第170話 想い合うゆえの相違
大丈夫、これは夢だから。
ほぼ毎日のように見る光景が夢であると自分に言い聞かせる。だけど夢だとわかっていても叫ばずにはいられない。
「ユーリ!危ない!」
手を伸ばしても届かない。
ユーリの何倍もあるアクアドラゴンが襲いかかるとユーリの体は吹き飛ばされる。
こうして、ユーリはもう何度も地面に伏せている。
慌てて駆け寄りユーリに触れると冷たくて、開かれたままの瞳には光はない。
「そんな!!ユーリ!」
何度同じ光景を見ても慣れる事などない。
何度も絶望し、泣き叫んでもユーリは目覚めない。
どれだけ必死に声をかけ、揺さぶってもユーリが動くことはないのだ。
ハッとして浅い眠りから目が覚める。
まだ暗い室内は見慣れた自分の部屋だったから、今日も夢で良かったと安堵した。
汗をかいた額を拭いベッドから降りる。まだ寒い時期だというのに全身が汗ばんでいてタオルで拭き寝間着を着替えることにした。普通の令嬢ならば使用人を呼ぶのだろうけど、これぐらいなら呼ぶ必要はないと手早く済ませる。着替えを済ませるとナイトテーブルに置いてあるピッチャーからグラスに水を移すと一気に飲み干した。
もう、すっかりとこの一連の動作に慣れてしまった。
ため息をつくと眠れないけれど体を休めるためにもう一度ベッドに戻ることにする。
アクアドラゴンに遭遇しユーリを置き去りにしたあの日から同じ夢を何度も見てる。イザーク様に抱えられて馬車に乗せられ避難した。アクアドラゴンが討伐されたのにユーリと連絡がつかない。徐々に不安が募っていくとシリルからユーリが治療院に運ばれたと聞き酷く取り乱したのを覚えている。すぐにでも会いに行きたかったけど治療の妨げになってはいけないと言われたから会いに行けなかった。
だから我慢した、不安で心配で仕方なかったけれどユーリが回復するまではと会いに行かなかった。それなのにあれから十日以上がたつのに未だに会えていない。
お祖父様の時のように私に隠しているのではないかとお父様に詰め寄ったけれど、きっぱりと否定される。まだ治療の最中だからだ、と言われたら私には何も返せなかった。
夜は悪夢を見るようになり、いつも寝不足となる。
お腹も空かず、味も感じなくなり食欲が落ちた。
みんなが心配そうに私を見るから頑張って食べなくては、どうにかして眠らなくてはと思えば思うほど悪循環となっていく。
それでも初めの頃に比べたら随分とましだ。
枕の横に置いていた封筒を眺める。ある日帰って来たシリルから手渡されたユーリからの手紙だ。そこには自分は大丈夫だ、心配しないようにと見慣れた文字が並んでいた。だから私は喜んで返事を書いた。
会いたい、顔が見たい、と。
だけどユーリの返事は決まって一緒。
もう少し待って、まだ治療中だから、だった。
お見舞いに来てくれたクリス様やシリルの話ではユーリは食欲もあり回復に向かっている。とユーリに会った人は口を揃えて言っている。
そう、私以外の人には面会している。
だから私は一つの考えに至った。ユーリは私に会いたくないのではないかと、そう導き出した。
この考えを受け入れるまでに時間はかかったけれど、日が経つにつれ私は納得出来るようになった。
考えてみればユーリは長い間治療院で治療するほど負傷したのだ。私の側にいる事が嫌になっても仕方がないだろう。加えて私の能力が効果がないどころか自分の身も守れずに足手まといだった。
だからこそユーリの意志を尊重しようと思う、ユーリが望むなら会えなくてもいい。私の側でユーリが傷つくよりもユーリが怪我もなく生きていればそれだけでいいのだから。
そう決めたのに私の心が弱いのだろうか、こんな悪夢を毎日見る。もっと強くならなければいけないのに……。
今度は悪夢を見ないように願って目を閉じた。
♢ ♢ ♢
手渡された手紙を見つめて僕はため息をつく。
僕は伝書鳩じゃないんだから!何回かユリウスに文句を言った。そのたびに切実に頼むから仕方がないと預かってしまうんだ。
今日もあまり食べれなかったアイリーネの為に料理長に頼んで飲み物を用意してもらった。体を温めてちゃんと眠れればいいなと思う。
