第212話 恐怖よりも好奇心
「雨が降ってきたわね……」
窓の外は車軸を流すような大雨が降ってきて、瞬く間に王都中を灰色に染め上げている。今の時期は本来王都では穏やか気候であるためこのような嵐は珍しい。
先程からマリアの様子をそっと伺ってみるものの、ペンダントを握りしめたまま微動だにしない。
「マリア……そのペンダントを渡してくれないと浄化出来ないの、今のままだとあなたも困るでしょう?」
「でも――」
マリアの声がかき消される程のドオンという突然の雷鳴に身をすくめると、窓の外を眺めた。大粒の雨に加えて雷鳴が轟き本格的な嵐になっている。帰り際には嵐が過ぎ去っていればいいのだけれど、そんな風に思いながらマリアへと視線を移した。
「マリア?」
マリアの返事はない。返事は無いどころか動くようすがない。慌てて近づいてみると、まるで時が止まったような石像のようなマリアが立っていた。目は開かれたまま、雷鳴に驚いたかのような表情をしている。
「な、何どうしたの!?マリアしっかりして!」
マリアの目の前で手を振っても反応はなく状況が掴めずに困惑する。嵐がやって来るまでは何事もなかったのにと記憶を辿れば、そう言えばと窓の外を眺める。
あれだけ荒れていた外の音が一切しない。
雷の音も雨の音もせず、音のない静けさに不気味さを感じる。
「音が消えた?嵐は去ったのかしら…………嘘でしょう!?どうなってるの!!」
窓に駆け寄ったアイリーネの瞳に映る風景は異様なものだった。
雨も雷も空中で止まっている。
本当に時が止まってしまったようだ、自分以外のものが動きを止めている。
そう気がづくとアイリーネは身震いして自らの腕を撫でた。
「待って………私以外みんな?」
自分で口にした言葉にそんなはずはないと否定を繰り返しながら部屋の出口へと向かう。
飛び込んできた光景に目を見開くと悲痛な声で名を呼んだ。
「ユーリ!お父様!イザーク様!そんな……」
廊下にはマリア同様に静止しているユリウス達の姿があった。
「どうして……」
腕組みしているユリウスにそっと触れる。
「ユーリ……」
見た目は石像のようであっても硬いわけでも冷たいわけでもない。柔らかさも体温も触れれば感じられてホッと息を吐いた。それでも自分を見つめることも名を呼ぶこともないのだと分かると泣きたくなる。
それでも涙をぐっと堪えると両手で自らの頬を軽く叩いた。
「泣いてもどうにもならないわ、私だけが動けるのなら私が何とかしなくてはいけないでしょう」
そう強がって自らを奮い立たせた。
大丈夫、ユーリ達はちゃんと生きている。
何が起きているのか考えなくてはいけないわ。
まずこれは時を操る魔法かしら、聞いたことはないけれど二度目の人生を歩んでいる私という存在がいるのだからあり得ない事ではないのだろう。だけど、私には検討がつかない、困ったわね。一般的な5属性ではないだろう、仮に5属性の魔法ならば混合魔法、もしくは特殊な魔法、光か闇。
「そうだわ!」
今日、私がこの屋敷に来たのはマリアのペンダントを浄化するため。この現象が闇の魔法に関係があるのだとすれば浄化が効果があるのではないだろうか。
「試してみましょう」
アイリーネは深呼吸すると目を閉じて呪文を唱える。
『祈りを捧げます――キャッ!』
前置きもなく足元に突如として何かの感触を感じて驚くと詠唱を止め、自分の足首を見た。
足には黒い影が巻き付き、その先端部分は人の指のような形でアイリーネの足を握りしめていた。
「な、なに!?離して――」
再び呪文を唱えようと考えるアイリーネよりも先に影は形を変え、アイリーネの頭上よりも大きくなるとまるで見下ろすような姿となった。おぼろげではあるが影は人の形を模写しており、警戒するアイリーネに向けて影でできた手のようなものを伸ばしてきた。
「思い出せ――哀れな自分を思い出すのよ」
「し、喋った!」
影には顔はない。だからこそアイリーネは驚いた。
意外にも恐怖よりも先に感じたのは顔がない影から言葉が発しられたという事実への驚きだ。
「口がないのに話せるのね?どうなっているのかしら。それにその声は女の人かしら」
アイリーネは呑気な声を出すと不思議に思い首を傾げる。
聞こえる声は複数の混ざり合ったような声ではあるが、女性のものであるとそう確信付けることが出来た。
「……お前はこの状況が怖くないのか」
「……そうね、怖いわ。だけどこう思うの。もし、私を害したいならこんなにも回りくどい事しないでしょう。そんな質問するなんて、私を怖がらせるのが目的なの?」
影は相変わらずアイリーネを見下ろしている。
それに対してアイリーネは影を見上げるように見つめている。
「………甘いな」
先程とは違い今度は低い声。
男性の声のようだ、とアイリーネは思った。
こちらも複数の声が混ざり合っているが明らかに男性の声である。
このように声色がころころと変わるならば本当の声は存在しないのだろうか、そんな風に考えてみる。
「そんなに余裕ぶるのも今のうちだ」
影はそういい終えると両手のように細長いものでアイリーネの両頬を掴む。
「さあ、楽しい舞台の幕開けだ」
その言葉に反応するようにアイリーネは頭痛がして、思わずその場に座り込んでしまう。
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