第207話 品種改良
明日はいよいよ学園パーティー。
今日は明日に備えてゆっくりと過ごす。
……はずだったのだけど、私の目の前には見知らぬ人達がいて慌ただしく動いている。紺色のワンピースに白いエプロン、お揃いの服に身を包んだ若そうな女性達だ。
ある者は入浴の湯の準備をある者は香油の準備、またある者は私の髪や肌を調べているの?全部で5名いる見知らぬ人はテキパキと動いている。
「……お父様……この方達はどなたでしょうか?」
「ああ、アイリーネ。明日はアイリーネにとって初めてのダンスパーティーだからね、陛下に相談したら王妃様の美容部員を派遣して下さったのだよ。オドレイだけでは準備するのは難しいからね……かと言って信用出来ないものをこの家に入れるわけにもいかないからね」
「……なるほど?」
「……母親がいれば色々と苦労かけなくてよかったのにね……」
お父様が眉を下げながら寂しそうに笑っている。
私はお母様との思い出と言えばあの夜の庭で会った一時とあとは自分の生まれた日をイルバンディ様と眺めた時だ、私よりもお母様との思い出が多い分、お父様の悲しみは深いだろう、愛した人なら尚更だ。
「お父様……私はお父様とこうやって一緒に暮らせるだけで幸せですよ」
「……ありがとう、アイリーネ」
私とお父様は笑いあった。
「準備が整いました、アイリーネ様はこちらへ」
「さあ、どうぞ」
そういいながらまだ20代ぐらいの美容部員のお姉様達は私の手を引いて浴室へと促して行く。
こんなに大勢の人に入浴を手伝ってもらうなんて恥ずかしすぎる。いつも髪だけオドレイに洗ってもらい体は自分で洗っている、それなのに今日会ったばかりの方々に入浴を手伝ってもらうなんて。
「お、お父様!」
助けを求めるようにアイリーネは手を伸ばしたが、リオンヌは眉を下げ微笑んだまま胸元で小さく手を振っている。
あっ、そんな……と思ったけど、よくよく考えたら王妃様の行為だから無下にするわけにもいかない。
……腹を括るしかないか……とアイリーネは渋々お姉様方の言う通りに浴室へと向かって行った。
お湯の温度は丁度良く、香油の香りが浴室中に広がっていい香りだ。甘めの花の香り、アルアリア・ローズに似ているけれど違う。何の花だろうかと両手でお湯をすくって匂いを嗅いでも思いつかない。
「これは品種改良したアルアリア・ローズの香油なのですよ」
「品種改良ですか?」
「ええ、王宮の庭師によって改良されたのですが、通常のアルアリア・ローズに比べて花びらも八重で香りが強いのです。神聖力はそのままだそうで本当に凄いですよね」
お姉様達は楽しそうに笑いあっているが、アルアリア・ローズは元々ルシア様のお墓の周りに咲いた花よね?品種改良していいのかしら?
きっと私しか知らない話だから言わない方がいいわよね、それに品種改良してはいけないのなら、成功しなかったはずよね?イルバンディ様も了承されたということだわ。ようやく納得する答えが見つかってリラックスして湯船に浸かる。
ゆっくりと湯を堪能したあとは、肌触りのよいタオルで丁寧に水滴を拭かれベッドに横になる。
「少し擽ったいかも知れません」
「痛かったら遠慮なくおっしゃって下さいね」
などと言われてクリームを塗られたりマッサージをされる。体だけではなく髪や顔、全身に施される。
あまりの気持ちよさにウトウトとしている間にあっという間に夕刻になり美容部員のお姉様達はやり切りましたと笑顔で帰っていった。
♢ ♢ ♢
「シリル、アイリーネを見てみて下さい。何か感じませんか?」
夕食の席ではしゃいだ声でお父様がシリルに問うた。
「ん?うーん?なんだかピカピカしてる?」
シリルは私の頭のてっぺんから足先までをじっくりと眺めたあとそう答えた。
「そうです!やっぱり分かりますか?」
分かりますかと言ってもお父様が質問したからではと野暮な事は言わないでおこう。だってお父様が嬉しそうにしているものね。
私が今日の出来事をシリルに伝えるとシリルは大変そうだねと苦笑いをしている。
「世の中の令嬢は毎回こんなに準備しているのですね?一日がかりですよ?」
「これから公の場に出ることが増えますからね、他の令嬢に負けないように気合いを入れなくてはいけません。侮られてはいけませんからね、出だしが肝心です。社交界は恐ろしいところですからね」
お父様は真剣な声色でそう付け加えた。
