第177話 鏡の中の見知らぬ女の子
何もない、そんな場所にいた。
誰かに呼ばれている気がする。不意にそう思った。
声に覚えがあった、忘れるはずはない。
その声が誰か思い出せば、想い出が蘇る。
何者でもなくなっていた私が私に戻った。
そうなれば当然声の主に会いたくなる。
もう二度と逢えないと思っていたあの人に会いたい。
イザーク様に……。
急に視野が開けて目の前に現れたのは、イザーク様。懐かしいと思うけれど自分の事だというのに、どれほど振りか分からない。それでもイザーク様がいるそれだけで笑みがこぼれる。
噛み合わない会話に違和感を覚える。
イザーク様は最後には私の名を尋ねた。
私は名を聞かれた事よりも、私の名で顔色が変わったイザーク様に心が痛んだ。
まるで悪い夢でも見ているみたいな顔、私はイザーク様に逢いたかったが、イザーク様は違ったのだろう。
「ではあなたはエイデンブルクの愛し子アレット嬢なのですね?」
「………はい」
知らない人に囲まれて、あれこれ聞かれた。
この人達は何者なのだろう。それにここはどこなのだろうか。貴族の家?家具もカーテンも高級品だと人目でわかる。家具には花のレリーフまで施されており手が込んでいる。
魔術師のようなロープを羽織っている人物からは不躾に眺められた。時々腰を浮かして前のめりになり話を聞いている。何に対して興味を注がれているのだろう、自分が置かれている状況がわからずに不安だ。
顔を伏せてスカートの上で両手を指の色が変わるほど握りしめていると、隣にいるイザーク様の手が添えられる。
イザーク様?
私は顔を上げイザーク様を見ると、イザーク様は大丈夫だと言わんばかりに変わらぬ優しい眼差しでこちらを見ていた。
「………イザーク様」
私は耐えられずに涙がこぼれ落ちてしまう。
知らない場所と知らない人ばかりでイザーク様とも距離を感じていた。不安だった。
だけど大丈夫、イザーク様はイザーク様だ。
私の知っているイザーク様だ。
「ごめんね、君を泣かせるつもりはなかったんだ。僕はシリル。シリル・オルブライト、シリルって呼んでね?」
「シリル様?ですか」
「様はいらないけど、呼び捨ても難しいだろうし、それでいいよ」
クリーミーなブロンドの柔らかそうな髪に、木の葉のようなグリーンの瞳の青年は柔らかい笑みを浮かべた。シリルと名乗った彼は白い神官のような服を着ており教会に属する者なのだろうか。エイデンブルクの神官の服とは違う、他国の教会の神官なのだろう。
「えっと、驚かないで聞いてほしいのだけど、ここはアルアリア王国で――」
「アルアリア?ここはアルアリアなのですか?一度訪れてみたかったの」
アレットは胸の前で手を合わせ目を輝かせる。
あっ、いけない。アルアリアと聞いて思わず言葉を遮ってはしゃいでしまったわ。アルアリアは教会に属する者なら一度は訪れてみたい聖地だ。私もいつかはアルアリアの大聖堂を訪れたいと思っていた。
「ご、ごめんなさい!」
「ううん、大丈夫だよ。それから……言いにくいのだけど聞いてほしい、君が生きていた時代から200年がたってる」
「えっ!?」
生きていた時代?どういうこと?私はちゃんと生きているわ。今、こうやってここに存在しているもの。
それに、イザーク様だっている。シリル様は何を言っているのかしら。
アレットはイザークを見つめた。
イザークは前を向いている、感情を殺したような顔をして前を見つめている。
「信じられないだろうね?」
「信じるも何も私はここに存在しています」
この人達は私を騙そうとしているの?
イザーク様は無言のまま、どうして何も言わないの?
「うん、だからこれ……」
そう言ってシリル様が差し出したのは手鏡で、なぜだか不吉な予感がして受け取りたくはなかったけれど、私が受け取るまで態度を変えるつもるがなさそうだったから仕方なく受け取った。
促されて手鏡に自分の姿を映す。
自分の姿が映るはずなのに、そこには別人の姿があった。ピンクの長い髪に金の目の少女が不安気にこちらを見ていた。
「これは!そんな、どうして」
アレットは慌てて手鏡を床に捨てた。
「……君はもうこの世には――」
「シリル様!」
「イザーク、黙って。アレットには状況を正しく伝えないといけない」
「ですが!いきなりそんな乱暴です!」
「早い方がいい。しばらくの間はアイリーネとして暮らしていかなくちゃダメなんだから!」
「それは――」
目の前で言い争いをする声は聞こえているのに、頭に入ってこない。
あの鏡の中に映っていた女の子は――だれ?
アイリーネ?そう言えばイザーク様も目覚めた私をそう呼んだ。
だとしたら、私は?なぜこの身体の中にいるの?それから私の身体はどこにあるの?
「だから、アレットが断罪されてエイデンブルクが滅びてしまってから200年が過ぎているって、ちゃんと教えないと――」
シリルの言葉がアレットの耳に入る。
断罪?私が?どうして、私が?
だって私は愛し子として――
アレットの頭の中に断罪された日の出来事がフラッシュバックとなって、過去の映像が流れてくる。
大勢の人の悪意に晒されて、なじられた。
私の処刑を望む者もいた、見世物のように人が集まっていた。
それから……ユージオ、私の弟。
ユージオがこちらに走って――
その瞬間、アレットが体験した痛みや苦しみが身体を貫き、悲鳴をあげながら意識を失った。
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