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4.ネコの心得

木製の扉が重々しく閉められ、空間から束の間音が消える。

熱気と緊張の去った部屋は、もとの緩んだ空気を取り戻し、一気に呼吸が楽になった。

肺に溜まった重い息を吐き出して、ふとここが自分ひとりの空間ではないことを思い出す。

「よぉ、緊張してるか?」

笑いを含んだ声にスノウが顔をあげると、緋色の色彩が目に入った。エルと呼ばれる魔物だ。

緊張してるにきまっている。

スノウは猫にされ、あまつさえその魔物の腕に抱かれているのだから。緊張しないでいられるほうがどうかしているだろう。

しかもこの魔物ときたら、とスノウは内心毒づく。

エルはスノウを抱っこしたまま、結局1時間も話し…というか会議をしていた。察するに、アイシャと呼ばれた魔物ともう一人はエルの部下であるようだ。その間、猫嫌いの二人(特にアイシャ)の視線がびしばしとスノウに刺さり、生きた心地がしなかった。視線に殺傷能力があるなら、今頃スノウはこの世にいない。

その二人がつい先ほどようやく退室した。

この部屋に連れてこられてから2時間程度、やっと楽に呼吸ができるようになったスノウである。

「大丈夫だって、取って食ったりはしねぇよ。猫は殺しても食うなって言われてるしな」

あまり心安らがないセリフを、エルは上機嫌で言う。

さすがに2時間近くも、さらに言えばその半分は密着して過ごせばさすがのスノウでも多少慣れてくる。おとなしく撫でられながら、言ってみる。

「放してくれませんか?」

だが、実際に口からとびだしたのは「にゃあ」の一声だけ。

完全に猫のそれである。猫になら通じるかもしれないが、人語には程遠い。

「ん?ああ、疲れたか」

言葉にならなかったスノウの意思を感じ取ったのか、エルがスノウを覗き込んで言った。ぽん、と放り出すようにしてスノウを解放する。

「逃げるなよ、勇者。勝手にうろついたら、猫嫌いの魔物どもに八つ裂きにされるぞ」

悪辣な笑みを浮かべ、エルがそう釘を刺した。

逃げられるものならとっくに逃げている。

放り出された机の上に座って、スノウは恨めしい思いでエルを見上げた。

「んー?腹減ったのか?それとも猫になったのか?」

「猫にしたのはそっちじゃないか…」

思わず反論してみたが、口から出るのは「にゃあ」という鳴き声だけ。首を捻っているところをみると、かけた本人であるエルですらもスノウの「猫語」は理解できないらしい。ならば、とスノウは口を開く。


「元に戻して」

にゃあ。

「猫はあまり好きじゃないのに…なんでよりによって」

にゃあにゃあ。

「どうせなら強い魔物にでも変えてくれればよかったんだ。そしたら火を噴いて逃げてやるのに」

にゃあにゃあにゃごにゃご。

理解できないと知ると、スノウはここぞとばかりに文句を並べた。捕われてからの…或いはこれまでの鬱憤を晴らすように、にゃあにゃあ鳴き続ける。

急に騒ぎ出したスノウを、エルはぽかんとした表情で眺めていた。

先ほどまでまさしく借りてきた猫のように大人しかったスノウが、突然鳴き出したのだから驚くのも当然である。

「…ああもう、何言ってるかわかんねぇな」

面倒くさそうにエルが言って、ぱきっと指を鳴らす。途端にスノウの喉が楽になった。

「…あ…?」

漏れた声は、紛れもないスノウ自身のもの。愛らしい鳴き声ではない。

「それで喋れるだろ。言ってみな」

促されてスノウは言葉に詰まる。ただ文句を並べたてていただけで、質問をしていたわけではなかった。懸命に脳を振り絞り、言葉を探す。

「…えっと…俺を…どうする、つもりですか」

「どう?猫にしたじゃん」

「それはそうなんですけど…俺を猫にして、どうしたいんですか」

「飼う」

「…他には…?」

「他?他に用途があんのか?」

言い切られて、スノウはしばし戸惑う。用途…?

沈黙の意味を正しく理解したらしいエルが、意地の悪い笑みを浮かべて補足した。

「言い換えれば、他にお前に利用価値があるのか?ってことかな。」


ぐさり。


不可視の剣が、確かにスノウの胸をえぐった。

「…い…いいえ…」

ない。悔しいことに、自分の利用価値なんてない。以前のままの勇者ならまだしも、今の勇者じぶんでは人質の価値もないことは重々わかっている。

自分の人生はここで猫にされて飼われておしまいなのだろうか。

「言っとくけど逃げても無駄だぞ。ヘタレなお前が逃げ切れるとは思ってないけどな、その魔法は俺にしか解けない。」

「じゃあ…どうしたら解いてくれますか」

「解かないぞ、俺は。猫の方が十分価値があるだろう」

「……う。うう…じゃ、じゃあ、解く方法は…」

必死に食い下がるスノウに、エルは呆れ顔。

「お前ばかだなぁ。魔物オレがご親切に教えるわけないだろ」

言われてみれば確かにその通りである。しかも目の前の魔物はかけた本人なのだから、どんな理由があれ解き方など教えるはずもない。

「…それも…そう、ですが…」

スノウは視線を落とす。

方法が全く思いつかないわけではない。この城を逃げ出して仲間のもとに帰り、国王の力を借りて方法を探すことだって可能だ。世界は広い。何かしら魔法を解く方法はあるだろう。王室お抱えの魔法使いだっているのだ。

