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作者: あかばたちかぜ

薄ぼんやりと視界が開けていく中でここが病院であることを理解するのに数秒を要した。有害なすべてを取り除いたようなきれいな匂いが呼吸に合わせて肺に取り込まれる。白く清潔なシーツが心地よかった。自分のベッドは、カーテンで区切られていて半個室のようだった。白く均等に折り目のついたその向こう側で声がしていた。足音が近づき、やがて自分の目の前で止まる。カーテンがさーと音を立てて開かれて、白い服の女性が顔をのぞかせた。

「おはようございます、起きられたのですね。早川さんずっと寝ているから心配だったのですよー」笑顔で食事を運んできてくれた。こっちのペースなんてお構いなしにテキパキと準備をする彼女は、働いて短くないことが行動に見て取れた。

「あの、俺はどのくらいここにいるんですか」尋ねたが、彼女は他の患者の面倒も見ないといけないらしく「それらに関しては今度先生からお話があるので、ご飯食べて待っていてください」と笑顔で質問をかわされてしまった。彼女は失礼しますね、と告げてからカーテンをそっと閉じた。

白い器に盛られた病院食を食べながら今後のことを考えた。記憶が曖昧でなんで病院にいるのか、いまいちピンと来なかったがそれも後で聞ければいいと思った。ベッドの横にあった三段の棚の最上段に自分のスマホが置いてあった。手にとると母からの通知がロック画面に積み重なって現れた。母は14時ごろこちらに着くそうだ。それをいったんスワイプすると自分と笑顔で写る恋人の顔が見えた。ニコっと笑い今にも声が聞こえそうだ。去年プレゼントした白のワンピースがよく似合っている。プレゼントしたとき彼女は、その目を丸くしてとても驚いていたが、すぐにありがとう!可愛い!と連呼していた。彼女からの連絡は来ていないが、あとで一度電話でもいれてあげようと思った。心配させたら申し訳ない。

お昼の時間が終わり、またカーテンが開いてさっきと同じ看護師が15時45分に一つ下にある診察室Dに来てほしいと言われ、了承すると彼女はまたテキパキ食器を片してカーテンを閉じた。

時間まで暇だったから近くを探検したり、スマホをいじったりして暇を潰したが対して有意義な時間にはならなかった。母は心配そうに駆けつけてくれたが、自分はこの通り元気であったから母は不思議そうにしていた。母曰く、丸まる二日寝ていたそうだ。一時は危ない時期もあったそうだから普通に話している息子を見て驚いていた。ただ徐々に慣れていつもの調子を取り戻した。母にはどんな経緯でここにいるのか尋ねたが、母もよく知らないから先生の話を聞いてどんな感じだったか家で教えてくれればそれで良いと言っていた。


母が帰った後、診察室に向かった。前までと比べて足取りは重く、たった二日歩いていないだけなのにもう何年も体を動かしていないような感覚だった。それは先ほど自分の病室があるフロアを探検した時には感じなかった。医師から告げられる何か重大な事実から体が自動で遠ざけているようでもあった。診察室近くのカウンターに行き、事情を話すとソファーで待っているように言われた。エメラルドグリーンのそれに自分より前に腰かけている人たちに倣って座った。腰かけると特にやることもないから壁掛け式の中型テレビを無気力に眺めた。穴場の定食屋の特集が終わると、通常のニュースが流れ続けた。

 「東京足立区で酒に酔った25歳の男が運転する車が下校中だった児童を撥ね死亡させたとして・・」「長野県長野市で男が住宅に立てこもり警察官ら4人を死亡させた事件で、警察は・・・」「世界三大映画祭の一つカンヌ国際映画祭で日本の二つの作品が受賞する快挙を成し遂げました!」

 女性アナウンサーが次々と原稿用紙を手に読み上げていく。皆それを表情一つ変えずにテレビ画面に映るアナウンサーを睨んでいた。実際に、嫌悪感があるというわけではなく患者の誰の一人もニュースについて話さなかった。彼女の声は居酒屋で流れている曲となんら変わらなかったが、客たちはあまりに静かであった。

