第138話 黒い模様
「貴方は何をしているのですか」
「ブランか……」
自分の側にやって来た教皇を名前で呼ぶとブラン・オルブライトこと教皇は不機嫌そうな顔を隠そうともせずに、隣に座った。
教皇いやブランは昔からそうだ。こいつは、俺の事が気に入らないのだろう。
こいつは年の近い叔母であるシャルロットの事を姉のように慕っていた、だからいつも俺とシャルロットが二人でいると、必ず邪魔をしてきた。
まあ、シャルロットに纏わりつくこいつの事を俺も気に入らなかったが。
「そんな顔するぐらいなら、側に来なければいいだろう」
「……貴方が治療を受けないからですよ」
面倒くさそうにリベルトに言われた教皇は、リベルトとは目も合わせずに、そうボソリと呟いた。
「先程から見ていれば、治癒能力を断ってばかりではないですか。どうして治療を受けないのですか」
「……必要ないからだ」
「必要ないだなんて!貴方が熊よりも丈夫なのは知ってますが、貴方の傷が良くならなければ子供達が気にするでしょう!だから大人しく――」
そう言って強引にリベルトの服を上げ傷口を確認した教皇は息を呑むと、顔色を青く染めた。
リベルトの腰部にはナイフによる小さな傷口とその傷口を中心に黒い模様のような物が広がっていた。黒い模様はアルアリア建国時に使われていた古代文字にも妖精達が使用する文字のようにも見える。
その範囲は上は胸部下は大腿部まで広がり、今なお広がりをみせている。
「なっ、これは!!どうしてもっと早くに治療しないのですか!?」
「これは、治らないだろう?お前も教皇ならわかるだろ、あのナイフには闇の魔力によって作られた呪いのような物が込められていたんだ。だから、治療しても無駄だ」
「シリル様なら……いや、今いる聖人や聖女を総動員すれば、もしかしたら――」
焦りながら独り言のようにブツブツと言う教皇にリベルトは静かに笑うと首を横に振った。
「……シリルだって何でも治せるわけじゃない、もし治せなかったらシリルは苦しむだろう。それになブラン聖女達を総動員していたら、俺以外の治療を全て諦める事になるだろう?だから治療の必要はない」
まるで世の中を悟ったようなリベルトの口ぶりに教皇は思わずカッとした。
「英雄にでもなったつもりですか。貴方はそれでいいかも知れませんが、あとに残された者はどうなるのですか!リオンヌだってアイリーネ様だって――何を笑っているのですか!?」
「いや、お前が俺の事でそんなにも怒るなんてな」
リベルトが自分の体の状態など気にもとめず、ただ心底可笑しいと笑っているのを見ていると、教皇は何とも言えない気持ちになった。
教皇も今のリベルトの状態が最悪で手の施しようがない事はわかっている。それでも一縷の望みに賭けたかった、ただ本人にその意思はなくいつもと変わらない笑顔をこちらに向けてくる。
――やるせない……
教皇は唇を噛みしめると表情を読まれまいと、顔を伏せる。
「ブラン……」
「………何ですか」
「シリルはいい子だろ」
「――そんな事、貴方に言われなくても知ってますよ」
「……そうか……そうだな。……ブランすまないが……リオンヌを呼んでもらえるか?」
弱々しいリベルトの言葉に教皇はハッとすると声の主を見た。リベルトの首元には先程までなかったはずの黒い模様がくっきりとその存在感を示していて、教皇は表情を強張らせた。
「すぐに呼んで来ます」
そう言って走る教皇の後ろ姿に前教皇の面影が見える。
「……やっぱり親子だな」
リベルトは霞む目を静かに閉じた。
本当のところは、もう少しあの子達の側にいたかった。
子供達が幸せになるのを見届けたかった。
だが、アイリーネを守れて満足している自分もいる。あの子に刃が刺さっていたら、あの子を失っていただろう。
それに比べればやはり満足だと、そう言わざるをおえない。
「父上!!一体どうしたと言うのですか!なぜこのような姿に、一体どうして!」
「リオンヌ……」
取り乱す息子にどう声を掛けていいのかわからない。娘もいるいい大人だというのに、目に涙を浮かべてこちらを見下ろしている。お前がしっかりしなくてどうするとこう言う時はそう言うべきなのだろう。
だけど、それは叶わない。
熱いものがこみ上げ来て、口に出来ない。どうやら自分には言えそうにない。
――自分の人生は悪くなかった。
ハッキリとそう言える。
心残りはあるけれど、もう行くとするか。
シャルロット……迎えに来てくれたのか?
リベルトは静かに息を引き取った。
例え痛々しい程の黒い模様が濃く現れていてもリベルトの顔は眠るように穏やかだった。
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