社交界を実際に経験しているお父様がそう言うのなら間違いないのだろう。恐ろしいとは、何が起きるのだろうか想像もつかないわ。
それにしても、私よりもお父様の方が張り切っている……
まぁ、お父様か喜んでいるならいいか。
夕食のあとシリルに呼び止められてシリルとイザーク様と三人で居間で過ごす。
温かい紅茶がテーブルに出されて一口飲むとホッと一息ついた。
「それでシリル、話って何かしら?」
「ああ、うん。話そうか迷ったんだけどね……」
シリルにしては歯切れが悪い、言いにくそうにしながら紅茶を飲んでいる。
「あの……マリア嬢の事なんだけどね」
「マリア?ってヴァールブルクの?」
うん、そう。とシリルは頷く。
シリルの口から意外な名前が出てきたから正直言うと驚いた。接点など二人にはないように思えるのだけど、と私が不思議そうな顔をしていたのかシリルは経緯を話し出した。
「実はさ……ヴァールブルク公爵夫人が教会に突然やって来てねマリア嬢を助けて欲しいと言われたんだ」
「助ける?マリアに何かあったの?」
「悪夢を見ている、それも日常生活に支障がでるくらいに」
「そんなに……」
「それでヴァールブルク邸に見に行ったんだ。結果、闇の魔力に侵されていることが分かった。一応、応急処置はしたけれど僕の力では完全に闇を払うことは出来なかった。だからアイリーネにお願い出来ないかな……そう思って――」
「お待ち下さいシリル様」
「イザーク?」
それまで黙って聞いていたイザーク様が急に口を開いた。シリルも不思議そうにイザーク様を見ている。
「マリア様に近づいて危なくないのですか?罠の可能性はありませんか?」
「その可能性もなくはないけど、でもアイリーネじゃなきゃ無理なんだ。僕で無理ならアイリーネ以外は無理だよ」
「……ユリウス様も同じ意見ですか」
「ユリウスには言ってない。多分反対するだろうし、だけどこのまま放置するわけにもいかない。これをきっかけに彼女が闇に操られば……」
シリルは口には出さなかったけど、前回、一度目のようになるかも知れない。シリルはそう言いたいのだ、だけど私が一度目の記憶がないと思っているから敢えて口には出さなかった、そういう事だろう。
「アイリーネの事はイザークが守ってくれるでしょ?」
「……こんな時ばかり。……私はアイリーネ様がやるとおっしゃるのならば当然ついて行きます」
二人の視線が私に注目している。
マリアを助けてあげたい気持ちはもちろんある。
闇を払うのが私の役目、それも理解している。
だけどマリアの名を聞いた時、一度目のマリアが頭をよぎった。断罪の場で私を見ながら歪に笑うマリアの顔をどうしても思い出してしまった。少し怖いと思った、こんな気持ちでマリアの闇を払えるのだろうか不安だ。
「一応、応急処置をしたから少し猶予はあるからアイリーネが考える時間はあるよ」
すぐに返答出来なかった私にシリルがそう言った。
「ごめんね、明日は大事な日なのに悩ますような事言って……」
「ううん、シリルのせいじゃないもの」
そう言ってシリルと別れて居間を出る。
窓の外はもう真暗で街灯の明かりだけが闇夜の中で存在感を放っている。今夜は月が出ていないのだな、とぼんやりと外を眺める。
「アイリーネ様、その……」
私を追って出てきたイザーク様が心配そうな眼差しでこちらを見ていた。
「イザーク様、心配しないで下さい。少しだけ一度目のマリアを思い出しただけですから」
「……それが問題ではありませんか」
フフッと笑う私に笑いごとではありません、とイザーク様が怒っている。自分の事のように考えてくれるイザーク様が嬉しくてと伝えるとイザーク様は顔を背けた。耳が少し赤い……イザーク様が照れている。
レアな体験に目を見開いて驚いてしまった。
「イザーク様、私を守ってくれますか?」
「もちろんです。命に代えても」
「命は困りますが……」
イザーク様の即答に私の気持ちは決まった。
一人ではない、だから大丈夫。
「だったら私マリアの闇を払いに行きたいと思います」
「……アイリーネ様がそう決めたのならば、私はそれに従います」
私は力強く頷くと、まだ居間にいるシリルの元へ向かった。
たとえ罠だとしてもイザーク様が守ってくれているから大丈夫。きっと上手くいく、そう信じている。
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