 名前を呼ばれ、診察室に向かい木製の取っ手をもってスライドさせると、中には小太りした丸顔で優しい目をした男が椅子を回転させて迎えてくれた。

 「こんにちは早川さん、調子はどうです?」優しい声で言う。

 「こんにちは、いいですよ先生。特に痛いところもないですし、ご飯も食べられました。」

そう言うと前歯を見せて少し笑って、そうですか、それは良かった。いいことだ。彼は満足そうだった。

 「看護師さんから咳が辛そうだと聞きましたが、今は落ち着いていますか」ゆっくりと穏やかに話が進む。こちらの顔色一つ一つを気にして何か踏んではいけない何かを避けている雰囲気を感じた。

 「いえ、特には。そもそもそんな咳をしていた覚えもないですし」当然だ。昔喘息をもっていてシールのような薬を貰ったりしていたがそんなのは、10年以上前の話だ。

 「そうですか、とりあえず今の状態を見るためにも服を挙げてもらっていいですか」

ひんやりとしたグレーの聴診器が先生か伸びて、胸を転々とする。やがて背中を見せるように指示され、回転いすを回して見せた。背中は胸やお腹に比べて触られているのが分かりづらかったが、それでもひんやりとしていた。

 特に薬を貰うことも、また来るようにも言われなかった。今日退院らしい。なぜここにいるか聞いた時、先生は飲み屋で倒れた君を店員さんが119番通報して対応してくれたと言っていた。最初は、急性アルコール中毒を疑ったが違ったらしい。また何かあればここを直接訪ねる前にこの番号に電話するようにとメモ書きを渡された。

 カウンターで代金を支払うと出口まで案内してくれた。

 「早川さん良くなって良かったです、お大事にしてください」笑顔で言ってからペコリとお辞儀した。ありがとうございました。お礼を言って病院を後にした。スマホのロック画面は16時を回っていた。

 病院の前は公園になっていてブランコをする親子が見えた。日陰になっているベンチに腰かけて電話しようと試みる。だが彼女の名前はない。Unknownと書かれたアカウントもないから不思議だった。アプリの電話ではなく、電話番号にかけてみよう思った。呼び出し音が何回か繰り返して、音が鳴りやむ。画面にはもう一度かけなおすか、キャンセルかの二択が表示される。はぁ、小さめのため息がでて地面に湿る。大学からのメールがたまっているのを見て、病院にいて自分の時は止まろうが全体は動き続け、ある意味での平等を受け取れる。公園の親子はいつの間にか歩き出して、ちょうど公園からでて姿が見えなくなった。

 家から一時間ほどかけて都内の私立大学に通う。高校生の時、自分の進路が分からなかった。何がしたいか、何が好きか。わからないことだらけなのに進路は待ってくれなかった。だから中堅校にした。「した」というより「なった」の方が近いかもしれない。中でも漢字の画数が多くてなんとなく強そうなここを選んだ。大学では友達を作れなかった。自分から能動的に動くことが難しかった。授業以外で会わず、授業が終われば挨拶もせず各々解散する人はいる。そういう繋がりを経験して中学、高校の友達のありがたさを痛感した。一人でいることに苦痛は感じない。一人で出かけるのも慣れている、朝食を食べるために口を開いて、次に口が開くのは家で夕食を食べる時も多くある。別に嫌ではない。苦しいとも辛いとも思わない。ただ平気ではない。SNSで見る友人はみんな大学を楽しんでいるみたいだ。やり場のないむなしさだけがスマホ見た後に残って、その後味の悪さはここ数年何度も経験したなれ親しんだものになった。大人たちはよく、いろいろな場所を巡り、たくさんの人に出会い、そしてたくさん学びなさいという。多くの大人が言うもんだから多分それぞれ学生のうちにやっておけばよかったと後悔して、それを善意で教えてくれているのだろう。ありがたいことだが、首を縦に振って受け入れて行動に移せる学生はいくらいるだろう。そして仮に行動に移せたとして、その彼彼女らは何を思うのか。10年後、20年後に人としての厚みや深みが出るのだろうか。本当に?通りすがりの人間に、教壇にたつ先生、テレビに映る芸能人、その誰にもそれらを感じたことなどない。一人旅をして人生を見つめなおす暇があるなら友達の一人でも作って汚い居酒屋で酒を流し込む方がよっぽど楽しそうで充実してそうだ。だから私は辛くはないただ平気ではない、と言うのだ。こんな風に他人に期待しなくなってうがった目で人を見るようになったのか分からない。分からないままの方が幸せかもしれない。

