第118話 エイデンブルグのクラーラ
遠くに見える重厚な城は、そうエイデンブルグ城。
ここは、今は亡き国エイデンブルグ。
懐かしくも思い出しては胸が締めつけられ苦しくなる。
ここは……そうだ大聖堂だ。大聖堂の裏口に植えてあるアルアリア・ローズは今日も風に揺れていた。
いつものように、イザーク様がアレット様に会いに来た。二人は愛し子と皇太子といういわば政略結婚にも近い婚約者同士だったが、二人を見ればわかる。
二人はお互いに惹かれ合っているのだ、誰から見てもお似合いで、いつか皇后になるアレット様を誰もが想像していただろう。
アレット様のシルバーの髪が陽の光に当たりキラキラと輝いている。イザーク様の隣にいるアレット様はいつも笑顔で幸せそうに見える。
でも、アレット様が神聖力が高くても癒やしの能力も使えないとか子爵家では皇太子とは釣り合わないなどと噂する人達が存在している。
アレット様は貴族であろうが平民であろうが別け隔てない、それが高位貴族達のプライドを傷つけるのだろう。
だから、あたしはアレット様の物語を書くことにした。どれだけ、アレット様が素晴らしいか、二人が愛し合っているかを書くことにした。
教会にやって来てからアレット様に教えてもらった文字が早速役に立つ。羊皮紙何枚にもわたる物語は先輩聖女や神官達に聞いた話しを交え丁寧に書いていく。
アレット様がイザーク様と出会ってからの物語。
「クラーラ、こっちへいらっしゃい」
アレット様が手招きをしてあたしを呼んでいる、あたしは早速アレット様の元に駆けていく。
「何をしていたの?クラーラ」
あたしは羊皮紙を必死で後ろに隠した。
「内緒です。いつか完成したらアレット様に見てほしいです」
「そうなの?じゃあ楽しみにしているわね」
そう笑ったアレット様は見惚れるほど綺麗でまさしく、妖精だ。
アレット様は外見だけでもなく、中身も綺麗だ。
あたしは神聖力があると教会にはやって来たけれど、能力自体は大した事ない。聖女にはなれないだろう。それでも平民のあたしは神官としてでも教会に残れれば住む場所にも食べる物にも困らずにすむ。
それにあたしはそばかすも目立つただの子供で、髪も瞳も茶色で平凡だ。
そんなあたしにアレット様は妹のようだと親切にして下さった。あたしはいつかアレット様がイザーク様と結婚する時が来たら、この物語を二人に渡そうと心に決めていた。
そう思っていたのに、イザーク様が魔獣を討伐するために出発された翌日、近衛騎士によってアレット様が連れて行かれてしまう。
「大神官様、どうしてですか!騎士達になぜ抗議しないのですか!」
「……仕方がないだろう。アレット様は愛し子だと偽っていたのだ」
「そんな、そんなはずあるわけない!愛し子だと言ったのは教会ではないですか!」
「………」
大神官は縋り付くあたしを手で払うと、神官達に囲まれて歩き出す。大神官はアレット様を助ける気はないのだと、あたしは絶望した。
他の神官も聖女達もあれほどアレット様を崇めていたのに一瞬で手のひらを返した。
あたしが泣いてもどうにもならない。わかっているのに涙が溢れて止まらなかった。
偽物を断罪する、そんなの嘘だ!
噂話を聞きつけたあたしは広場へと走った。
広場はすでに噂を聞いた人達でいっぱいだ。
大人達につぶされそうになりながら、人を掻き分けて少しでも前に進む。
目の前でおきている光景が信じられない。
アレット様が槍に貫かれて倒れていく、苦しそうに顔を歪めて倒れていく。
どうして、皆平気なの?
アレット様があんな目にあってるのに、煽るように騒いでいるの?誰もアレット様を助けないどころか偽物だからこんな目に合っても当然だと笑っている。
なんて人達だろう。
アレット様が可哀想。
アレット様はいつも皆の幸せを祈っていたのに。
あなた達がアレット様に背を向けるなら、こんな人達は捨ててしまえばいい、こんな国は滅びてしまえばいい。
雨が降り出したと思ったら、すぐに嵐となった。
怒り狂ったような雷鳴に蜘蛛の子を散らすように、人々は去っていく。
直感で妖精王の怒りだと気付いた。やはりアレット様は愛し子で間違いなかったのだ。
馬鹿な人達。
これでこの国は終わるのだろう。
アレット様を粗末に扱った人も見下していた貴族も皆終わる。
雨に降られ、ずぶ濡れになったあたしの前にゲートが現れた。
「善人を助ける為に妖精王がゲートを開けてくれたのよ」
そう妖精が言ったけれど、あたしは首を振る。
アレット様を助けられなかったあたしは善人ではない。
教会に戻ったあたしは急いで物語の続きを書き上げる。最後は本来とは少し変えた、二人は決して離れることがないように、ずっと一緒にいられるように二人の物語を書き上げた。
今まで書き上げた羊皮紙を手にあたしは走る。濡れて汚れてしまわぬように、何重にも包み服の中に隠したまま走る。そしてゲートにいた妖精に羊皮紙を託した。
「いつまでもアレット様を忘れないために、これを皆に伝えたい」
そう言ったあたしに妖精は表情を変えずに問うた。
「……タイトルはどうするの?」
あたしは少し悩んでこの国に沈んでしまった、太陽みたいな笑顔のアレット様を思い浮かべた。
「タイトルは……エイデンブルグの落日」
そうしてゲートが閉じられたあと、あたしは眠りにつく。いつの日か再びアレット様に出会える日を夢見て……
「ううっ……」
鉄格子中で頭を押さえて蹲ったミレイユを見て、慎重に扉を開けたユリウス達は近づいた。
「おい、どうしたんだ」
「わたくしは……あたし?」
「何を言ってるんだ、フォクト孃」
フォクト孃と呼ばれたミレイユは顔を上げて、イザークを見た。
その眼差しは今までとは違い、頼りなく動揺しているようにもみえる。
「わたくしは……わたくしはアレット様じゃない」
「では、君は誰だ?」
「………」
しばらくの間、イザークをジッと見つめていたミレイユは重い口を開く。
「あたしは……クラーラ……」
ユリウスは聞き覚えのない名前に首を傾げる。
「クラーラ?イザーク知っているのか?」
「はい。アレットが可愛がっていた、聖女候補の少女です」
「可愛がっていた?それなのに、姉様になりすましたのか?」
「違う!そんなつもりはなかったの!あたしは自分を覚えていかなったの!だから――」
「だからって、毒を盛ったりするのかよ!」
ユリウスに当然の事を言われてミレイユは押し黙った。
これでは、あんなに嫌っていた貴族と今のあたしは同じだ。アレット様に謝らければ、アレット様に会いたい。
筆頭公爵家の令嬢として生まれて、勘違いしていた。自分は特別だと、選ばれた存在だと思い上がっていた。
ミレイユの目から涙が溢れ落ちる、今更後悔しても遅いとわかっているのにどうしても涙が溢れてくる。
それに……わたくしが本物の愛し子だと言われて本気にした。アイリーネ様が偽物だとあの人がいっていたから……あの人は確か……
ミレイユがある人の事を思い出すと、ミレイユの体はどこからか現れた闇に包まれる。
「うわっ!」
「なんだ!?」
「フォクト孃!」
このまま終わるわけには行かない!
アレット様に会わなくては!
そう思った瞬間、ミレイユの体から黒い何かが飛び出した。その何かは地下牢の壁をすり抜けると外へと出だして行った。




