第185話 光の名
ヴァールブルク公爵家から揺られていた馬車を降り、王都の中心部を歩く。王都のシンボルである大聖堂を見上げると夕日を浴びてオレンジに染められていた。大聖堂の扉はまだ開いており、まばらではあるが参拝しているのが見えた。
――なぜ、こんなものに縋るのか。どれだけ祈ろうと何も変わりはしないのに。祈った所であの妖精王は人の願いなど気にもとめないだろう。
大聖堂から視線を移す。
平日であれど夕方となれば街を行き交う人は多い。
仕事帰りの者、食事をする家族連れ、逢瀬を楽しむ恋人達、街を歩けば日常があふれている。
「くだらない……」
何が楽しくて笑っているのか、自分には分からない。近くの恋人達にそう心の中で悪態ついた。
誰もが平和に浸りきり明日が永遠に続くかのような姿に苛立ちを感じる。その反面、孤独には慣れているはずなのに、そんな日常に苛立ちを感じている自分だけが異物だと疎外されているようで腹立たしい。
――そんな事よりもマリア、あの女だ。前回と生まれ育った環境が違うせいか、微妙に性格が違う。前のマリアなら喜んでこの手を取り愛し子に対して恨みの一つでも言っただろうに。
ふうとため息をついて、眼鏡を外した。
度は入っていないから、眼鏡を外した所で問題はない。
――だがしかし、種を蒔くことはできたのだから、よしとするか。
一度目の際のペンダントは壊されてすでに存在しないから、性能は若干落ちるものの充分目的を果たしてくれるだろう。あのペンダントはすぐに使用する物ではない、マリアが使用する事に意味がある。マリアの負の感情でペンダントを育てるのだ、そうすればあのペンダントは本領を発揮して闇の魔力で人を操ることが出来る。
――もう少しの間マリアの側で様子を見るしかないか……
本格的に陽が傾いてきたさろそろ帰るとするか、と見上げていた空から視線を落とした。
「あれ?お久しぶりです。お客さん?」
歩き始めようとした時、そう近くで声を掛けられた。だからそれは自分のことなのかと声の主を見る。
平凡な顔立ちに茶色の髪、だけどこの少年には見覚えがある。大聖堂で行われていたバザーを襲撃した際、オレンジジュースを売っていた少年だと気づいた。
しかし、今の自分は闇の魔力で姿を変えている。
神聖力を持っている様子もない少年に見破れるほど自分の魔力が弱まっているのだろうか、と息を呑んだ。
「あっ。間違えましたごめんなさい」
「……いいえ、どなたかに似ていましたか?」
完全に見破れたわけではないようだが、どうも腑に落ちない。立ち去ろうとしている少年を問いただして原因を探ってみる方がよさそうだ。僅かでも計画の邪魔になりえるのなら、排除するに越したことはない。
「二年前に大聖堂のバザーの時に事件があったでしょう?その日初めてジュースを買ってくれたお客さんと間違ってしまったんです。すみません……」
「……きっとその方と似ていたのでしょう」
「いえ、全然違います。性別だって違うのに、どうして間違えたんだろう」
「………」
この少年の目にはスタンドカラーの白いのシャツに黒のロングスカートを着用した女性の姿が映っているはずだ。顔立ちだけではなく体型だって変えている。
自分の能力が衰えてしまったのかと思ったが、杞憂のようだ。それならばなぜだと考えた時、ある考えに至った。
「私の名前はジェーンといいます。あなたのお名前は?」
「あっ、僕はルーチェといいます」
「………そう」
成る程、光を示す名前という事か。
その名のおかげで少々目がいい、それだけだ。
ほんの少し本質を見抜けても脅威ではない。
計画に狂いが生じないのならば、敢えて排除する必要もないだろう。
「……やっぱりお前は運が良いな」
「えっ?何かおっしゃいましたか?」
「いいえ、それではごきげんよう」
声色を変え淑女の如く挨拶をすませ、歩き出す。
急な挨拶に驚きながらもお辞儀をするルーチェを横目で見ながら遠い過去を思い浮かべた。
光を表す名といえば思い出す、ルシアあの忌々しい女。
あいつがすべての元凶だ。
表向きはアルアリアの初代王妃、アルアリア建国に深く関わっている。
長い月日がたった今でもこんなにも憎い。あいつに出逢ったから誰にでも平等であるべき妖精王が狂ってしまった。だからこそ隙をみてあいつを殺害し、その魂が転生出来ないように砕いてやった。
あの時の妖精王の憔悴ぶりは言うまでもない。
しかし、妖精王は消滅するはずだった魂の欠片を自ら選別した新しい魂に忍ばせてた。
その魂の欠片を持って生まれて来たのが愛し子と呼ばれる者達だ。
そう言えば、アルアリアの愛し子の外見はあの女に似ているか?ピンクの髪に金色の瞳をしたあの女に。
ジェーンは立ち止まると空を見上げた。
空はすっかりと暗くなり街灯に明かりが灯っている。細い裏道に入ったジェーンの姿は暗闇に消えていった。
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