コンコンと扉をノックすると中から小さな返事が返って来た。部屋の中に入ると窶れて顔色も悪いアイリーネがソファに座っていた。
はいと言って預かった手紙を差し出すとありがとうと返事する、このやり取りを何回しただろうか。
「これ飲んで」
僕がコップを手渡すとアイリーネは中を覗いた。
「これは?」
「ホットミルク、蜂蜜入りだよ。温まって眠るんだよ」
「……ありがとうシリル」
手渡したコップを傾けてゆっくりと飲んでいる、そんなアイリーネを見て少しホッとする。僕達を安心させるためにわざと明るく振る舞って、食べようとしている姿は痛々しい。ここまでアイリーネを追い詰めているのはユリウスが会わないから。まあ、ユリウスの気持ちはわからないわけではない。
治療院に運ばれたユリウスを蝕んだ毒は右上半身から頬まで達していた。すぐに解毒の聖女と傷を癒す聖女が治療を始めたから混濁していた意識も戻り大事には至らなかった。怪我をしたのがもしも左腕なら心臓に達し命の危機もあっただろう。ただ皮膚に残る暗紫色の毒の痕跡が今なお残っている。だから会えない、とユリウスは主張している。日に日に薄くなっているからもう少しすれば治療が終了する、そうすればアイリーネに会う予定なのだろう。アイリーネの状況を伝えたらそう言っていた、それまで頼むそう言われても困るよ、僕もどうしてあげればいいか分からないんだから。
それに今までのアイリーネとは違う感じがするんだ、今までなら必死になって神聖力の特訓をしていた。それこそ倒れるまで。だけど今回はどうだろう、特訓をしている様子はない。思い詰めている、そんな風に感じてしまうんだ。
「ねえ、シリル。ユーリにね、手紙はもういいから治療に専念してほしいって言ってもらいたいの」
「……僕、伝書鳩じゃないから」
「うん、知ってる。だけど直接言えないから」
「……ん、わかった。じゃあ、それ早く飲んでベッドで休んで」
そう僕が言ったから、素直なアイリーネはホットミルクをごくごくと飲み干して、ベッドに横になった。
「アイリーネ、今日は僕がおまじないしてあげる」
「おまじない?」
僕の言葉を繰り返すと不思議そうな顔をした。
「うん、だから悪夢は見ないし、朝まで眠れるよ」
「シリルのおまじないなら効きそうだわ」
フフとアイリーネが笑った。
アイリーネ自身で乗り越えないとダメだと思ったから今までは手を出さずにいた。だけど限界を越えたら良くないから、少しだけ神聖力を使う事にした。
「目をつぶって……」
そう言ってアイリーネの閉じた瞼に手を当てて、神聖力を使う。ゆっくり眠れるように、と。
「ありがとう、シリル……ねぇ、シリルはイルバンディ様にお会いしたことある?」
「……あるけど、どうして?」
どうしてそんな質問をしたのだろうかと怪訝に思った。
今までイルバンディ様に関して聞いてきた事なんてないよね?それなのに、なんで今なの?
胸がザワザワとして不安だ、当たって欲しくない事ほどよく当たるんだ。
「ううん、なんでもない。……やっぱりシリルは違うよね。……おやすみなさい」
「……おやすみ」
アイリーネが眠りにつきそうになったから、僕は問いたださずに部屋を出た。
ねぇイルバンディ様、見ているんでしょ?
だったら!
――いや、言っても無駄だよね。
なぜなら妖精王は人間に関与しすぎてはいけないから……
自分の気持ちが上手く処理できなくて、もやもやして地団駄を踏みたい気分だ。
僕はそのままイザークの部屋にノックもしないで入るとイザークに泣きついた。イザークは文句も言わずに聞いてくれたけど、僕よりも心配しているのを知っているよ。
辛い日々が早く終わればいいな。
早くみんなが幸せになれる日が来ればいいな。
例えば――
寒い冬が終わり暖かい春になる様に……
暗い夜が終わってやがて朝がくる様に……
イルバンディ様、これぐらいなら僕の祈りを聞いてくれる?
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