ただ、それを実行するにはスノウの度胸と言うか…勇気がいまいち足りない。

…猫を嫌う魔物の城で、うまく逃げおおせる自信がなかった。

自分のヘタレっぷりに再び落ち込み始めたスノウを、エルは黙って眺めていた。ややあって、気まぐれのように口にする。

「解く方法、知ってどうするんだ?」

「…元に戻りますけど…」

当然である。知ってなお猫のままでいるなどと正気とは思えない。ヘタレの自覚はあるがマゾの性癖はない、とスノウは思う。

エルは一瞬きょとんとし、こめかみを揉みながら言いなおした。

「あー、そりゃそうだな。じゃなくて…知って、元に戻って、お前はどうするんだ?」

方法を知ったら、元に戻る。

元に戻ったら…人間に戻ったら。

勇者に、戻る。

「…戻ります」

呟いた。心臓がどくどくと脈打つ。その理由がスノウ自身さっぱりわからない。

「仲間のとこに戻るだけか?まったく覇気のないヤツだな。魔物オレの首級あげようとか思わねぇの?」

呆れ顔でエルが嘆息した。

「無理です」

そう首を振って返しながら、スノウはどこか安堵している自分に気づいた。理由はわからないが、先ほどの動悸は嘘のように静まっている。魔法の負荷でもきたのだろうか、とスノウは少し心配になる。

「元に戻る手っ取り早い方法はあるぞ」

そんなスノウの心配をよそに、エルは楽しげに切り出した。先ほどまで「教えるわけない」と言っていたのに、どういう風の吹きまわしか。

「あるんですか?」

思わず食いついてしまうのは、この場合仕方ない。魔法をかけた当人の言葉であり信用の置けないマモノの言葉ではあるけれど。

「お前が勇者になることさ」

対して、エルの言葉は実にあっさりとしたものだった。

「……勇者、ですけど…」

ちゃんと国王から任命された勇者である。任命された当時とは色々違ってしまったようだが、正真正銘の勇者に間違いはない。

「肩書きのことじゃない。勇者の本分は何だ?」

出来の悪い生徒を教える辛抱強い教師のような口ぶりで、エルが言う。

「…魔物を倒すこと…?」

「そうそれ。俺が何言いたいかわかるよな、勇・者」

にっこりと笑って、スノウの頭をなでる。よくできましたと言わんばかりに。

つまり。

スノウは忙しく頭を巡らせる。

つまり、魔法を解く為には魔法を掛けた魔物、即ち自分を倒せと言っているのだ。

明らかな挑発。それも、スノウが勇者の誇りなんて欠片もないヘタレであることを知ってて。

「…む、無理…」

倒すなんてことができるはずがない。そもそもできたら今こうして猫でいる筈があろうか。

「なら死ぬまで猫のままだな」

…死ぬまで猫のまま。

ふと、スノウの中に疑問が湧いた。

「…寿命」

ぽつりとつぶやく。

「ん?」

「寿命、縮みますか?猫だから…30年位縮む?」

スノウの問いかけに、エルはしばし無言。

「お前…ほんっとに馬鹿なんだなぁ…」

エルは哀れむような眼差しでしみじみと言った。

「状況理解してるか?お前は人間で勇者で、猫にされたんだぞ。どう思う?」

「…どうって…」

「お前な、魔法ひとつも防げない癖してなんでそう呑気なんだ?俺がちょっと本気でつついたら即死だぞ?寿命とか気にしてる場合じゃねぇだろ」

倒すはずの魔物にしっかりと説教された勇者スノウは、なるほどと頷いた。

「…言われてみれば…」

窮地に立たされているんだった、とスノウ。スノウなりに必死ではあるのだが、その必死さはなかなか相手に伝わっていないようだ。

エルはスノウの反応に、額を押さえて宙を仰いだ。

「…俺は今までこんなのと戦ってきたのか…?」

こんなの呼ばわりされてひっかかるモノがあったが、そのあまりにも落胆した様子に、なんだか悪いような気になってくる。

だがわざわざ訂正しても…情けない気分になるだけなので黙っておくことにする。

「…お前が心配してるようなことにはならないから安心しろ。…多分な」

「…多分…?」

「よくわからん。あまり使わない魔法だし。」

少しも安心できないことを胸を張って言うエル。別に本人に胸を張ってるつもりはないのかもしれないが、堂々たる態度なだけにそう感じずにはいられない。

「ああ一応根拠はあるぞ。お前が自分が人間だってことを忘れなきゃ大丈夫だ」

「…?」

スノウはこてん、と首を傾げる。忘れるなんてことあるだろうか。

「見た目は猫だけど体は人間のままだしな…魔法に中身まで食われなきゃいいってことさ」

「……」

魔法に食われる?ますます意味がわからない。

さらに首を傾ける。そのまま横に転がっていきそうな角度だ。

「だからな、ええと今の状態は、魔法によって猫のカタチに順応させてるわけだ。だから魔法の影響が強ければ強いほど猫らしくなる。カタチだけじゃない。中身も猫らしくなる。

