第197話 記憶の扉④
「……大丈夫か愛し子」
食い入るように最後の額縁を凝視している私にイルバンディ様が声をかけてきた。
「……大丈夫です」
心配しているイルバンディ様を安心させたい、そう思ったのももちろんある。だけど想像していたよりは私は大丈夫そうだ。
「はい、上手く言えないのですが……記憶が蘇っても、実際に自分の身に起きた気がしないのです。ですから当時の感情が詳しくは分かりません……ただ辛かったとか痛かったとか大まかな感情のみ感じるのです」
イルバンディ様の長い睫毛が瞬きをしながら私を見つめている。少し考え込んだ後、ようやく口を開いた。
「……一度目のそなたと二度目のそなたは違う環境で過ごしたためすでに違う人物なのだろう」
「同じ私なのに違う人物なのですか?」
「ああ、いくら遡ろうが同じになるとは限らない。人が皆、同じ行動をとるとは限らないからな」
環境が違えば人は変わる。
人が変われば行動が変わる、それなら未来は変わる。一度目と二度目は確かに違う。お父様がいない、ユーリもいない。ヴァールブルクの屋敷には私だけの味方はいなかった。公爵である義父は中立で、公爵夫人の母はアイリーネを毛嫌いしていた。唯一味方だったマリーもアッサリと見捨てた。
そんな環境で育った愛に飢えていた一度目の私、それに対して二度目の私は比べようもないくらいの愛を貰った。だからこそ失くしたくなかった、嫌われたくなかったのだろう。そう考えるとすんなりと受け入れられる。
「……愛し子よ。先程の質問だが……一度目の記憶があればそなたは皆の愛を疑っただろう?また、同じ目に遭うのではないかと、そう思っただろう」
「……それは……」
「繰り返すが愛し子が強くある必要はない。よって一度目の記憶はなくても良いと判断した。これほどまでに一度目の記憶か深く刻まれているとは思わなかったのだ」
妖精王でもわからない事があるというの?
待って!妖精王は未来がわかるのではないの?
そう言われているけど、本当はどうなのだろう。
アイリーネは自分を見つめる妖精王に真っ直ぐな視線を絡めた。
「イルバンディ様、妖精王は未来がわかるのではないのですか。だとしたら……私……私が一度目に断罪されると知っていたのですか」
少し声が震えているかも知れない。
緊張して喉がカラカラになっている、話しづらい。
それでも聞きたいことは全部聞く、妖精王と話せる機会など二度と巡ってこないかも知れないから。
「……確かに未来は分かる」
――やっぱり未来が分かるのね。
「ただし、確かな未来ではない。未来は変わる。人が環境によって変わるように、未来もまた変わる」
――未来も変わる。
それが言葉通りの意味なのだとしたら、未来とはなんて不確かなものなのだろう。この大陸を統べる妖精王にも詠めないなら、他の誰にも分かるわけがない。
「確かな未来ではないが、概ねは決まっている。大きな分岐点でとる選択によって、枝分かれするが……」
「分岐点ですか?」
「……一度目に神託を下さなかった。これもまた分岐点だ……。神託がないとそなたは愛し子だと扱われない、それによりどのような弊害があるか予想はついていた」
「……それは」
イルバンディ様は神託がないならば私が断罪されていく未来を知っていながら、神託を行わなかったというのかしら。それは人間には深くは関ってはいけないからなの。
「ではイルバンディ様は私が断罪される未来を知っていながら神託しなかったのですか」
違う、そうではない、そんな言葉を待っていた。
見捨てるようなことはしていないと言って欲しかった。
だけど、イルバンディ様は表情の読めないいつもと変わりないように見える。
「分かっていた。そなたが断罪される事を知っていたのだ」
「――!」
私はイルバンディ様の返答に頭を殴られたような感覚に陥る。
もし、イルバンディ様が神託を下していたら一度目の私も愛し子と呼ばれて断罪されることはなかっただろう、一度目の人生で私が愛し子として生きていくのは不可能だったのだろうか。
「愛し子よ」
伏せている顔をイルバンディ様の声がする方へ向ける。イルバンディ様はただ静かに見つめている。
「……結果的にそなたは断罪されてしまったが、それを望んでいたわけではない」
「でしたら!どうして――」
――私は断罪されなくてはいけなかったのだろうか。
重要なことがあるなら説明してほしい。
私が理解出来るように話してほしい。
懇願するように私はイルバンディ様を見つめた。
イルバンディ様の瞳がほんの少しだけ揺らいでいるように見える。
「……エイデンブルグの一件を悔いているのだ」
「エイデンブルグですか?それと今回の事と何か関係があるのですか?」
「まず……どこから話そうか……長くなるが聞いてくれるか?愛し子よ」
「はい」
私が力強く頷いたのを確認したイルバンディ様は抱きかかえていた私を下ろした。どこからともなく現れた肘掛けのついた木の椅子に座るように私に促して、自らも同じ形の椅子に腰をかけると目を閉じた。
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