シリル様はあれから聖女達と一緒に神聖力を物に込めるという作業をしています」
「えっ?そうなのですか?」
驚いた私にエミーリエ様はにっこりと頷いた。
「私も直接聞いたわけではありません。私も聖女候補として過ごしましたので、少しなりとも伝手があります。ですので試したのですよ、ちゃんと加護の効果が込められました。ただし、効果は一度のみです」
「……いえ、一度でも凄いです」
一度とはいえ加護という稀な能力が使用出来るのだ、それは多くを護ることになると違いないわ。それならば他の能力はどうだろう、もしも色々な能力を込める事が出来るのならば、例えば治癒の能力を込めれば聖女がいなくとも回復すると言うことよね?
「ですが、アイリーネ様。カードに能力を込めるという作業は神聖力を思いの外使ってしまうようで、ある程度の神聖力の多さがいるようなのです」
「そうなのですか?」
「はい、それに神聖力をごっそりと取られますので、いつその能力が必要になるか分からない……例えば治癒や解毒などは神聖力を温存しておかなくてはならないので向かないと思います。それから和平のように絶えず発動している能力も込められないとお聞きしましたわ」
「そうですか……色々と制限があるのですね」
「はい、ですが今回このカードを街の入り口に貼っておいたのですが、魔獣が街の中に入ってくることがなかったのです」
「凄いです!エミーリエ様!」
私は嬉しくなってエミーリエ様の手を取ると握りしめた。
エミーリエ様も嬉しそうに微笑むと私の手を握り返してくれた。
繋いだエミーリエ様の手は温かい。
エミーリエ様の温かさに触れながら、私は思う。
私は愛し子とか聖女とか役割に固執していたのかも知れない。こうしなくてはいけないと思い込んでいた。そう言えば解毒の出番がないセーラ様は治療の手伝いをしていた。能力が全てではないと言う事だ。
エミーリエ様と別れた後、明日に備えてベッドに入る。私にも浄化以外に何か出来る事があるのだろうか、そんな風に考えながら眠りについた。
――何だろう。音が聞こえる。
この音は聞き慣れた音ではないけれど……
鐘の音……?
アイリーネはハッと目を覚ました。
室内は薄暗く時間は分からない。耳を澄ませば確かに聞こえる鐘の音。
北の地では夜明けは遅い、加えて寒さ対策のためか備え付けの厚いカーテンに阻まれて光を感じられない。
アイリーネは窓辺に駆け寄ると厚いカーテンを勢いよく開けた。
どうやら夜は明けたばかり。小高い場所に立つ辺境伯の屋敷からは今まさに登らんとする太陽が遠くに見えた。この間も鐘は止む事なく、鳴っている。
窓を明け肌寒さを我慢して耳を澄ましてみる。鐘の音は辺境伯の屋敷の敷地内の教会にある鐘であった。王都にある教会とは若干の音色が違うが間違いなく教会より聞こえている。
こんな時間に鐘の音が?それに……もしかして他の教会の鐘も鳴っているのではないかしら。
注意深く耳を傾けると遠く街の方からも鐘が鳴っているのが確認出来た。
この鳴り方は……
もしかして!と部屋の入り口にある扉を開ける。廊下にはすでにお父様やイザーク様、ジョエル様とカルバンティエ様がいた。
私は表情の冴えないお父様の側に慌てて近寄った。
「お父様!この鐘は――」
「アイリーネ!着替えもせずに」
「あっ……」
そう指摘されて自分が寝間着姿であったと気づく。
いけない、そのまま出て来てしまったわ。
緊急ですもの……は通用しないわね。
「お父様ごめんなさい。ですが――」
「分かっています。すぐに王都に帰還します。着替えを済まして荷物をまとめなさい」
「――はい!」
ジョエル様達と話しているお父様の事が気になるけれど、それよりも今は言われた通りにしようと部屋に戻り王都に帰還する準備することにした。
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