 彼女を探し続けて気づいたらあの蒸し暑さは、いつの間にかいなくなって代わりに渇いた空気が枯葉を運んでいた。中高の時、友達はいたから連絡を取るのは簡単だった。深く考えずに片っ端からメッセージを送った。数日もすると何人か以外はみんな返信してくれた。中には、久々に会おうと言ってくれる人もいた。だが結局みんな何も知らないみたいだった。そもそも公言していなかったらしく、話をして初めて知ったと言われることが多かった。これらを通して唯一の希望は成人式だった。成人式の一週間前友達の晴れ着を古着屋に付き合った。場所は下北沢、通りを歩いているとふと気になる看板が目に入った。なんで気になったかは、そのお店は俺達が大好きなアニメのラスボスの名前だったからだ。二人してそんなわけないよなぁ、と螺旋階段をあがりドアを開けた。その瞬間、古着屋独特の匂い、最初は嫌いだったが慣れると安心するようなあの匂いが鼻孔を抜ける。壁には丁寧に額縁までついたボスの絵が一面に並んでいた。その瞬間二人ともその店が大好きになった.友人はそこでお気に入りのセットアップを見つけ購入。彼はとても嬉しそうだったし、私はその顔がみられて嬉しかった。私はその当日までの時間、成人式の前夜祭とうたって行われた飲み会が最高に楽しかった。

 当日は天気予報では曇りの予想が、雲一つない快晴に恵まれた。寒いかもしれないと準備したヒートテックは熱いほどだった。久しぶりーという言葉を何回も繰り返して、唇が乾燥しきったころにある顔を見つけた。晴れ着に身を包んだ彼女は綺麗だった。思えば自分から声をかけなければ、何も起こらず自分は何も知らず幸せだったと思う。そこで声をかけた後悔とそうしなかった時の後悔。どちらが上でどちらが下か。大人たちの言い分にのっとれば本来、人生とは行動し経験しそこから学びより良くしていくものだ、と言いそうだがこの時ばかりは未だに話しかけた自分を呪っている。

 「久しぶり、会いたかった」本心をそのまま言葉にした。他になんて言った良いか分からなかったから。この時どんな風に私の言葉を受け取ったのか、もうわからない。

 ああ、久しぶり。彼女はとても淡泊に言葉を返した。明らかに顔を引きつって苦笑いしていた。歓迎していない顔。しばらく会っていないだけでこんなにも雰囲気は変わるのか、と驚いてしまった。

 あ、と声を漏らし誰か知り合いを見つけたみたいでそちらに駆け寄ろうとする。その間際こちらを振り返りこう言った。元気でね。自分の元から去っていく彼女の背中を見てその時は感情が何も湧き起らなった。顔を見られたのはそれきりで、もう金輪際会わないと決まっていると悟った。最後の言葉の真意を後から風呂場で考えたことが何度かあったが、結局自分が嫌になって水面に拳を振り下ろして頭の回転を強制的にセーブしていた。これ以上考えないように。行きつく先を私は無意識に理解してしまうから。全部シャワーで洗い流す。全部流れちゃえ。流れていった水を飲み込む音が聞こえる。今度こそ良いことがありますようにと枕を濡らして眠った。どうかありますように。    おしまい

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