第191話 幸せの定義
大聖堂を後にしてイザークとアレットはシリルのおすすめのカフェへ向かった。そのカフェは個室があり主に貴族が利用している。貴族の利用が多いので警備も万全、店に勤めるスタッフの素性も知れている。
アイリーネの髪の色は目立つ。
教育をうけているスタッフ達も流石に表情には出さないが愛し子だと気づいただろう。
いつもならユリウスやシリルと共に行動しているアイリーネがイザークと二人だけ、それもエスコート付きとなればよからぬ噂を流す者もいるだろう。だからこそ個室のあるこのカフェは最適といえるだろう。
白を基調とし、水色のパステルカラーをとり入れた壁紙やカーテン、加えてテーブルやソファも統一されており貴族の令嬢が好みそうだな、とシリルが薦めたのに納得だ。
「色々あって迷いますね」
メニューを見ながらアレットが言う。
「好きなだけ頼べばいい」
イザークの言葉に一瞬目を丸くしたアレットは口元に手を当ててクスクスと笑った。
「何かおかしかったか?」
「いえ……昔も同じように言ってくださいましたね」
「そうかな?」
「はい、そうでした。そして沢山頼み過ぎてしまいイザーク様が食べて下さいました。もうお腹がいっぱいだといいながら、最後まで完食されましたよね」
言われてみるとそんなこともあったな、とイザークは口元を緩めた。アレットと視線が合いお互いに笑った。
想い出話に花が咲く、特別な話でもなんでもない。
しかし、こうやって話している今がまた想い出になるのだろう。想い出が増えると別れがツラくなる、分かっていても止められない。ただ、アレットの存在を感じていたい。
楽しい時間は瞬くように過ぎる。
カフェを出ると思っていたよりも長居していたのだと気付かされた。そろそろ日も傾きかける頃であるがイザークには最後に訪れたい場所があった。
観光スポットとなっている塔は上に登ると見晴らしがよく王都と王都の外まで見渡せた。今日は夕方のためか人もまだらであった。
「すごいですね、イザーク様」
「ああ、そうだな」
アレットが数歩イザークより離れ、前を見つめる。
「……アルアリアは本当に美しい国ですね……」
アレットが食い入るように見つめているその先に何が見えているのだろうかと、同じように見つめてもイザークの目にはいつもと変わらぬ光景だった。
昔を懐かしみ想い出を共有していても、すでに過去の人であるアレットと今を生きるイザークには大きな違いがあることをアレットは分かっていた。
「アレット?」
イザークの見慣れた光景はアレットには新鮮だった。王城を始め大聖堂、色々な商店に貴族の邸宅に舗装された道。
そして、そこに住まう人々。
アレットはエイデンブルグを思い出す。
今はもう失ってしまった祖国のようにアルアリアを同じ目に合わせたくない。この日常を壊してほしくない、幸せになる権利を奪わないでほしい。
それから……大切な人に幸せでいてほしい。
「イザーク様……」
アレットに名を呼ばれて、視線を移しても、返照と重なって逆光でアレットの表情は見えない。イザークは眩しくて手をかざし目を細めながらアレットを見つめた。
「イザーク様……もし……もしも次の世があるならば、私のことは忘れて下さい。私はあなたに幸せでいてほしいのです」
「アレット……」
「もう過去に囚われる必要はありません。私のことを忘れてあなたには幸せでいてほしいのです」
「アレット、私は幸せだ。自分を不幸だなんて思っていない。例え生まれ変わった君が他の者を選んでも私は不幸ではない。君が私を覚えていなくても……私は君に再び出逢えただけで幸せなんだ」
そう言ってイザークが近づくとアレットの表情が見えてきた。今にも泣き出しそうな顔をしているアレットを見ているのが苦しくて、イザークはそっとアレットを抱きしめた。
「だから私の幸せを奪わないでほしい。できることなら、次の世も……」
「イザーク様……!」
アレットはとうとう泣き出した。イザークの腕の中で大粒の涙を流しながら泣いている。
「ですが!それだと――」
「何も言うなアレット。私の幸せは私が決める、私のものだ」
「………」
頑ななまでにイザークがそう決めているのなら、アレットはもう何も言わないことにした。確かにイザークの人生はイザークのものだ。本人以外に口を出す権利はない。
「……分かりました、もう言いません」
「……ありがとう、アレット。私のことを考えてくれているのは嬉しいよ……」
沈みゆく夕日を眺めなら今が続けばいいのにとイザークは密かに思う。明日になれば別れがやってくる。それならば、いつまでも今が続けばいいと自分でもあり得ないと分かっていながらも、そんな風に考えて腕に力を込めた。
♢ ♢ ♢
満月の日、アレットの最終日。イザークとアレットの二人はオルブライト家に戻ることとなった。
アイリーネの目が覚めたあと自宅で過ごせるようにだ。迎え入れたリオンヌは少々複雑な心境であったが、面に出すこともなく二人を歓迎した。
日中は穏やかに過ぎて行き、夜になると帰宅したシリルと共に夕食をとる。
シリルが加わったことにより、会話がはずんだ。
こんなに笑ったのはアレットとして目覚めてから始めてではないかと思うくらい笑い、時間は瞬く間にたっていった。
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