つまりな、お前がぼけっとしてると自我まで魔法に食われて名実ともに猫になってしまうわけ。」

エルは丁寧に説明をする。この魔物は意外と親切な相手なのかもしれない、とスノウは思った。

「まぁ大丈夫だろうさ。自我を失うほど強力な魔法をかけたわけじゃない」

よほどじゃない限り問題ない、とエルは言う。

「……」

人であったことを忘れてただの猫になる。

それはスノウにとって恐ろしい事態だった。そうでなくても、スノウの「自我」は曖昧なのだ。何せ、スノウの記憶はひと月分程度。日常に困らないだけの知識と、勇者として必要な知識を後から記憶しただけの――仮初めの勇者スノウ

たかだかひと月分の記憶では、己の確固たる信念もプライドも持ちようがない。何が正しく何が間違っているのか、善悪の判断すら怪しいのだから。

「ま、そのうち慣れる」

なんでもないことのようにエルが締めくくった。極上の笑顔で。

当然ながらなんでもないのはエルだけであり、スノウにとっては大問題だ。

慣れたくもないし、第一慣れるはずがない。

一刻も早く元に戻らねば、とスノウは気持ちを新たにする。

勇者も仲間たちも関係ない。記憶も戻らないまま猫の姿で一生を終えるなど冗談ではないからだ。そして、この状態の自分が「猫にならない」という自信もない。

なんとしても魔法を解かねばならない。

エルに解く気がなく、他に解く方法が見つからないなら、エルに解かせる(・・・・)しかないだろう。

そこまで考えて、スノウは不安になる。

逃げ出すことすら恐ろしくてできない自分が目の前の…いかにも強大な魔物相手に強要できるだろうか。

強要できるとするなら、スノウがそれこそ「勇者」のように強く在らねばならない。或いは、スノウに従わざるを得ないような「弱み」を握るしか。

「そうだ、あと当分の間この部屋から出るなよ?」

今後について頭を抱えていると、エルがどこからかカゴを取り出して言った。

植物の蔓を編んだカゴの内側には、光沢を放つ布が敷いてある。布がずり落ちたりしないよう桃色のリボンで布を固定してあった。随分と可愛らしいカゴである。

「これ、お前のな」

それで寝ろ、ということなのだろう。

猫生活がさらにリアルを増してきて、スノウはげんなりする。

猫にまで変えられたのだから、スノウもこれが一時の気まぐれや冗談だとは思っていなかったが、心のどこかでその可能性を望んでいたことは否定できない。魔物は気まぐれな性質だから。

だが、首に鈴をつけられリボンのかかったカゴを与えられると…本気なのだと改めて思い知らされる。

「俺のベッドに放り込んだ方があったかくていいんだけど…」

鬱々としだしたスノウの耳に、エルのとんでもない発言が飛び込んできた。

魔物と一緒?

「とんでもない!」

思わず全力で拒否した。

こうしているだけでもスノウの精神状態は限界なのだ。

せめて就寝時くらい安眠させてほしい。…魔物の城で安眠、というのもおかしな話ではあるが。

「…言ってみただけだ」

エルは軽く肩を竦めて笑う。

「アイシャとスイが目くじら立てるに決まってるからな。まったく、猫のどこが嫌なんだか。」

聞き覚えのない名前に、スノウは頭を巡らせる。思い浮かぶ人物は二人しかいない。そのうちの片方が「アイシャ」だというのは、恐怖と共に記憶されている。となると、「スイ」というのは水色の髪の人物の可能性が高い。

「仕方ない、魔物は猫を嫌うのが普通らしい。ま、とにかく大人しくしてろよ、勇者。いきなり白猫が城内をうろうろし出したら、他の連中が大騒ぎするだろうからな。」

そのうち散歩できるようにしてやる、とエルはスノウをぐりぐり撫でる。

完全に飼い猫への接し方だ。

人間なんだけどなぁ、とスノウは内心呟く。しかも勇者で目の前の魔物を倒すべき立場の人間である。それが当の魔物に飼われてペット生活とは。

エルの指が喉元をくすぐる。

思いのほか気持がよくて、不覚にもごろごろと鳴きそうになり―はたと気づいた。



…何としても元に戻らねば。一刻も、早く。




やっと…です(^_^;)

だんだん書くことが増えてきて、(私の)処理が追いつかなくなりつつあります。気長にお待ちください。

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