第209話 ファーストダンス
今年の卒業パーティーは王城で行われる。
通常ならば王城を使用することはないのだが、今年は王太子であるクリストファーが卒業生に名を連ねている。そのため両親である国王夫妻の参加が決まっており警備等の都合により王城が使用されることとなった。
王城にはもう何度も訪れているというのにホールに入った瞬間に目に入った光景に驚きを隠せないでいた。輝くシャンデリアはまるで光の渦のようで、違う世界に迷い込んだ感覚になる。テーブルの上には王宮の料理人特製のスイーツや食事が並んでいて、どれでも食べ放題になっている。卒業パーティーだから学園の関係者が参加しているはずなのだが、思っていたよりも多くの人が参加しているようだ。
「わぁ、すごいですね」
「そうかな?パーティーなんてどれも同じだと思うけど」
「……ユーリは慣れているのね」
「そんな事はないけど……」
ユーリはそう言うけれど初めて本格的な夜に行われるパーティーに参加した私との経験値が違うのだと思い知る。5歳という年齢は大きい。私が初めての経験でもユーリは違うのだ。ダンスだって誰かと踊っているはず……そう思ってしまうと相手が気になるわけで。
胸がチクチクと痛む、これが嫉妬というのだろうか、私以外と初めてのダンスを踊ってほしくなかった、そんな風に考えてしまうなんて。
「ユーリは……初めてのダンスは誰と踊ったの?」
「ん?俺?俺はリーネだよ」
「えっ?私ですか?」
私にはそんな記憶はない。
誰かと勘違いしているのかしら。
「というか、これから初めて踊る」
「えっ?ユーリは舞踏会にも参加していますよね?それなのに誰とも踊らなかったのですか」
「うん、踊る必要もないしね。特に政治的にも父上からも何も言われなかったし、他の令嬢と特別仲良くする必要もないだろう?」
ユリウスの説明にアイリーネはポカンと口を開けてしまった。ユリウスにとっては当然の事であり、アイリーネが驚いた表情を見せるのが分からないと首を傾げている。
なんだか不思議。ユーリの一言でモヤモヤしていた霧が晴れるみたい。今なお、令嬢達からどれだけアツい視線を送られても気づいていない、いいえ気づく必要はないというようなユーリの態度は褒められたものではないのに、うれしくなって思わず口角が上がる。
会場に来た瞬間から感じた不快な視線。
嫉妬や羨望にまみれた視線に晒されて、自分で思っていたよりも神経質になっていたみたい。
ユーリは誰がみても美丈夫で有名人だから隣にいる私にも自然と目線がいくのだろう。それを気に入らないという人や羨ましい思う人もいて当然で、これから社交界にデビューするのならば慣れなくてはならない。自分自身でユーリの隣に立つと決めたのだから。
「ユリウス、アイリーネ!探したよ」
「あっ、クリスじゃないか」
突如聞こえてきた声に私の体は強張った。
顔を見なくても分かる。王太子であるクリス様だ。
一度目のクリス様が脳裏に浮かんできた、怖い顔で私を睨み蔑んでいた。断罪されたあの日も無表情で私を見下ろしていた。そんなはずはないのに、今もそんな表情で私を見ているのではないかと思ってしまう。
「ユリウス、王宮魔術団の面々が顔を見せに来ていてね、向こうに集まってるんだ。よかったら一緒にどうだい、もうすぐ就職するだろう?顔だけでも覚えておいて損はないだろう」
「ジョエルのようにリーネに興味持たれたくないから、連れて行きたくないしな……」
「そう?じゃあ……」
クリストファーはユリウスを誘うのは諦めてその場を立ち去ろうとしている。
「行ってきて下さい!」
「リーネ?別に今じゃなくて大丈夫だから……あれ?なんだか顔色が悪くないか?」
「す、少し緊張していたから疲れたみたいです。ソファで休んでいます。イザーク様もいますし私は大丈夫です。行ってきて下さい」
「でも……」
「ユーリはこれから社会人になるのだから、人付き合いもしなくてはいけないでしょ?」
そう言って無理やり笑顔を作る。
