第211話 ヘビに睨まれたマリア
部屋の中は変わった様子はない。レースのカーテンにフリルのついたクッション、それからぬいぐるみ。
マリアの好きな物で埋め尽くされている。
引き籠もっていると聞いていたから、部屋の中は荒れていたりカーテンが閉じられたまま薄暗い部屋だとと思っていたが、思いの外昔と代わり映えしなかった。
見渡しているとソファにあるうさぎのぬいぐるみに見覚えがあった。この家を出て行く際にマリアに手渡したぬいぐるみ、首から真新しいリボンが掛けられて座っていた。
文句を言っていた割には大事にしているのかと意外だなと感じる。
マリアはバツの悪そうな顔で自分が被っていたシーツをうさぎのぬいぐるみに被せるとこちらを睨みつけた。
目の下の隈に加えて艶のない髪、荒れた肌、それに少し痩せただろうか。考えてみればマリアに会うのはいつぶりだろうかと記憶を辿ってみても思い出せない。それだけ久しぶりだったのだと気づく。
「どうして来たのですか、私を嫌っているのでしょう」そしてマリアは今度は怯えるように目を伏せた。
マリアに会うのが怖い、そう思っていたのが嘘のよう。今怯えているのはマリアの方だ。
「そうね……好きではないわね」
私の言葉にマリアは傷ついた顔を見せる。
ねぇ、どうしてあなたがそんな顔をするの?
あなたも私を嫌っていたじゃない。
私にいつも敵対心をみせていたでしょう?
私の物をいつも欲しがって公爵夫人に強請っていたじゃない。あなただって同じ物、望めばそれ以上の物を与えて貰っていたのに、必ずといっていいほど私の物を欲しいと強請っていた。
いつまでも幼い子供のように駄々をこねて母である公爵夫人の気を引いてはその愛情が自分のものであると優越感に浸っていたのでしょう。
「あなたこそ、私を嫌っていたでしょう」
「ち、違う。嫌ってなんか――」
「そうかしら?私に色々強請っては拒否されると公爵夫人に泣きついていたでしょう。私が実の姉妹ではないと分かった時も喜んでいたわよね」
「わ、私はただ……羨ましかっただけ、アイリーネ様……お義姉様のことが。お義姉様の持っているものは何もかもが輝いて見えて眩しかった。それに私には笑顔も見せないお兄様や……イザーク様に囲まれていて、羨ましかったの……」
自分の指をもて遊びながら俯き気味のマリアは私にそう告げた。
マリアの言葉に嘘はないように見える。今のマリアは幼い子供のような思考ではあるが、一度目のマリアのように私を攻撃してきた記憶はない。今のマリアに回帰前の責任を追及するわけにもいかないだろう。
だからと言って今更マリアと仲良く出来るのかと言われればそれは微妙である。
アイリーネはため息を一つついた。
この家に長居をする気は始めからない。
「そう……分かったわ。では、そのペンダントを浄化するわね」
マリアに向けて手を差し出す。
ペンダントを渡すように催促しているが、マリアはペンダントを握りしめたまま渡す様子はない。
「マリア?」
「だ、だめ。だめなの、このペンダントには呪がかかっているの」
「ええ、知っているわよ?だから、さあ早く」
アイリーネが手を伸ばして催促してもマリアは一向にペンダントを手放す様子がない。アイリーネから距離を取るように後ろへと後ずさりしている。
「違う、違うの。だって先生が浄化に来た時がチャンスだって、愛し子を壊せばいいって、だから――」
「マリア?何を言ってるの……」
室内が急激に暗くなり、晴れていたのが嘘のように厚い雲が太陽を覆い今にも雨が降りそうだ。嵐がやってくるそんな気配にアイリーネは窓の外を見つめた。
◆ ◆ ◆
数日前、ヴァールブルク公爵邸。
マリアは自室でベッドの中に包まっていた。体調が悪い、そう伝えてからは家庭教師達がこの部屋に訪れることはない。この部屋を訪れるのは両親とマリーだけ、そのはずだった。
「マリア、ジェーン先生がお見舞いに来てくださったわよ」
母はそう言うとマリアの返答も聞かぬままジェーンを部屋の中に案内した。ジェーンの名を聞いてマリアの体がビクリと動いたことに母は気づかない。
「……私……誰とも会いたくないのです」
小さな声でそう返すのが精一杯だった。
「まあ、マリア……先生、申し訳ありません」
ジェーンは口角をあげて微笑んだ。
「問題ありませんわ、すぐに終わります」
ジェーンの言葉が合図のように、部屋の中は影が満ちていく。音のない世界、静寂を不審に感じたマリアはそっと顔を上げると辺りを見渡した。
影が染み込んだような壁に床、動きを止めている母とマリー、暗く色のない世界の中でジェーンだけがこちらを見て笑っていた。
「仮病ですか?マリア様は悪い子ですわね」
ひっ、と声を漏らしたマリアは引きつった顔でヘビに睨まれたカエルのように固まった。
「け、仮病じゃないです!悪夢を見てから体調を崩して、だから――」
こくりと頷いたジェーンは一歩づつマリアの方へ歩み寄る。
逃げ出したい、そんな風に考えても影に染まった不気味な部屋のどこに逃げればいいのかマリアには検討がつかない。気がつけばジェーンは手を伸ばせば届く距離まで近づいていた。
「私が怖いのですか?大丈夫ですよ、恐れる事は何もありません。むしろ褒めて差し上げますわ」
「ほ、褒める……?どうして……」
「良かったですねマリア様。愛し子があなたのためにこの家に来てくださるそうですよ」
「……」
「チャンスですわ、マリア様。直接手出しすることは出来なくても、精神的に愛し子を壊せばいいのです」
「……私はそんなこと望んでいない」
「望むとか望まないとか、もうそういう次元ではないのですよ、大丈夫あなたは何もしなくていいのです。ただそのペンダントをつけていればいいだけ、簡単でしょう」
狂ったように高らかに笑うジェーンの声が聞こえないように、必死に耳を塞ぎマリアは嵐が過ぎ去るまで耐えた。
ジェーンが去ったあと、マリアはペンダントを処分しようと試みる。以前、ペンダントは遠い場所に捨てても翌日には必ずマリアの胸元に返ってきた。それならばと暖炉に焚べる、川に流す、ハンマーで叩く、色々試してみても不思議なことに形を変えることなくマリアの元に返ってきた。
「どうして……壊れないの」
成すすべもなく絶望したマリアは自室に引き籠もることしか出来すにアイリーネが公爵邸に訪れる当日を迎えることとなった。
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