第210話 母と子と兄妹
ユリウスが学園の寮から王宮にある魔術団の寮に引っ越し荷解きも終えていない頃、ヴァールブルク公爵邸にその姿があった。
「リーネがそこまでしてやる必要があるのか」
「ユーリ……」
今日、私はマリアのペンダントの浄化を試みるためにヴァールブルク公爵邸に出向いてきた。シリルの助言によりユーリにも説明したのだけど、案の定、ユーリはいい顔をしなかった。
私も正直、マリアにはあまり関わり合いたくない。
それでも私が愛し子である限り、自分の好みで浄化のする、しないの選択をしてはいけないと思う。
そう、ユーリにも説得をしたのだけど、忙しいはずのユーリも一緒に来ることとなった。
そしてこの期に及んで必要があるのか、などと言っている。
それゆえ、公爵夫人の怒りをかった。
「ユリウス!あなたはマリアの実の兄ですよ!?心配ではないの?」
公爵夫人がユリウスに詰め寄り激しく揺さぶっている。そんな夫人を冷ややかな目線で見つめるユーリは傍目から見れば親子の情は無いように見える。
一度目はどうだったかしら、と思い出そうとしても仲睦まじい記憶はない。それもそのはず、ユーリは学園に入ってからこの屋敷には寄り付かなかったのだから。もし私が存在しなければこの親子は普通の親子でいられただろうか。そう考えると公爵夫人に申し訳ないという想いもある。
「俺はリーネを危ない目に合わせたくない。それだけですよ、母上」
「危ないだなんて……」
公爵夫人が私を見る。私というよりも正確に言うと私の隣であろうか。私の隣にはユーリに加えて護衛のイザーク様、それから治癒の能力が必要になると困るからとお父様までいる。
過保護と言われればそれまでだけど目を離すとすぐに危ない目に合うと押し切られて今にいたる。
「まあまあ、ユリウス。夫人の心配も分からなくはないよ。誰だって我が子は可愛いものだからね」
「リオンヌ様……」
お父様の言葉にユーリは不貞腐れたように、逆に夫人は笑みを浮かべている。
「ただし、私が危険だと判断すれば途中で中断させていただきますよ?構いませんよね、公爵夫人」
お父様は鋭い視線で公爵夫人を見る。
「え……ええ。もちろんですわ」
公爵夫人は渋々といった感じではあるが、お父様の提案を受け入れたようだ。
マーカスに案内されてマリアの部屋へと向かう。
「お変わりありませんでしたか?アイリーネ様」
「ええ、マーカスは?」
「……そうですね。年を取ったのでしょうね、アイリーネ様が居られた時を懐かしく思います」
「マーカス……」
マーカスは歩みを止めて窓から庭を見つめている。
あの庭では天気の良い日にはユーリやシリル、イザーク様とよくティータイムを過ごしていた。
まだ数年しか経っていないのにひどく懐かしく思う。場所が変わっても今でも皆とはお茶を頂くことはあるし、それよりも楽しい想い出だってある。
それでも、あの頃のようにここで過ごすことはないのだな、そう考えると何だかしんみりとして来た。
マーカスが再び歩き出すとマリアの部屋の前に立つ。
「マリア、開けるわよ?」
「誰も入ってこないで!」
「マリア!何を言っているの?ちゃんと治して頂きましょう、すぐに元気になるわ」
「もう、私のことは放っておいて!」
マリアに拒絶されて部屋の中に入れそうにない。
公爵夫人は扉の前で泣き崩れるだけで、現状を打破する様子はない。無理矢理でも部屋の中に入ることは出来るだろう、だけどそんなことをしては公爵夫人に昔のように詰られたりするのではないか、と昔の記憶が蘇る。マリアには優しい母の顔でも私にはそうではなかったから、私が実の娘ではなかったと分かった今では納得も出来るが当時悲しかった思いは忘れてはいない。
「マリアもこう言ってるし帰るとするか?」
「ユーリ!?」
「だって本人が拒否してるんだぞ?それを宥めてわざわざ浄化してやらないとダメなのか。そこまでしてやる理由がリーネにあるのか」
「理由があるわけではないですが……だけどこのままでは……」
このままではマリアは闇に呑まれてしまう。
完全に呑まれてしまえば、普通の人間としての暮らしは難しい。それどころか人格は破壊されて人して過ごすことは出来ないだろう。ただ支配された闇に従うのみ己の欲を果たすため生きる、そうなってしまえば討伐対象となり魔獣のように討伐されてしまう。
「そんな!お願いです、アイリーネ様。マリアを見捨てないで下さい。マリアは大切な私の子供なのです、お願です、お願いします!」
公爵夫人はわなわなと震えながら膝をつき泣き崩れる。
そんな様子を鋭い視線で眺めていたユーリは“はぁ“とため息をつくとマリアの部屋の扉をコンコンと叩いた。
「マリア、どうするんだ?母上はこう言ってるぞ?今のままでいいのか?取り返しがつかなくなっても知らないぞ、後はお前次第だ。お前はどうしたい?」
ユリウスの表情は厳しい。
回帰前を覚えているユリウスにとってはマリアに対しては複雑な思いしかない。憎い許せないという感情、それから回帰後の擬似家族のような関係性に対しての思い。嫌だとつっぱねても兄であることには変わりなく、世間的には家族だと認識されている。家族だから最後に少しだけ歩み寄る、それでも本人が拒否すると言うならばここまでだ。母がなんと言おうが闇に呑まれてしまえばそれまでだ。
そんなユリウスの思いを知ってか知らずか部屋の中からパタパタと足音が近づいて来た。
扉が少しだけ開けられてシーツをスッポリと頭から被ったマリアが姿を見せた。
「お兄様はマリアには意地悪ですね」
「お前がそうやって意地を張るからだろう!」
マリアは何か言いたそうではあるが口を噤んだ。
マリアの顔色は思っていたよりも悪く、悪夢に苦しめられてるのは本当であると目の下の隈が雄弁に語っている。
「マリア、良かったわ。扉を開けてくれて」
「部屋にはアイリーネ様だけしか入らないで下さい」
マリアの提案にユーリ、イザーク様、お父様がそれぞれ息を呑んだ。
「二人だけだなんて――」
渋い顔のユーリと頷きはしないが同調するようなイザーク様とお父様。
マリアの表情は読めない、それでも敵意はそう感じられないそんな気がした。
「分かりました」
「リーネ!」
皆が再び息を呑んだのが分かる。
マリア自身でさえ私の即答に驚いているようだ。
私は安心させるように力強く頷いた。
ユーリは開きかけた口を固く結ぶと静かに目を閉じた。
私は以前の私とは違う。
これが罠だとしても恐れることはない。
強くあるために訓練したのだから、きっと無駄な事など何一つもない。
「じゃあ、入らせて頂くわね」
そう言って動きが止まったままのマリアの横を通り抜け部屋の中に入ると扉を閉めた。
読んでいただきありがとうございます