心配しないで大丈夫だからと何度も説得すると、後ろ髪を引かれながらもユリウスはクリストファーと共に人の群れへと消えていった。
「アイリーネ様」
すかさず差し出された手をアイリーネは縋るように握った。そうして支えられるようにソファに座らされるとイザーク様は使用人からグラスを受け取った。
「果実水です、冷えていますのでスッキリするはずですよ」
「ありがとうございます」
グラスを受け取り果実の香りがする透明な果実水を飲むと少し落ち着いてきたようだ。冷たい果実水が体に染み渡りふうと一つ息を吐きながらソファに軽く寄りかかった。
「原因はクリストファー殿下ですか?」
「イザーク様……」
「思い出されたのでしょう……一度目を」
「……私と一度目の私は違うと分かっているんです。それでもクリス様の声を聞いた瞬間、一度目のクリス様が蘇ってきました。一度目のクリス様は私のことを嫌っているようでした……」
アイリーネが目を伏せるとイザークもまた目を伏せ、言いにくそうに述べた。
「……あれは殿下の本心ではありません。全てあのペンダントによるものです」
「分かってますイザーク様。こればかりは慣れるしかないですよね……」
「アイリーネ様……陛下がお祝いを述べられたら帰宅しても大丈夫ですよ、無理はなさらずとも――」
「いいえ、イザーク様。あれだけ練習したのですよ、ですからダンスは絶対に踊ってから帰りたいです」
アイリーネの眼差しは光を帯びており、強い意志が感じられる。ここまで意志が固いのならば、アイリーネの望むままにとイザークは力強く頷いた。
ほどなくして陛下が現れると祝辞を述べた。
皆が陛下の話に集中している。
祝辞が終わり陛下が合図を送ると待ち侘びていたようにオーケストラが曲を奏で始めた。
パートナーと共に中央に人々が集まりだし、間もなくダンスが始まる。
「リーネ、大丈夫か?もう帰ってもいいけど……」
やっと開放されたと言ってユーリが慌てて駆け寄ってきた。
「踊りましょう!ユーリと私のファーストダンスですよ」
「分かった。では、お姫様。お手をどうぞ」
「ふふっ……ありがとうございます」
ユーリの手を取り一緒に中央へと移動する。
ホールドすると曲がワルツに変化した、いよいよだ。
「緊張してる?」
「はい」
「だったら……俺だけ見ていればいい。周りなんか気にせずに……俺から目を離さないで」
「――っ!」
ユーリが砕けた笑顔でそう囁くと、本当に周りの声が聞こえない、二人だけの世界になる。見つめあっている今が永遠に思えて、時が止まったみたい。
そう思っていたのも束の間、令嬢達の黄色い声にハッと現実に引き戻された。私が見慣れたユーリの笑顔も令嬢達にとっては新鮮で周りがざわついている。
原因となった当のユーリはそれに気づいているのか、いないのか……。
アイリーネは頬を膨らませて呟いた。
「ユーリは人前でそんなふうに笑ってはダメです」
「えっ?なんで――」
「さあ、踊りますよ」
私の言葉に困惑するユーリにリードを促すと、曲に合わせて踊り始まる。緊張して足が動くかしらと心配していたのが嘘みたいに軽やかにステップを踏む。
ダンスのさなか絶えずユーリと視線が合い、先程のユーリの言葉が思い出された。
俺だけ見ていればいい。
俺から目を離さないで。
よくよく考えると独占欲とも言えるこの発言を心地よいと思えるのは、私がユーリのことを好きだからだろう。そう思うと恥ずかしくて顔が火照ってきた。
本当は視線を逸らしたいけど、この瞬間を見逃すのは勿体ないような気がしてユーリの視線に応える。終始、足元がフワフワとした夢心地でダンスを踊る。
今日のファーストダンスは月日が流れても忘れることは永遠にないだろう。
これから先に何が待ち受けていても、今日の記憶は色褪せることは決してない、そうして卒業パーティーの夜は更けていった。
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